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姫様の側近殿  作者: 七夕
側近殿、舞踏会に参加する
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お待たせ致しました……!




 ひゅんっと空を切る音。迫り来る切っ先。

 鞘から剣を抜くには間に合わぬ距離だと瞬時に判断し、咄嗟に身体を右にずらして剣をかわした。空を切ったのは短剣で、それはアイリスの背後にある荷箱の山へ深く突き刺さった。

 無理な体勢からの回避にヒールを履いた足元がぐらつくのを無理に堪え、アイリスは一歩飛び退いて距離を取る。今度こそ鞘から剣を抜き目の前に構えた。刃の向こうには先程剣を向けてきたエルザを据え置き、圧を抑えぬまま見据えておく。そしてすぐ背中にある姫を肩越しからちらりと一度見やっては、また前を向き直った。


「姫様、お怪我は」

「私よりもアイリス!あなた、頬から血が……!」

「この程度の傷、何ともありません」


 言いきるアイリスの頬からは剣先が掠めたのか一筋の傷が宿っており、そこから一線、紅い血の筋が描かれていた。

 姫を庇うように目の前に立つその計算された動きに無駄はないものの、舞踏会用のその装いでは剣を持つには聊か不安を覚える。鎧を纏う相手に対し、アイリスは肌の露出が多い。一度でも斬り付けられてしまえば簡単に傷ついてしまうだろう。頬の傷のように。

 胸元で両手を握り締める姫の眉はすっかりハの字を描いてしまった。しかし彼女の耳元に下がる星の耳飾りが目に入ると、きゅっと口を引き結び前を見据えたのである。アイリスを従える主君として己の心を奮い立たせた。助けが来るまで、今は彼女を信じるほかない。


「姫様。この部屋へ来るまでの記憶はございますか?」

「それが、はっきりとは分かりません。ドレスを着替えに控室へ行った事ははっきり覚えていますが、そこからは……眠っていたのか、目が覚めた時にはこの部屋に」


 声を潜めて尋ねれば、なんとも曖昧な答えが返って来た。やはりナターシャ達と同じように、姫もナナリアで眠らされ、その間にこの部屋へ連れてこられたのだろう。

 姫の無事を確認するとアイリスは剣を構えたまま思案した。


 この場所に姫が居て、目の前にはエルザ。今短剣を投げ、アイリスの頬を傷つけたのは彼女である。

 広間で合流した時とは打って変わったその様子。鞘から引き抜いた己の剣を構え、その切っ先をアイリスに向けて佇むその姿。そして彼女がこの部屋へアイリスを誘導した事実。


 それらから推測できる事と言えば、もう一つしかない。




「姫様をこの部屋へ連れ去ったのも、ナターシャ様達を眠らせたのも。全て貴女の仕業ですね」




 問い詰めるでも確定するでもない声調でアイリスが目の前に向かって告げる。対峙しているエルザは兜の下に表情を隠したまま何も言わない。是か否か反応が伺えない。

 ならばと、アイリスは、今までに得た情報のすべてから辿りついた憶測を並べていく。


「先程、貴女から微かにではありますが、ナナリアの香りがしました」


 ――それは先程、硝子片の散らばる床にエルザが膝を付いていた時の事だった。

 ふわりと鼻を掠めたのは覚えのある甘い匂い。会話の途中で彼女からほんの微かに香ったそれの正体が何なのか、事が起こる直前に東の控室に訪れていたアイリスには簡単に判った。


「強力な香りで悪影響も強いため、人を入れぬよう部屋には騎士団による警備が立たされていたはずです。調査を終えてから配置をしたので、警備が立ってから何方かが入った形跡もない。なのに貴女からナナリアが香るということはそれ以前、――事が起こってから騎士が調査に駆け付けるまでの間に部屋に入ったことになる。しかし、事件の発生を報告に来たのは貴女ではなく、別の騎士と伺っております」


 加えてこの状況である。何の意図も無しに部屋に入ったとは流石に思えない。

 そしてアイリスはちらりと背後を一瞥すると、続けて口を開いた。


「それから……あの時・・・、弓を射ったのも貴女でしたか」

「!」


 中庭で起こった一連の出来事を、詳しくは言わなかった。しかし、ぴくり、とエルザの身が一瞬だけ震えたのだ。

 やっと得られた反応に内心で拳を作りながら、アイリスは続ける。


「今貴女が投げた短剣は、宮廷弓士が接近戦用に持たされているもののはず。ついている紋がその証拠です」


 アイリスの言葉に、背後に居る姫が思わず少し離れた荷箱に突き刺さっている短剣の柄を確認する。よく見れば確かに、宮廷弓士団の象徴である鷹の紋が柄に彫られていた。振り向きざまのあの一瞬でよく見えたものだと姫は驚きを隠せない。

 ――矢だけでは戦の中生きていけないと、ラザフォードでは弓士に短剣を教え込む。接近戦になってしまった時、最低限対応できるように訓練しているのだ。それをアイリスは知っていたのである。


「弓矢と短剣については管理状況の調査を行えば直にわかるでしょう。倉庫から在庫を持ち寄ったのか、或いはどなたかから抜き取ったのか」


 得られた情報を元に、浮かび上がる可能性から考えた予測を立て次々と並べたが、それを聞いてもエルザは口を開く事はしなかった。一方で否定をする素振りもない。図星なのだろう。




 




「そこまでお分かりですか」


 感情の色を持たぬ声の後、兜の下から小さく舌打ちが聞こえた。今までじっと黙って聞いていたエルザがアイリスに剣を向けてから初めて口にした一言である。これからどういった反応が来るのか。いつでも対応できるよう剣の柄を握る己の手にぐっと力を込め、アイリスは内心で身を引き締めた。


 かと思えば次の瞬間、彼女が剣を鞘に仕舞った。

 予想外の行動に気を緩めぬままそれを見守っていると、エルザは不意に両手を持ち上げ、己の兜に手を添えたのである。


「ならば今更否定など、見苦しい事はしません」


 カシャン。と兜が床に落ちて音を立てた。一つに結んである長い髪が兜から解放されてさらりと揺れた。


 エルザは非常に整った容姿をしていた。大きな目、高い鼻梁、長い睫毛に小さな唇。頬にある小さな吹き出物を覗けば、本日の舞踏会に来ている令嬢よりも目を惹くのではないかというくらいには。

 しかしその素顔を見てアイリスが一番初めに受け取った印象は、目つきである。

 目は充血で血走り、その下には濃い隈があった。非常に焦燥しきったような、憂いを帯びた眼差しも気になった。

 騎士の誇り高き表情を毎晩の稽古で見ていたアイリスにとって、エルザの顔つきは首を傾げてしまうほどである。彼女に何かあったのかもしれない。それが今回の犯行に及んだ原因かもしれないとさえ思われるほどに。



「何故、このようなことを?」


 兎にも角にも、どうやらアイリスの読みは外れてはいないようである。そうであるならば、今回の事件の犯人はやはり彼女で間違いないのだろう。

 恐らく先程の、侵入者の件も偽りなのだとしたら、この場所へアイリスを導いた事に対して何らかの理由があるはず。

 彼女の狙いは何なのか。姫か、アイリスか。それとも二人ともか。それさえはっきりすれば、アイリスも自分が取るべき行動を選択できるのだ。


「狙いは姫様ですか。それとも、私でしょうか」


 互いを見据え視線を交じり合わせるだけの時間が暫し続いた。背後では姫がこくりと唾を飲み込む小さな音が聞こえる。

 静かに呼吸をし、アイリスはエルザの反応を待った。





「――許せないのですよ。貴女が」


 やがて口を開いたエルザの第一声は、唸るようなものであった。



「貴女の取った行動は、我々を侮辱したに等しい」




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