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姫様の側近殿  作者: 七夕
側近殿と日常
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側近殿と宮廷医師



「きゃああああああああッ!アイリスッ!」


 その日一番の、姫の悲鳴が響き渡った。



***



 今日は、姫の初めての乗馬訓練があった。ちなみに、乗馬指導を担当するのは側近の彼女だった。

 はじめは馬に触れるところから繰り返し、その後姫を抱きかかえながら乗馬し、コツを交えて教えていた。馬のような大きな動物と接近するのが初めてだった姫は、最初こそ怯えるあまりアイリスの背後にぴったりと寄り添っていたが、徐々に慣れ、馬にまたがれるまでには落ち着いた。

 だが、やはりまだ恐怖心は残っているようで、抱きかかえる小さな身体から緊張が伝わってくる。これは今日中に一人で乗るのは無理か、と察したアイリスは、時間も迫っているので、訓練はここまでにしようと姫に声をかけた。


「姫様、今日はここまでにしましょう」

「……いいえ。いいえ、アイリス。私、一人で乗ってみます!」


 しかし、意外にも負けず嫌いなのか意地を張っているのか、姫は一人で乗ると言い張って譲らなかった。一日でも早く乗れるようになりたいと、彼女の中の向上心がそうさせるのだろうが、アイリスは心配だった。

 無理をするのは上達に繋がらない。だが、姫の向上心を曲げてしまう様な事をしてはいけない。どうしたものかと思案していると、姫は不安そうに彼女を覗き込んでいた。上目遣いで、うるうると。


「だめですか?アイリス……」


 可愛らしい彼女に潤んだ目で見上げられると、アイリスは弱かった。暫しの葛藤の後、ぐっと堪える様に言葉を絞り出したのである。


「危険だと感じたら、直ちに中止致します」

「ありがとう!アイリス……!」


 その判断がいけなかった。


 姫が一人で馬にまたがった途端、バランスを崩して咄嗟に馬の鬣を思い切り引っ張ってしまったのだ。驚いた馬は暴れ出し、姫の身体が宙に投げ出された。

 咄嗟にその身体を受け止めようとしたアイリスだったが、勢いに呑まれ受け身が上手く取れず、腕を捻ってしまったのである。

 姫は無事であったが、姫の下敷きになって倒れ込んだアイリスは、暫く動けなかった。


 それ故の、冒頭の姫の悲鳴であった。




***




 訓練は中止された。姫は騎士たちに頼んで部屋に連れていってもらい、側近の彼女は痛む腕を押さえて医務室へ向かっていた。

 折れてはいないと思うが、赤く腫れあがった腕は何もしないまま治るとは思えない。湿布薬だけ貰って、直ぐに姫の下へ戻ろうと思っての行動だった。


(姫様を、泣かせてしまった……)


 涙を目に溜めながら何度も何度も謝る姫の姿が脳裏に浮かぶ。「私のせいで……ごめんなさい」と抱きつかれた時には、アイリスはこれ以上ないほど後悔したのだ。

 姫を受け止めきれなくて怪我したことと、そのせいで泣かせてしまったこと。そして、全てはあの時、姫を一人で乗馬させるなど初めから止めておけばよかったのだ、と。


(甘かった。大甘だった。自分の未熟さが情けない)


 急な状況でも姫を守り、自分も無事でいられるよう今まで以上に訓練しなければ、次は姫に怪我を負わせることになる。また泣かれてしまっては心苦しい。

 医務室に到着するまでの間自分に腹を立て、責め続け、後悔しっ放しだった。そんな彼女と廊下ですれ違った者は、背後にどんよりしたものを背負うその姿を見て、一体何事かと首を傾げていた。


 医務室に到着して扉を叩く。間を空けて何度か繰り返したが、何故だか反応が返って来なかった。


「……誰もいないのかな?」


 ドアノブをまわしてみれば、カチャリと音を立てて扉が開いた。そーっと中を覗いてみるが、部屋の中は静けさが張り詰められている。誰もいないのかと判断し、アイリスは湿布薬だけ貰っていこうと中に入った。


 中に入ると薬品の匂いが鼻を掠めた。診療台と問診用の椅子が二脚。奥にはベッドのある仮眠部屋と、もうひとつはドアの締め切られた部屋がある。他のスペースは、大きくて分厚い本が何冊も積み重なっている山がいくつもあった。


(えーっと、湿布は……)


 壁一面にある薬棚を眺め、湿布薬のある場所を探す。が、その数が多すぎて中々見つからない。医務室にあまり来たことのない側近の彼女は、端から順に目で追っていく。

 すると、案外湿布薬のある棚は早く見つかった。問題はそれがある場所だった。


(結構、高い……届くかしら?)


 腕を伸ばして届くか届かないくらいの高さに、湿布薬の引き出しがあった。何か踏み台になるものは無いか辺りを見回してみるが、問診用の椅子は足が一つなので乗るには危険だと判断し、診察台も固定式のため移動が出来ないと察したため、代用できそうになかった。

 仕方がないとアイリスは身を乗り出して腕を伸ばす。だが、中々届かない。こういう時自分の身長がもっとあればと思う。しかし、現実を見ろとばかりにアイリスの手はやっぱり中々届かない。


 今だけでいいから腕が伸びないか、と本気半分で思ったその時。

 背後からすっと、別の手が伸びてきた。


「何枚?」


 彼女の背がぞくりと震える。

 耳元に、低くもよく通る声が囁くように落とされた。


 驚いて呼吸が止まる中で背後を振り返れば、眠たげな瞳と眼が合った。


「……何枚?」

「は」

「湿布」

「あ、い、一枚」

「ん」


 そう答えると背後から伸びてきた手が棚から湿布を一枚、ひょいと取りだした。そのまま目の前に差し出される湿布を、目を丸くしながらも恐る恐る受け取る。


「ありがとう、ございます……」


 驚きで心臓がばくばく言っている中、礼を述べる。そうすると背後から人が離れた気配を感じ取り、そこでようやくアイリスは呼吸が出来たような気がした。


 ゆっくりと振り向けば、白衣を来た男の背中が見える。深緑のようにも見える黒い髪に、象牙色の肌。眠たげな瞳の色こそ深い緑で、ぼんやりしているのか無表情に近い。その顔つきを見ると、随分若いことがわかった。

 しかし、首にぶら下がっている任命証であるチョーカーは、間違いなく宮廷医師を示す白色。ということは、この男は宮廷医師で間違いない。

 彼は問診用の椅子に座ると、荷台にある包帯を手に取りながら口を開いた。


「座って。腕、診るから」

「え……どうして、腕を怪我してるって」

「見れば分かる」


 それきり何も言わず、目で座れと訴えてくる彼に、アイリスは大人しく従った。キィという椅子の音が、やけに静かに響いた気がした。


 それから一言も話すことは無く、アイリスの腕には湿布が張られた上に包帯が巻かれ、処置は終わった。しかもアイリスがお礼を言う前に、白衣のその男は何も言わず奥の部屋に引っ込んでしまったのである。


 扉が閉められ、声をかけるのも憚られる雰囲気がその場に漂っていたので、アイリスは苦悩の末、問診用に備えてあった机に礼の書置きを残して医務室を出たのだった。




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