3-2
「それを知って、どうするつもりなんですか?」
「破魔女の出没については、僕たちよりも魔女たちの方がより早く察知しているような気がしましてね」
橘の言っていることは、当たっている。破魔女が出現すると、その強力な魔力の放出に反応して、魔女たちは瞬時に気づくことが多いのである。それは警察がなんらかの手段を用いて知りうるよりも、確実に早いだろう。
「これまでよりも早めに破魔女の出現を知ることで、魔女よりも先に破魔女を退治したいのです」
橘は談話室の中のテーブルに寄りかかり、腕を組んだ。眉間にシワを寄せているのは、真剣に仕事に取り組もうとしている証拠なのだろうが、莉子がそれに加担するわけにはいかない。
「退治だなんて……」
莉子は迫りつつあるタイムリミットをひしひしと感じながら、破魔女となった自分が、橘の攻撃に遭う場面を思い浮かべた。
魔女たちによる処分を受けられず、魔力の赴くままに動き回り、人間の手によってぐちゃぐちゃになって死んでいく――そんな惨めな最期を迎えるのは、絶対に嫌だった。みずほにだって、そんな目には遭ってほしくない。
橘の放つ強い視線に気圧されながらも、莉子は小さく拳を握り、思い切って自分の気持ちを口にした。
「破魔女は、人間が退治をする必要なんてないと思います。魔女が処分をすれば済む話じゃないですか」
「しかし、最近出没している破魔女――つまり田中みずほが、都内の至る所で人間に危害を加えているのです。あれを放っておくわけにはいかない」
「だったらなおさら、魔女が処分すればいいだけのような気がするんですか……」
「田中みずほには、魔女だって手を焼いているのでしょう? だいたい、田中みずほが破魔女になったのは一昨年のことなのに、今日まで処分できすにいるのはなぜです?」
「そ、それは……みずほさんが、魔力の強い魔女だったからですけど……」
「つまり田中みずほに関しては、魔女でも処分が難しいということですよね? でしたら、トクジンで殺処分をおこなっても、なんら問題はないでしょう。人間に害があるものは、さっさと始末するに限ります」
それは、まるで害虫を駆除するかのような口振りだった。魔女を敵視する橘にとっては、魔女は害虫レベルの存在なのかもしれないが、あまりにもキツい言葉の連発に、莉子は打ちのめされそうになっていた。
(こんなことを言う人が、私の<宿主>になってくれるのかなぁ……)
疑いと怯えを混ぜた目を莉子が向けると、橘はそれを蹴散らすように大きなため息をついた。
「それに、魔女についての懸念は、破魔女に関することだけではありません。魔女が<宿主>を選ぶにあたって、人間の男性に拒否権がないのも、人権の面において問題があると僕は考えています」
「でも、魔女にだって選択の自由があるわけじゃないんですけど……」
「ええ、知ってますよ。この前、あなたが言っていたじゃないですか。確か、魔女が『ビビッ』ときたかどうかで選ぶんでしたよね?」
「は、はい……」
「実にバカバカしい。あなたたち魔女の勝手な思い込みで選ぶのと、なんら変わりないじゃないですか。選ばれる側の人間としては、たまったものじゃないですよ」
それは魔女に対する、明確で無駄のない攻撃の言葉だった。反論できない莉子は、俯いたままでスカートを両手で握り締めていた。
こんなに酷いことを平気な顔で言ってのける男が、自分の<宿主>なのだ。それ自体がショックなうえに、橘が<宿主>になるのを了解してくれるとは思えないことも、莉子の心をガリガリと削っていた。
つまり、自分は破魔女になることが確定してしまったようなものだ。あと2ヶ月と3週間で、みずほのように暴れ回るだけの存在になるのだ。
悔しい。そして悲しい。
自分がこんな人を<宿主>に選ばざるを得なかった事実も、この人を魅了するだけの女子力がない自分自身も。そして、へなちょこな魔女として生まれてしまったことも、すべてが悔しくて悲しい。
莉子は思わず、いつものように心の中で
「ごめんなさい」
と呟きそうになっていた。だけどこのときはなぜか、別の言葉が口から出てしまっていた。
「……どうして、そんな言い方をするんですか?」
こんなガンコで理屈っぽい人に反論したところで、絶対に負けるに決まっている。だけど、言わずにはいられなかった。
「私だって、本当だったら、もっと優しくって、私のことをちゃんと好きになってくれる人が<宿主>だったらいいなーって思ってます! でも、体があなたに勝手に反応して……」
「『あなた』? それって……僕のことですか?」
まずい。莉子は急いで口を閉じた。
橘が自分の<宿主>であることは、彼には知られたくなかった。もしバレてしまっては、どんな反応をされるかわかったものではないし、これ以上彼に敵意を向けられるのも嫌なのだ。
「僕が、どうかしたんですか?」
一歩だけこちらに歩み寄った橘から目を逸らし、
「……なんでも、ないです」
と莉子は呟いた。
そんな彼女の様子に不審さを覚えることもなく、橘は自分の任務をひたすら果たそうと、莉子へとメモを手渡した。
「とにかく、田中みずほを捕まえるために、あなたには協力をお願いしたいんです。なにかあった場合には、こちらにまで連絡をいただけませんか?」
受け取ったメモには、橘の携帯電話の番号やメールアドレスなどの連絡先が書かれていた。几帳面に並んだ文字に目を落としながら、莉子は尋ねた。
「あの……訊いてもいいですか?」
「どうぞ」
「どうしてそんなにも、みずほさんを捕まえたいんですか? みずほさんが今、人間に迷惑をかけているっていうこと以外で、なにか理由でもあるんですか?」
橘は目を見開いたまま、表情を固まらせた。時の止まった整った顔立ちが、ギリシャ彫刻のような濃い影を作っている。
息をするのさえ忘れ、色のない視線を莉子へと向け続けたあとで、橘は小さく首を振った。
「あまり他人には見せたくないのですが、仕方ありませんね」
橘はジャケットの内ポケットから取り出したものを、莉子へと手渡した。それは一枚の写真だった。しかも、白衣を着た男性が全身血まみれで倒れているという、絶望的な瞬間を切り取ったものだ。