側近殿と魔術師、夜明けの星 2
宮廷魔術師は国の有事を察知すると姿を現し力を発揮する。公にされていない今回の騒動も、同様に彼の耳に入っていた。
しかし行動を起こさなかったのは、自分の出る幕は無いとはじめから分かっていたからである。彼の棲む部屋の中央にある、星の羅針盤がそう指し示していた。必ず当たる占いの結果の通り、事実、彼の力を借りずとも事は解決へと向かっていった。
ただ、気に掛かる事がひとつあった。
それは以前、この部屋で看病した一人の女剣士が、この騒動の核に関わっていたことである。
全てを映し出す魔法の鏡で視たのは、ドレス姿ながらも血塗れの中で剣を振う彼女の姿だった。
共に視ていた精霊たちが小さく悲鳴を上げ、顔を青くして涙交じりに騒ぐ。微かな魔力の揺らめきが起き、暴発されても困るので咄嗟に宥めて落ち着かせる。そうしながらも、魔術師自身もこれには動揺を隠せなかった。心臓が嫌な音を立て、額に嫌な汗が滲むほどに。
だからなのか。今朝、必要ない事だと頭では分かっていながらも、声を掛けてしまった。こちらの声を覚えていて、何の厭いもなく目を真っ直ぐ見てくれる彼女の黒い瞳を見て安堵したのは本当の事だ。鏡越しの血塗れの姿がずっと頭から離れなかったため、自分の目で無事を確認したかった。
しかしである。寒空の下、ぼんやりとした表情で佇んでいるその姿。どこか泣きそうだとも思った。それほど彼女は思い詰めており、問いかけずにはいられなかった。こんなこと、初めてだった。
人間よりも遥かに長い時間を生きる魔術師は感情が無いと言われている。感情を失くしてしまうとも言われているが、どちらなのかはわからない。故に、魔術師たちには誓いが全てだ。魔術師となった時に誓いを立てた国を脅かすものに対して、鬼にも悪魔にも、脅威にもなれる。それ以外には執着する事が無い。それしかないのだ。
そんな彼に、不思議な感覚が訪れたのだ。
それがどういう意味を持つのか、永き時を生きてきた彼にはわからない。
(わからない、が。気になる)
眉間に皺を寄せて「なんでもない」と嘘を吐いた彼女。静かに頭を撫でてやると俯き、微かに震える細い肩。起こった騒動については全て知っているはずなのに、彼女が何に苦しみ、ぼんやりと空を見つめなければならないのか、結局のところわからなかった。
(他人の気持ちがわからないということが、こんなにもどかしいものだとは)
あの時のように熱を出しているわけでもない。どこか怪我を負っている様子もない。寒がってるわけでもなく、頭を撫でてやっても絆されない。ただ、「色々あり過ぎたのだ」と一言零して、彼女は笑顔の中に思いを閉ざしてしまった。なんて、もどかしい。
(何故、あんな風に笑う)
無理をした笑顔を思い出し、魔術師は胸の中に黒い塊が産まれるのを感じた。それは雲のように大きく膨らんで、やがて雷を帯びる。
(そんな顔が見たいわけじゃ、なかった)
ただ、あの時のように。
星みたいだと言ってくれた時のように、微笑んで欲しかった。
***
「あら?」
翌朝、目が覚めて窓を開けようと思った時、アイリスは驚きの声を上げた。
窓枠に何かが置いてある。窓を開け、手を伸ばしてそれをそっと手に取った。
「花束、よね?これ」
手に取ったのは、小さい白い花たちを細い碧のリボンでくくった、小さな小さな花束であった。
窓の外を見ても誰もいない。朝鳥の可愛らしい鳴き声が耳に届くのみであった。昨晩の内には何もなかったのだが、きちんと整えられているそれを見て、風で飛ばされてきたわけでもなさそうだと考えられる。
どうしようかと悩んだ末、放っておくわけにもいかず、花瓶に水を差して活けることにした。朝の風が花の匂いをアイリスへと促し、心地よい香りが満たす。その瞬間はとても気分が良くて、自然とアイリスの顔は綻んでいた。
「いい匂い」
穏やかな朝食時に花を眺めると、なんだか心が安らいだ。
――それから彼女の元へ、毎朝小さな花束が届くようになった。
窓辺にちょこんと置かれるそれは決して高価なものではなさそうで、森や野に咲いていそうな花たちばかりである。毎回その色と香りは様々であったが、どれも彼女の好みにあったもので、毎朝の時間を癒しへと変えていったのである。
今日でその花束も五つ目となった。こうも続いては単なる偶然でない事がはっきりとわかる。誰かの仕業に違いない。では、一体誰がこんなことを?
不思議に思い始めていたアイリスの疑問は、次の六つ目の花束で解決されることになる。




