3-1
「ねぇねぇ、莉子ちゃん。あのイケメンとはどうなったの?」
莉子が優子ちゃんにそう問いかけられたのは、あれから一週間後のことだった。
あの合コンの次の日からバリ旅行に出かけていた優子ちゃんの肌は、見事に日焼けしている。テカテカと黒光りする顔には、オフィスの蛍光灯の明かりが反射していた。
お土産のバリコーヒーを手渡すという名目のもと、優子ちゃんは椅子を動かし、隣のデスクにいる莉子へと寄ってきた。
「あんなイケメンを引っかけるなんて、莉子ちゃんも結構やるよねぇ」
「ん? イケメンって、なんのこと?」
「先週の合コンで、莉子ちゃんをお持ち帰り宣言したイケメンのことだってば!」
「……あっ!」
パソコンで議事録を作成していた莉子の指が、奇妙な方向へと動く。おかげで課長の発言である「善処します」を「全焼しまっっまっっっっっっdss」と入力してしまった。
Backspaceキーで、ミスタッチの文字を一文字ずつ消していく。できればあのときの出来事だって、一緒に消去してしまいたい。あと、橘が<宿主>である事実もなくなってしまえばいいのに。
左にずれていくカーソルを見ながら、莉子はひたすら黙りこくっていた。
「ちょっとー! もったいぶらないで教えてよー! あのイケメンさんとどうだったのよー! ね? ね? ねぇってばー!」
「べ、別に……なにもなかったよ」
本当はいろいろあったけれど、それを説明することはできない。もし説明したとしても、
「あのイケメンは私の<宿主>だったけど、魔女の敵である『トクジン』の人でした」
なんて言ったところで、わかってもらえるはずもない。
「ウソだー! 絶対なんか隠してるでしょ! 私にはわかるんだからね!」
「隠してなんかない! 本当になにもなかったの!」
自慢のナイスバディで迫る優子ちゃんに、押しつぶされそうになる寸前で莉子は叫んだ。その声と混じり合うように、
「江藤さーん」
と、莉子を呼ぶ男性社員の声が聞こえてきた。
「江藤さんに会いたいって人が来てるんだけど、どうする?」
「私にですか?」
「うん。『トクジン』の『タチバナ』だって言えばわかるって言ってたけど……」
(え? 橘さんが?)
オフィスの出入り口の方向を見ると、パーティションの上から、メガネをかけた端正な顔が覗いている。その顔は、莉子がこちらを見たことに気づくと、わざとらしいほどの丁寧さで会釈をした。
(ど、どうして……どうしてあの人がここにいるわけ!?)
うっ、と言葉を詰まらせる莉子の横で、優子ちゃんは急に色めき始めた。
「きゃー! 噂をすれば、この前のイケメンじゃない! しかも会社にまで来るって……莉子ちゃん、どういうことなの?」
「し、知らないよ!」
莉子は逃げ出すように席を立ち、橘のもとへと向かった。会いたいわけでもない人へと進む足は、鉛でできた靴を履いているかのように重い。だってこの前は、彼に捕まりそうになったところを逃げ出したのだ。
(もしかして、あのことについて文句をつけに来たんじゃ……)
短い距離を鈍い足取りでやってきた莉子に対し、橘は最初に会ったときと変わらない堂々とした様子を見せていた。
「どうしてここが……私の職場がわかったんですか?」
莉子がパーティションの陰に隠れながら問いかけると、橘は穏やかな微笑みを見せた。だけどその奥には、莉子に対する敵意がたっぷりと詰まっている。その証拠に、明らかに目が笑っていないし、それがめちゃくちゃ怖い。
「そりゃ、僕は警察ですから。ちょっと調べればわかることです」
「でも、わざわざ調べて、ここまで来るなんて……」
「この前、あなたを取り逃がしたせいで、上司にこぴっどく怒られましてね。その復讐にやってきました」
(や、やっぱり!)
復讐という響きに、莉子の体じゅうの毛穴が一瞬で縮み上がった。
この人に一体、なにをされるのか。しかもここで! この静まりかえったオフィスで! おびえた猫のように身を丸める莉子を見て、橘は思わず吹き出した。
「ウソですよ。上司に叱られたのは本当ですが、あなたごときに復讐をしようとは思いません」
「……そうですか」
莉子はほっとしながらも、「あなたごとき」という言葉に苛立ってもいた。さわやかな口調のわりにいちいちムカつく男だ。こみ上げる腹立たしさを、唇を噛み締めてをやり過ごそうとする莉子の前で、橘は顔色を変えずに話し続けた。
「実は、魔女や破魔女を管理することで、魔女であるあなたに協力をお願いしたいと思いましてね」
「協力と言われても……私は下っ端の魔女ですから、全然役に立たないと思います」
「そんなことは別にかまいませんよ。できる限りでご協力いただければ」
「無理です。……っていうか、嫌です!」
莉子にしては珍しく、強い口調で拒否をする。
いくら出来損ないの魔女とはいえ、魔女の敵である「トクジン」に協力することはできない。たとえそれが、<宿主>からの依頼だったとしてもだ。
「うーん。協力していただけないというなら……そうですね……」
顎に指を当てて考え込んだあとで、橘は腰を曲げ、莉子の耳元へと唇を寄せた。橘の吐息が耳を掠め、莉子は思わず肩を竦める。
「……ここでバラしましょうか? あなたが魔女だということを」
冗談じゃない。ここでは魔女であることを隠して働いているというのに!
莉子は精一杯の恨みを込めて、橘を睨んだ。莉子の気の弱さでは、ちっとも脅しにはならないと知りながら。案の定、橘は莉子の視線など気に留めず、マイペースな様子で部署の中を見回している。
「話の続きは、ここではなんですので、別の場所でしましょう」
「……でしたら、ここを出た廊下の突き当たりに談話室があるので、そちらへどうぞ」
部署を出た2人は、廊下をまっすぐに進んだ。談話室は、普段は取引先との打ち合わせなどに使われる部屋で、このときは運良く空室だった。
莉子は橘を先に入室させると、ドアノブの札をひっくり返して「使用中」と表示させて、自分も入る。そしてドアを閉めると同時に、橘へと振り返った。
「協力っていうのは、なにをすればいいんですか?」
「魔女のパトロールのタイミングと人員、そして破魔女の出没の情報を、僕に教えてほしいのです」