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(この人、警察の人だったんだ。しかも、魔女を捕まえるのが仕事だなんて……)
せっかく見つかった<宿主>が、魔女の敵ともいえる人間だったとは。
その事実に打ちのめされて、莉子の体からは一気に力が抜けていく。正座をしていた足も崩れてしまい、お尻がだらしなくクッションにくっついてしまった。
それに引き替え、橘はより強い力を瞳に宿し、莉子をじっと見つめていた。
「あなたが魔女だったのは意外ですが、これで納得がいきました」
「なにが……ですか?」
「あなたは昨日、僕を誘惑しようとしていたからですよ」
「へ? ゆ、誘惑!? 私が? 私、そんなことしてません!」
莉子は首を千切れんばかりに振って否定するものの、橘はまったく受け付けない。
「昨日のあなたは、最初のうちは本当に具合が悪そうだった。なのに僕が背中をさすったら、表情をガラッと変えて誘惑してきたじゃないですか。どうせあなたも、<宿主>を探しているのでしょう?」
「ど、どうしてそれを知ってるんです!?」
「魔女を管理する者としては、魔女に関する情報はある程度入手していますから。確か、魔女は25歳までに、人間の男性の中から<宿主>を見つけなければならないんでしたね」
「は、はい……」
「<宿主>は魔女が子孫を残すためのパートナーであって、魔女と性行為をすることによって、対象の男性は正式に<宿主>となる。この情報に間違いありませんか?」
「そうですけど……」
「そして、魔女が25歳までに<宿主>を見つけられなかった場合、破魔女になってしまう。たとえば……あの田中みずほのように」
「みずほさんのことを、知ってるんですか?」
莉子がみずほの名前を出すと、橘は急に口を閉じた。表情を変えることはなかったものの、彼の様子からは静かな怒りと敵意が感じられた。
橘は莉子の言葉に返事をすることなく、少し間を置いて、話を続けた。
「魔女は<宿主>となる男性を見つけるために、魔力によって誘惑を仕掛けると言われています。昨日のあなたも、僕にそうしようとしたのではないですか?」
「違います! <宿主>を見つけるのはそんなことじゃなく、もともと決まっている<宿主>を探すだけなんですけど……」
そこまで言いかけて、莉子は思わず肩を竦める。莉子の言い分が気に入らないのか、冷たかった橘の視線が一層冷えて、ブリザードのような冷たさを莉子に注いでいたからだ。
「でも、そのもともと決まっている<宿主>を探すにしても、多くの男性に対して見境なく誘惑をするのでしょう? 違いますか?」
「しません! ただ……なんとなーくビビッときた人を選んで、<宿主>になってもらうだけなんです!」
自分で言っていても、バカげている話だと莉子は思っていた。魔女が勝手に<宿主>を「ビビッ」ときた感覚だけで選んでいるのは事実でも、それを口にすると、とんでもなくまぬけな理論になっている。
橘も莉子の話に奇妙さを感じたらしく、
「なんですかそれは」
と呆れた顔をして首を振った。
「魔女の都合で<宿主>を選ばれても、人間にとっては迷惑なだけですよ」
それには莉子も反論できなかった。<宿主>に選ばれた男性は、決して自分で好んで<宿主>となるわけではないので、魔女の身勝手といえばその通りなのだ。
それでも、莉子の周囲の魔女と<宿主>は、みんな仲良く暮らしている。どちらかというと、目のやり場に困るほどの、ラブラブないちゃいちゃっぷりを見せつけられるほどなのだが。
(どうしたら、この人にわかってもらえるんだろう……)
莉子はワイドパンツの膝の辺りをぎゅっと握り、混乱する感情を押しとどめていた。
「とにかく、あなたには先程の破魔女について伺いたいのです。まずは取り調べをおこないますから、どうぞこちらへ」
橘は手をつかんで莉子を立ち上がらせようとした。彼の手に力がこもった瞬間、莉子の体がビクッと震える。それは、震源地の手から全身へとすぐに伝わっていく。
痛みにも似た大きな鼓動を感じながら、莉子は胸の奥から熱い吐息を漏らしていた。
(……どうしよう。この人が……欲しい)
そんなこと、思っちゃいけない。
心の底から湧き上がるその思いを否定するほどに、莉子の体はぴりぴりと痺れ始めた。
「どうしたんです?」
なかなか動こうとしない莉子を不審に思い、橘が振り返る。そこには、昨日と同じように豹変した莉子がいた。
潤いに満ちた肌や熱のこもった瞳は、思わず触れたくなるほどで、赤く染まった唇には口づけずにはいられない――そんな魅力をたっぷりと湛えて、莉子は橘を見ていた。そんな彼女の「誘惑」に導かれて、橘の心の奥にも一瞬で炎が立った。
女性としての魅力を全開にしている莉子の姿は、橘にとっては「ごちそう」のように思えた。空腹のときに、目の前にステーキやら満願全席やらフルコースやらを並べられているような、欲望を直接刺激するものだ。
このまま彼女に触れてしまいたい――脳内に見えない触手が食い込んで、そんな渇望だけを橘から引き摺り出している。彼は無意識で、空いている手を莉子へとのばしていた。だが、必死でその動きを阻止する。
これが魔女の正体に違いない。引っかかってたまるか。
橘は奥歯を噛みしめ、体の中で生まれつつある熱を深呼吸でやり過ごす。
「ほら、こんな状況でも、そんな顔で僕を誘惑しようとしているじゃないですか。それが魔女の――あなたの手口なのでしょう?」
「ち、違います!」
好きでこんな状態になっているわけではないのに、なぜこの人は酷いことを言うのだろう。
莉子は湧き出た憎しみをぶつけるように睨むものの、橘はそっけない態度のままで莉子の手を引っ張った。
「あなたたち魔女は、身勝手なんですよ。人間の男の欲望をうまく利用して、この世界に入り込んでいるのですから」
それはまるで、魔女に恨みでもあるかのような口調だった。橘の瞳には、昨日見たような優しさは少しも残っておらず、ひたすら魔女の存在を否定する意志だけが見えていた。