側近殿と伝令役
ふわあと欠伸が響くこの場所は、城の屋根であった。
(昼寝をするには絶好の場所だな)
城下が一望できるこの場所はとても高く、人がいることはまずあり得ない。つまり、誰かに見つかる可能性はない。サボるのはうってつけの場所だった。
王子付きの伝令役であるこの男は、名をアーサーという。
元はフリーの傭兵であったが、道中遠征に出ていたフォルモンド王子に遭遇し、その腕を見込まれて伝令になった。
そんな傭兵出身の彼にとって、王族貴族のしきたりは余り好ましくない。今日も城では交流を目的としたパーティーが開かれている。参加しろとフォルモンド王子には言われていたが、結局出たのは一瞬で、その高貴な空気が嫌で結局逃げてきたのだ。そして現在に至るのである。
高貴な服が汚れるのも構わず、アーサーは横になっていた身体をごろりと返し、目を閉じた。
髪を撫でるようなそよ風が心地よい。日の光が温かい。こんな日に堅苦しいお貴族様を相手にするなんて馬鹿げている。
天国のようなこの場所で、誘ってくる睡魔に従わない方が阿呆らしいとばかりに、アーサーは意識を心地よさに委ねた。
***
身体を控えめに揺さぶる誰かの気配を感じて、アーサーは眠りについていた意識を浮上させた。刹那、ばちっと目を空ける。
「お……」
誰もいるはずがないと思っていたため、人の気配に驚いたのと。目の前に飛び込んできた女の顔に、一瞬息が詰まった。
傍らに両膝をついた剣士服の姿。アーサーを起こすためにその肩に触れていた手。まとめられた黒髪。この者が誰だか、アーサーは知っていた。
「お目覚めになられましたか。伝令殿」
アーサーの反応が疑問なのか、首を傾げながらもその者は口から澄んだ声を落としていく。風に黒髪をさらりと揺らされながら、完全に目覚めたアーサーの肩から手を離した。
起き上がったアーサーは彼女に向き合うと、やや呆れたような表情で溜め息を吐いた。
「なんでここにお前がいるんだ。それに、どうやってここまで……」
あのお姫様の側近であるアイリスが、何故このような屋根の上にいるのか。ここは自分しか知らない場所の筈だと、内心で焦りながら問いかける。するとアイリスは「何故って」と、きょとんとしながら答えた。
「フォルモンド殿下が伝令殿をお探しでいらっしゃいました。姫様は一時殿下に任せ、私に貴方を探し出すよう命を承りましたので。ここまでは自力で登って参りました」
女がここまで登って来ること自体驚きなのだが、この側近なら出来てしまうのだろう。そこには特に驚かなかったが、別の事が気がかりである。アーサーは肩を落としながら、淡々とした彼女の台詞に自分の主の姿を思い浮かべた。
きっと素晴らしい笑顔でキツイ指令を言い渡すのだろうことが簡単に予想できる。つまりは、サボっているのがバレたのだ。彼女の台詞から伺える背景からそう察し、げんなりする。
正直行きたくないと思いながらも、ふと疑問が浮かんで彼女の顔を見やった。不思議そうにこちらを見返すその瞳は真っ黒で、吸い込まれそうになる。
「……何でここが分かったんだ?」
この馬鹿みたいに広い城の中を捜し回るのは根性が要る。それも一人で。それも女が。それなのに、パーティーからアーサーが抜け出してからまだそんなに時間が経っていない。ということは、予めこの場所にアーサーがいることを彼女は予想していたことになる。
そこまで推察した上での質問に、アイリスはなんとも無さそうに答える。
「伝令殿は、人気のない場所を好まれるでしょう?それでいて気持ちが安らげる場所を」
彼女は空を見上げる。太陽の温かい日差しを受けて目を細めた。
「こんなに天気の良い日には、昼寝をしたくなるのではないかと」
そこまで考えると真っ先に浮かんだ場所がここだったのだという。彼女の発想力も含め、その推察力には驚きだ。彼女がただの側近ではないことが伺える。
なんにせよ。居場所を突き止められたことと、この場所を自分以外の者に知られたことは気分がよくない。かといえ彼も仕事なのだ。こうなっては逃げられまい。
「わかった。直ぐに行く」
諦めたように溜め息を吐いたアーサーの言葉にひとつ頷くと、彼女は立ち上がった。そして何を思ったのか、こちらに手を伸ばしてきたのである。そして何の前触れもなく、アーサーの髪に触れた。
「っ……!」
ぴくりと一瞬震えてしまう。
何事かとアーサーが咄嗟に身を引くと、彼女の手には一枚の葉があった。
「も、申し訳ありません。葉がついていたものですから」
「いや、悪いな」
困ったような彼女に短く返し、アーサーは立ち上がるとくるりと背を向けた。
「先に行け」
「え?ですが」
「心配いらねーよ。ちゃんと後から行く」
有無を言わせない彼の言葉に戸惑いながらも、彼女は暫く間をおいて「失礼します」と一言残してその場を去った。姫の下へ戻ったのだろう。
彼女の気配が消えた時、アーサーは溜め込んでいたものを一気に吐き出すように息を吐いた。そして片手で自分の口元を押さえる。
先程。彼女に触れられて一瞬震えてしまったことを後悔しながらも、触れられた感触が嫌に残っていることに気付いた。さらには寝惚けながらも感じた肩に残る手の温もりまで思い出して、微かに頬に熱が宿った。
華奢な手。
あの手でよく剣を握れるものだ。
彼女の白い手を思い出し、少しの間意識を支配される。
「……何やってんだ、俺は」
そんな自分自身に呆れながらも、気を取り直して、我が主に粛清される覚悟を決めながらその場を去った。






