2-5
「それって、本当なの?」
莉子が箒をバックさせて、友香へと近づいた。友香は必死に思い出そうとしているのか、色白の肌の眉間にシワを寄せている。そこに亜由美までもやってきて、急かすような早口で煽った。
「いつ? どこで? 誰に聞いた?」
「それが思い出せなくって……。絶対にこの前、どこかで聞いたはずなんだけど」
「早く思い出してよ! 莉子の人生がかかってるんだから!」
「わかってるってば!」
友香は記憶を引っ張り出すかのように、頭を何度か右手の拳で小突いた。だけど脳内から「トクジン」「タチバナ」に該当するテータを見つけられなかったようで、急に肩を落としてしまった。
「……ごめん、莉子ちゃん。やっぱり思い出せないよ」
「いいよ。大丈夫。気にしないで」
「でも、莉子ちゃんの<宿主>の手がかりだし……」
「ううん。友香ちゃんは全然悪くないよ。昨日あの人に、名前も聞けなかった私が悪いんだもの」
あのとき、あの別れ際で男性を引き留めていれば、いくらでも名前や連絡先を訊き出せたはずなのだ。それができなかったのは、どう考えても莉子の責任だ。
「何事も即行動」をモットーにしている母の真麻だったら、首根っこをつかんででも男性を自分のものにしていただろうし、亜由美や友香のような魅力的な魔女ならば、男性の方からなんらかのアプローチがあったに違いない。
自分からは行動できず、相手からもなんの反応もなかった。それが、莉子の魔女としての実力そのものであるに違いない。
箒の下に広がる夜景に向かって、莉子は溜まっていた思いをこぼした。
「結局、私には<宿主>を探すこと自体が無理なんだよ。もともと魔女としての能力も低いし、男の人も苦手だし……」
「なに言ってんの? 私も友香も、莉子のことが心配だから、必死になってるんだよ!」
「そうだよ! あと3ヶ月あるんだから、最後まで諦めちゃダメだからね!」
亜由美と友香は、一生懸命に莉子を励ましてくれている。だけど今は、2人の言葉はむなしい響きとなって莉子へと伝わり、夜の中に溶けていくだけだ。
彼女たちの励ましが消えていくと同時に、3人の前方から奇妙な音が聞こえてきた。ドン、ドン、と地響きにも似た連続音と空気を切る鋭い音が混じって、上空の空気をも震わせている。そして時折、ゴゴゴゴ、となにかが崩れるような音も加わっていた。
下を見ると、大きな交差点の近くにある小さなビルの横に、黒い塊が蠢いていた。
「もしかして、あれがみずほさんなの?」
「……うん」
「今日も来たんだね、みずほさん……」
莉子が破魔女となったみずほを見るのは、初めてだった。一般的な破魔女よりも、確実に一回りは大きく見えるその姿に、莉子は思わず息を飲む。
「さぁ、行くよ! みずほさんが暴れ出す前に、処分するからね!」
亜由美のカラ元気にも似た勢いに釣られて、莉子と友香も
「わかった!」
と大きな声で返事をした。
3人は亜由美を先頭にして、みずほがいる場所の上空へと進んでいく。破魔女を処分するためには、その魔力をすべて吸い上げなくてはならないため、破魔女にある程度近づく必要があるのだ。
「ここから降下!」
交差点近くに辿り着くと、亜由美は手をサッと下に向けた。それに応じて、莉子と友香はそれぞれの箒を踵で蹴り上げる。水平を保っていた2人の箒の柄は、前方に45度の角度で傾き、一気に街へと滑降していった。
切るような風の痛さを頬に感じつつ、真っ暗に近い場所から、街の灯りが反射するところにまで下降する。次第に近づく街並みからは、恐怖に染まった叫び声が聞こえてきた。
「き……きゃーっ!」
「お、おい! なんだよ、あれ!」
「バ、バケモノだ……。バケモノがいるぞーっ!」
街中へと近づくほどに、その声は増えて大きくなり、逃げまどう人々の姿もはっきりと見える。大通りへと駆け出す彼らの背後には、ゆらりと動く巨大な黒い影があった。それは破魔女となったために、全身から溢れ出た魔力に包まれたみずほの姿だった。
魔女が自らの魔力を制御できなくなり、魔力そのものに肉体を乗っ取られてしまった存在――それが破魔女の正体だ。
破魔女の周りには、体から溢れた魔力が黒い幕となって覆いかぶさり、魔女を核にした巨大な細胞のような姿となっている。そして中心にいる破魔女は、すでに意識も理性も失い、ひたすら魔力だけを生み出す存在になっているのだ。
今、莉子が目の当たりにしているみずほも、魔力が凝固した物体となり果ててしまっていた。それはビルの横の道路を移動し、進む先にいる人間たちを見つけては、魔力で吹き飛ばしている。
(みずほさん、どうして……)
莉子は思わず目を背けたくなった。優しくて綺麗で、魔女としても優秀だったみずほが、自らの魔力に支配された化け物となってしまったなど、認めたくはなかった。
それに……このみずほの姿は、もしかすると、3ヶ月後の莉子の姿であるかもしれないのだ。こんなものに自分がなってしまうなんて、今の莉子は考えたくもないし、まったく考えられない。
「友香! 莉子! 三方向に散らばって、一斉に魔力を吸い上げるよ!」
亜由美の声が前方から聞こえ、莉子が返事をしようとしたときだった。目の前が一瞬で明るくなり、辺りが白い光で包囲されていく。
「うっ……ま、眩しい!」
「な、なんなの、これ?!」
莉子たちは目を開けられず、一度箒で上昇し、光が届かない場所まで移動した。そこから目を細めつつ下を見ると、大通りにいくつものサーチライトが並んでいた。
この光の正体はこれが放っているビームのようで、すべての光がみずほへと放たれていた。しかもその周辺には、黒塗りの車両やスーツ姿の人がたくさん集まっている。
「うわっ! またあいつらだよ! なんで邪魔してくるんだよっ!」
舌打ちをしながら、亜由美は足をバタバタさせた。グラグラと揺れる亜由美の箒の横で、友香も諦めのため息をついている。
「これじゃあ、今日も処分は無理かもねぇ……」
「ねぇ、あれってなんなの?」
一人状況をつかめない莉子が尋ねると、
「警察庁のやつらだよ!」
と亜由美が投げやりに答えた。
「あいつらは魔女にも破魔女にも発砲してくるからさ、私たちもみずほさんに近づけないんだよ。あーあ、今日も結局、無駄足かぁ……」
がっくりとうなだれる亜由美の後ろでは、友香が
「あれ?」
と小さく呟き、コンコン、と頭を小突いていた。
なにをしているのか、と莉子が見ていると、友香はいきなり目も口も鼻の穴も広げて、
「あーっ!!!!」
と絶叫した。
「お、思い出した! 思い出したよ! あの人だ!」
「はぁ? なんのこと? こんなときになに言ってんの?」
いつもおしとやかな友香の急変に、亜由美がダルそうな視線を向ける。友香はそれをはね除けるように、さらに大きな声を上げた。
「だから、思い出したんだって! 『トクジン』の『タチバナ』を!」
「ほ、本当に!?」