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落ちこぼれ魔女のタイムリミット  作者: 由糸子
3.みずほと<宿主>
20/48

3-4

 欲しい。この人が欲しい。


 そんな欲望が口から飛び出しそうになって、莉子は橘から離れようとした。だけど彼の胸を押し退けようとしても、橘はなぜか両腕の力を弱めてはくれない。


「あ、あの……」


 顔を上げた莉子を見たとたん、橘は彼女の体を壁へと押し当てた。

 突然のことで驚いたものの、莉子は抵抗しなかった。橘とはいずれ、こうなるべきだったのだ――そんな気持ちが、今の莉子を支配している。


 背中に軽い痛みを感じながら、目の前の橘を見た。冷静さはすでに失われた表情には、代わりになにかを求める獣の獰猛さが加えられていた。


 彼のメガネの奥にある目には、莉子が映っている。だけどそれは、いつもの莉子の姿ではなかった。目の前の男を誘惑するために魅力の窓口を全開にしている、妖艶な魔女のものだ。


 そんなあからさまな誘惑に負けるわけにはいかない。だけどこれに抗ったところで、どうなるというのだろう。すでに頭も心も、彼女の匂いに染め上げられているというのに。いや、それでもなんとか抵抗しなくてはならないのだ――。


 自問自答を何度も巡らせていた橘は、それを終わらせるように大きな息をついた。


 ……負けだ。

 降参の心地よさに酔いながら、橘は莉子にそっと口づけた。


 最初は軽く触れるだけだった橘のキスは、彼女の唇を吸い上げ、まさぐるものへと変わっていった。音の鳴るキスを繰り返したあとで、莉子の口をこじ開けて、ゆっくりと舌を差し込んだ。


 その艶めかしい動きに、莉子の心が満たされていく。やっと巡り会えた<宿主>とつながれたよろこびで、体じゅうがざわめいた。欲しかった彼が、自分を求めてくれているという事実が、莉子の興奮をグンと押し上げていた。


 ここが会社の中だとか、橘が魔女の敵であるとか、そんなことはすでに莉子の頭の中から消えていた。ただ彼に触れていてほしい――その欲望に動かされた莉子は、橘の背中に手を回し、強く抱きしめた。


 しばらくして、橘は一度唇を離した。濃度の強い欲望を瞳に宿したままで、莉子の首筋に唇を当てた。肌触りを確かめるように、そこに何度もキスを繰り返している。


 くすぐったさと心地よさの中間の感覚に、莉子は体を何度も震わせた。背筋にゾクゾクとしたうねりが走り、莉子は思わずのけぞってしまう。その体を抱き留めた橘は、莉子の股間の辺りに膝を当てた。

 突然の刺激に、莉子はビクンと体を震わせる。それに反応して橘も、はぁ、と吐息を漏らした。


 このままここで橘とつながってしまえたら――そんなあからさまな欲望が、莉子の中で生まれている。

 もしそうなれば、彼が正真正銘の<宿主>となり、一件落着だ。莉子は破魔女にはならなくて済む。めでたしめでたし――。


 ……と、いかないことはわかっていた。

 莉子のブラウスのボタンを外そうと指をかけた瞬間、橘がなぜか急に理性を取り戻してしまったのだ。彼は慌てて莉子から体を離し、焦りの汗を拭いながら息を切らしている。


「またですか……。何度僕を誘惑すれば気が済むんです!?」


 怒りを露わにした橘の叫び声に竦みながらも、莉子は壁に体をつけたままで、必死に反論しようとした。


「……違います! 私は誘惑なんかしてません!」

「じゃあ、この状態は一体なんなんです? たとえ人の目がないとはいえ、この僕がオフィスの一角で女性に迫るなんてことをするわけがない!」

「そ、それは……」


 なんと説明をすればいいのか、莉子には見当もつかなかった。


「それは、あなたが私の<宿主>だからです」


と告白するわけにもいかず、莉子は体を縮めていた。唇や首に残る欲望の熱に耐えるように、唇を噛んでいる。

 そんな彼女を、橘は軽蔑するように睨んだ。


「言い訳は無用です。これだけ見境なく誘惑をしてくるってことは、あなたは<宿主>がまだ見つかっていないのでしょう? だったら僕ではなく、他の男性に当たってみてはいかがですか?」

「で、でも……」


(あなた以外、私には<宿主>はいないんですけど……)


 莉子はその言葉を飲み込んで、顔を上げた。欲望を宿す彼女の瞳に照らし出されて、体の中に再び火が点くのを橘は感じていた。


 彼女が欲しくないと言ったらウソになる。さっきだって正気を取り戻さなければ、きっと彼女を自分のものにしてしまっていただろう。

 だけど好きでもない女の誘惑に引っかかるのは、エベレスト級に高いプライドが許さない。しかも莉子は魔女だ。彼女の罠にホイホイと乗って、<宿主>になるのだけは絶対に嫌だった。


 体に溜まった欲望を抜こうと大きな息をついて、橘は乱れた髪を直し始めた。気を引き締めるようにネクタイの結び目を整えたあとで、ドアへと早足で歩き出した。


「今度僕を誘惑したら、ただじゃおきませんよ」


 彼の瞳には、殺意に似た憎悪が浮かんでいる。視線そのもので刺し殺されそうな気分になりながら、莉子は


「は、はい……」


と震えた声で返事をするしかなかった。

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