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落ちこぼれ魔女のタイムリミット  作者: 由糸子
3.みずほと<宿主>
23/48

3-7

 マンションから南の方向へと、莉子は箒を走らせた。海の上に見える大きな橋や、ヘッドライトが無数に流れる道路の上空を進むと、パトロール中の魔女の集団が浮かんでいるのがら見えてきた。


 莉子は彼女たちにバレないように遠巻きにしながら、ポケットの中のピルケースから<透明の種>を1粒取り出し、口に含んだ。これで30分ほどは莉子自身と、手に持つ箒などが透明な姿でいられるのだ。

 まずは自分の目で体が透明になったことを確認すると、魔女たちがいるところよりも下の方へと箒を進めていく。


「また警察がいるじゃないか!」

「参ったねぇ。これじゃあ処分ができないよ」

「今日も結局、みずほを野放しにしておくしかないのかい?」


 魔女の集団の真下を通ると、諦めに似た声がいくつも聞こえてきた。その中でも大きめの声を上げているのは、ベテランの大魔女たちだ。みずほを処分するために、多くの大魔女が集まっているのだろう。その中には真麻もいるとは思うのだが、その声は聞こえなかった。


 ちらりと下を見れば、湾岸近くのビルが並ぶ一角に、警察のものと思われる車両がたくさんある。それよりも数百メートル離れたところには、みずほの姿があった。以前見たときよりも一回り魔力の壁を膨らませた黒い影が、周りの人々を蹴散らしている。


 みずほの周りでは、人間たちが放つ大きなざわめきと悲鳴が交じり合い、それが莉子のいる上空にも届いていた。必死に逃げようとする人や、呆然と立ち尽くす人、そして安全な場所から写真を撮っている人などの様子が、小さな点の動きとして見えていた。


 その点がいよいよ人の頭として見える高さにまで下降し、高層ビルの隙間に辿りつくと、莉子はみずほの背後にあたる地点へと進んだ。


(じゃあ……作戦開始!)


 ドスン、と響くみずほの移動の音を聞きながら、莉子は<伝達の種>を飲んだ。

 <伝達の種>はそれを飲むことによって、自分の近くにいる人たちの考えていることを読み取れるようになるのだ。なので、<種>が喉を通り、胃へと落ちていった瞬間、莉子の頭の中が急に騒がしくなった。


「こわい。何あれ」

「どうしよう。家に帰れないよ」

「この騒ぎで、あいつが死んでくれればいいのに」

「これなら明日、会社が休みになるんじゃね?」


 ビルの谷間にいる、みずほの姿を目の当たりにした人たちのいろんな考えが、音声となって莉子の頭へと飛び込んでくる。それは騒音に近いもので、意味を持たない文字列となって響く。無数の言葉は次第にトゲを出して、チクチクと莉子の脳内を痛めつけた。


(この中で……みずほさんの声に集中しないと!)


 莉子は痛みを深呼吸で逸らしながら、人々の頭の上で箒を進ませ、みずほの背後の1メートルほどの場所に近づいた。


 破魔女となったみずほを近くから見ると、ジェルのような黒い魔力の中に、微かにみずほらしき姿が見えた。大の字になって魔力の固まりの中に浮かび、びくとも動かずにいる。


(みずほさん、教えて。あなたは今、なにを考えてるの? どうして、街をさまよってるの?)


 みずほの心の声に集中しようと、莉子は目を閉じて意識を集中させる。すると、騒がしかった人々の思考の言葉はだんだんと薄れ、その中で聞き覚えのある声だけが響いてきた。


「どこ……どこなの……」


(これ、みずほさんの声だ!)


 莉子は目を開き、目の前のみずほを見た。今度はよりはっきりと、みずほの声が聞こえる。


「どこ……どこ……」


 その声は悲しいほどにか細い。彼女の巨大な姿とは、あまりにもちぐはぐだ。


みずほは弱々しい言葉を続けながら、恐怖に怯える人たちを押し退け、時には魔力で吹き飛ばしていた。

 しかめ魔力で投げ出された人々を、みずほは遠慮なく踏んでいく。下敷きになった人々の悲痛な声の中でも、みずほのもの悲しい声は止むことはなかった。


「どこにいるの……どこ……返事をして……」


 そのみずほの心の声に、莉子は思わずきょろきょろと周りを見渡す。


(みずほさん、誰かを探してるのかな?)


 莉子が周りを見渡しても、恐怖に怯える人ばかりがいるだけで、これといって特別な人間はいない。

 だけど確実に、みずほは誰かを探している。もしかすると、その人探しのために、こうして街に出現しているのだろうか?


(だったら、その探している人が誰なのかをはっきりさせないと……)


「きゃーっ!」


 女性の悲鳴が聞こえる。どうやらまた、みずほの被害者が出たようだ。他にもみずほに傷つけられた人たちが、ビルの周りにたくさん横たわっている。血だらけになって、救急隊に手当てをされている人も見えていた。


 莉子だって今は<透明の種>で姿を隠してはいるものの、みずほにバレたらどうなるものかはわかったものではない。


(怖い……)


 莉子は目を背けるように俯いて、ぎゅっと目を瞑った。だが瞼の裏には、さっきみた地上の惨状がはっきりと浮かんでしまう。


 正直なところ、こんな場所からは逃げ出してしまいたかった。落ちこぼれの自分が魔力の強い破魔女に立ち向かうなんて、もともと無理な話なのだ。


 だけど今は、そんな言い訳はできない気がしていた。


(魔女の情報を橘さんに漏らしてしたのは、私なんだもの)


 だからこそ、警察にみずほを殺させることなく、街から追い出すようにしなくては。そんな覚悟が、ひ弱な莉子のハートに喝を入れ続けていた。


 箒を持った手に力を込め、莉子は目を開く。そしてみずほの背中を捉えて近づき、彼女の目指す先――つまり、彼女が探している人を見つけようとした。


(<透明の種>の効果は、たぶんあと10分ぐらいで切れる。すぐに飲み直すようにして、なんとかみずほさんにバレないようにしないと……)


「……いた!」


 それは、莉子がポケットの中のピルケースを確認していたとき、頭の中に大音量で響いたみずほの声だった。みずほはその言葉とともに一直線に前へと走り出した。車や歩行者を気にすることなく、ひたすら大きな体を擦って進んでいる。


「み、みずほさん! 待って!」


 莉子は思わず声を上げてしまったものの、暴走するみずほの耳に届くはずもない。


「みずほさん! これ以上、街の人に被害を与えちゃ……」


 莉子が魔力を手に溜め、みずほに当てようとした瞬間、銃声が響いた。


「止まれ! これ以上市民に危害を加え続けるなら、さらなる発砲をおこなう!」


(これ、橘さんの声だ!)


 声の聞こえた前方を確認しようと、莉子は少しだけ上昇した。みずほを見下ろす高さまでやってくると、その先の交差点近くに、橘をはじめとする警察の関係者が並んでいた。

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