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あれからさらに一週間が過ぎたが、みずほが現れる気配は今のところなかった。そして橘からもあれ以降連絡がなかったため、莉子は今のところ「裏切り者の魔女」にならずに済んでいる。
「そのタチバナって人に、<愛の種>を飲ませてみたら?」
仕事を終えて家に帰る道の途中にスマホを見ていたら、そんな亜由美からのメッセージが届いていた。
<愛の種>とは俗に言う「惚れ薬」で、自分に惚れさせたい相手に飲ませるものなのだが、効き目はせいぜい数時間ほどだ。 しかも相手は<愛の種>を作った魔女を好きになるので、自作の<種>でないと意味がないとされている。
「<愛の種>が効いているうちに、エッチしちゃえばいいんだよ! そうすれば莉子は破魔女にならずに済むんだから!」
親指をグッと立てたスタンプと一緒に、亜由美のメッセージが立て続けに届く。それにツッコミを入れるように、いち早く橘の正体に気づいていた友香がメッセージを送ってきた。
「でも、どうやって飲ませるの? タチバナさんって、みずほさんやひかりに平気で銃を撃ってくるような人だよ」
「そうだっけ?」
「そうだよ! ひかりが大ケガをしたあのとき、こっちに銃を向けながら『トクジンのタチバナです』って名乗ってたじゃない。あの人だよ!」
「あー! あいつかぁ!」
亜由美が送った「ガーン!」とショックな表情をしたパンダのスタンプが、スマホの画面にポンと現れる。
「あいつ、すっごい冷静な顔でバンバン撃ってきたよね!」
亜由美と友香が、自分のためにいろいろと策を練ってくれるのはうれしい。だが2人は、大事なことを忘れている。
莉子は夜道の中で、スマホに照らし出された顔を引き攣らせながら、2人にメッセージを送った。
「<愛の種>って、自分で作らなきゃダメでしょ? 私、<愛の種>は作れないから」
すると2人は、
「ごめん」
「ごめんね、莉子ちゃん」
とハモるようにメッセージを飛ばしてきた。
「でもさ、莉子の<眠りの種>で眠らせて、やっちゃうって手もあるんじゃない? どんな凶暴な人でも、寝込みを襲えば大丈夫だよ!」
いよいよ犯罪っぽくなってきた亜由美の提案に返事をすることなく、莉子は帰宅した。
部屋にはすでに真麻が帰ってきていた。製薬会社の重職に就いているというのに、真麻はいつも帰りが早い。本当に仕事をしているのか疑わしいぐらいだ。
「ただいま」
莉子がリビングに顔だけ覗かせて、真麻に声を掛ける。そしてすぐに自分の部屋に行こうとすると、
「ねぇ、莉子」
とソファに座っていた真麻が振り向いた。
「あんた、もしかして……<宿主>が見つかった?」
「えっ?」
どうしてバレたんだろう。もしかして、亜由美や友香がバラしたんじゃ……。
莉子の驚きと恐怖が入り混じった反応を見て、真麻は思わず立ち上がった。
「本当なの? 本当に見つかったの?」
「い、いや、まだだけど……」
見つかったといえば見つかったのだが、橘との面倒くさい関係を話す気になれず、莉子はとっさにウソをついた。すると真麻はうなだれ、ソファへと乱暴に腰を落とした。
「そっかー。ここ最近、あんたの魔力がちょっとだけ上がったように見えたんだけど、気のせいだったね」
「魔力が上がると、<宿主>が見つかった証拠になるの?」
「まぁね。個人差はあるけど、<宿主>ができると魔力がパワーアップするんだよ。<宿主>って、鍵みたいなものだからね」
「あのドアとかについてる鍵のこと?」
「そう。魔女にとって<宿主>は子孫を残すためのパートナーってだけじゃなく、魔女の秘められた魔力を解放する、鍵の役目を果たしてくれる相手でもあるからね」
「それって、<宿主>にそういうパワーがあるってこと?」
「うーん、ちょっと違うなぁ。魔女との相性で、<宿主>がそういう力を発揮するっていうか……。ほら、これみたいなモンだよ」
真麻はテーブルにあった缶ビールを一口飲み、さらに横にあった枝豆にも手をのばした。
「ビールと枝豆、それぞれ単品よりも、一緒に飲み食いするほうが美味いでしょ? ビールの旨味も上がって、枝豆もグンと味わい深くなる。そんな相性が、魔女と<宿主>にもあるのさ」
「……ごめん。全然わかんない」
「つまり私が言いたいのは、それぞれの魔女には、自分の秘められた魔力を解放させてくれるぐらいに、相性がいい人間がこの世に一人だけいるんだってことだよ!」
「つまり、その相性のいい人間が<宿主>だってこと?」
「そう。魔女の体の奥に閉じ込められている魔力を解除してくれるんだから、まさに<宿主>は鍵だよね」
まさか<宿主>に、そんな役目があったとは。さすがは大魔女、なんでもよく知っている。ただの酒好きではなかったのだ、と感心している莉子の脳裏に、一つの疑問がよぎった。
それは、<宿主>に魔力を解除されなかった魔女はどうなるのか、ということだ。
莉子は母が上機嫌なことを見計らって、静かに問いかけた。
「ねぇ、ママ。その鍵になる<宿主>と巡り会えないと、魔女の中にある魔力はどうなるの?」
「……出来損ないのあんたにしては、鋭いこと訊くね」
缶ビールを飲み干して、真麻がニヤッと笑った。そして、莉子の予想通りの答えを口にした。
「<宿主>に巡り会えず、解き放たれなかった魔力は暴発するんだ。それが、魔女が破魔女になってしまう理由なんだよ」
「そうなんだ……」
やっぱり、そうだったのか。この前現れた破魔女のみずほも、みずほ自身というよりは、魔力だけが暴れ回っているように見えたのは、彼女が抱えていた魔力が暴走しているからなのだ。
(つまり、私にとっては、橘さんが「鍵」ってことか……)
だったら、わざわざ<宿主>になってもらわなくても、橘には魔力の解放だけをお願いすればいいのではないか。それなら、破魔女にもならずに済みそうだ。
「あのさぁ、ママ。その魔力の解放って、<宿主>にどうしてもらえばいいの?」
「ガキくさいこと訊いてんじゃないよ! そんなもん、セックスに決まってるでしょうが!」
「えええっ!」
莉子は思わず顔を赤くした。そうだった。<宿主>になるにしても、性行為が必要だった。よく考えたら、あれはそういう意味だったのだ。
「<宿主>が魔女にアレを突っ込んでくるんだから、まさしく鍵と鍵穴の関係よねぇ。ふふふふふ」
真麻は酔った表情を隠さず、下品に笑った。下ネタを言うときだけは、妙に上機嫌なのが腹立たしい。
これ以上、母のバカ話に付き合う必要もないだろう。さっさと着替えて風呂に入り、この前買った柚木麻子さんの新刊を読もう――そう思って、リビングを出ようとしたとき、トイレに行こうとする母がこちらにやってきた。
「まぁ、簡単な解除だったら、セックスじゃなくても、キスでもアリなんだけどねー。ほら、あれも鍵みたいに舌を突っ込んだりするじゃない?」
「へ、へぇ……」
また下ネタになるのか……と思ったものの、莉子はふと足を止める。「キス」という言葉に反応して、あの記憶が急に蘇ってきたのだ。それはもちろん、橘とキスをしてしまった、あのときのことだ。
「えっ! ほ、本当に? キスでもアリなの!?」
「……どうしたのよ。急に」
不審そうな目を向ける母に、莉子はブンブンと首を振り、
「なんでもない!」
と部屋へと駆けていった。




