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落ちこぼれ魔女のタイムリミット  作者: 由糸子
3.みずほと<宿主>
19/48

3-3

「これは……」

「私の兄です。これは一昨年、破魔女になったばかりの田中みずほに襲われたときの、現場での写真です。兄は一命を取り留めたものの、今も意識を回復してはいません」

「橘さんのお兄さんが、みずほさんに? 一体なにが起こって……」

「私の兄は、田中みずほのターゲットにされていたんです」

「ターゲットって……」


 写真を持つ莉子の手が、急に震え出す。橘がこれから言うであろう答えが、わかってしまったからだ。


「つまり、<宿主>の候補者だったということです」


(やっぱり……)


 呆然とする莉子の視界から、橘の兄の写真が消えてしまう。橘は莉子から写真を取り上げると、素早くしまい込んでいた。そして窓側へと顔を向け、遠くを見るように目を細める。


「<宿主>になることを迫る田中みずほに対し、兄は拒否し続けていました。そして破魔女になってしまった田中みずほは、兄を襲ったのです。<宿主>にならなかった兄に、恨みをぶつけるかのように」

「そ、そんな……。みずほさんがそんなことをするなんて、あり得ない……」

「あなたがどう思うおうと勝手ですが、田中みずほが兄を襲ったのは紛れもない事実です。だから僕は、兄をこんな目に遭わせた田中みずほを――破魔女を許すわけにはいかない」


 強い口調で言ったあと、橘は寄りかかっていた長机を拳で叩いた。ドン、と乾いた音が部屋に響いた空気は、橘の怒りに同調するかのように、しばらくの間ブルブルと振動していた。


「だから、僕は協力をお願いしたいんです。あなたから破魔女の情報を得て、退治をする。それだけのことです。あなたが僕の協力者であることは、誰にも口外しません」


 橘の協力者になるということは、魔女を裏切ることだ。破魔女の出現の情報を漏らしたぐらいでは、魔女の世界に直接影響は出ることはないだろうが、それがどのように利用されるかはわかったものではない。


 莉子の脳裏に、ふと母や仲間たちの顔が浮かぶ。<宿主>の願いとはいえ、自分をいつも見守ってくれている人たちを裏切ってまで、彼に協力してもいいものだろうか?


 いや、ダメに決まっている。どんなに出来損ないで落ちこぼれでも、莉子は魔女なのだ。自分の世界の情報を、人間に――しかも魔女の敵である「トクジン」に横流しするなど、許されることではない。


 そう思うものの、橘にじっと見つめられてしまえば、すべての考えが吹っ飛んで、彼の言いなりになってしまいたくなる。それはもしかしたら、彼が<宿主>だからなのかもしれない。永遠のパートナーである<宿主>と深いつながりを持とうとする、魔女の本能のようなものだろう。


 そして、彼がなんとか<宿主>を引き受けてくれるように仕向けたい気持ちも、僅かながら莉子の中には存在していた。それに、協力するといっても、せいぜいみずほの出現する情報だけを教えればいいだけのことだ。ならば、大きな問題になることはないだろう。


(魔女のみんな、ごめんなさい……)


 莉子は俯きながら、小さく息を飲んだ。


「わかりました。破魔女が……みずほさんが出没したことがわかったときには、橘さんに連絡を差し上げます」

「本当ですか? ありがとうございます。感謝します」


 橘が初めて会ったときのような、柔らかな笑顔を見せる。思わずそれに見とれてキュンとしながらも、莉子は大事な言葉を付け加えることを忘れなかった。


「その代わり、この前みたいに魔女を捕まえようとしたり、私以外の魔女を協力者として引きずり込むのは止めてほしいんです」


 あんな危険な目に遭うのは、自分だけで十分だ。そして、人間に迷惑をかけずに生きようとしている魔女たちの世界を、彼らに踏み躙られるのも嫌だった。

 しかし橘は、莉子のそんな思いを簡単に蹴散らしてしまう。


「それは、あなたの働き如何によりますね。あなたから有益な情報が得られないとなれば、他の魔女に協力を求める必要も出てきますから」

「じゃあ、私のときみたいに、また重力制御装置で魔女を捕まえるんですか?」

「ええ。こちらとしては、あなたが十分に役目を果たすことを願っていますが、あなたが役に立たないとわかれば、他の魔女を捕まえなくてはならないでしょうね」

「でも、あんな危険なこと、もう止めてほしいんです!」

「あなたの言うことに、従うつもりはありませんよ。……では、失礼」


 橘はさっさと話を終わらせようと、ドアの方向へと歩き出した。


「待ってください!」


 莉子は咄嗟に、去っていこうとする彼の手を掴んだ。そのとき、掌へと痛みに似た刺激が走った。


「きゃっ……!」


 腕からジンジンと痺れが走り、全身が麻痺して動かなくなる。その場に崩れ落ちそうになる莉子を、橘は寸でのところで受け止めた。


「大丈夫ですか?」


 橘は単なる親切心で、倒れそうな莉子を抱き留めたつもりだった。なのに彼女が自分の胸の中に収まってしまうと、彼女を包む両腕にまったく違う意味が加わってしまう。


 莉子は橘の胸に額を当てながら、荒い呼吸を繰り返している。彼女の息の温もりが、シャツや皮膚を通り越して、肉体の奥へと伝わった。


 ……熱い。

 彼女の吐息によって発火した炎が、橘の体を中から炙っている。それは莉子にも移ったようで、彼女の体も一気に温度を上げ、しっとりと湿り気を帯びてきた。


 莉子は苦しげに呻き、橘の胸へと深く顔を埋めた。露わになった彼女のうなじからは、不思議な匂いが漂ってきた。香水でもなければ、天然の花や緑の香りでもない。橘だけを狙うかのような刺激的な匂いが、彼女の体から溢れ出ている。


 息を吸い込むたびに、胸の奥が莉子の匂いで満たされてしまう。しかもそれは、性的な欲望も橘の頭の中から引きずりだそうとしていた。


 橘は鼻呼吸を止め、口で呼吸をし始める。匂いを嗅ぐまいと必死で抵抗しているのに、全身の毛穴から入り込んだ匂いが脳を刺激し続けている。


 匂いはさらに橘を支配しようと、目の前に幻を見せつける。さっきまで無味無臭だった室内が、自分のための巨大な繭にさえ見えているのだ。自分と彼女以外、誰もいない。誰にも邪魔されず、彼女を自分のものにできる空間――今の橘には、そうとしか思えなかった。


 莉子もまた、橘から漂う匂いに圧倒されて、この状況を忘れかけそうになっていた。


(この人……すごくいい匂い……)


 橘の匂いは莉子の体へと沁み込んで、胸の先や腹の奥をチクチクと疼かせる。それが、橘を求めるだけのいやらしい気持ちに変化して、体の湿度を上げてしまっていた。

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