側近殿と宮廷医師、休憩中にて
休憩中の時間を利用し側近の彼女は医務室を訪れた。
宮廷医師の彼の適切な処置のおかげで腕の怪我は既に完治しているし、特に他の怪我をしたとかではない。訪れた理由は彼女の手にある、先日アーサーと共につくった菓子を箱詰めしたものにある。
(作りすぎちゃったからお裾分けできるといいのだけど。こないだのお礼も兼ねて)
当然だが、予想以上にたくさんのスイートポテトが出来上がり、アイリスはここしばらくそれを知り合いに配るのが日課になっていた。もちろん姫には気づかれないようにこっそりと。でないと一緒に作る約束をしていたのに先に作ったことで泣かれてしまうかもしれない。
おまけに甘味好きのアーサーの提案により、紫芋でプリンまで作ったのだ(大量の芋の処理のためだ。言っておくが彼のおかげで絶品のものが作れた)厨房のシェフも太鼓判を押した素晴らしいものが作れてしまったことは、姫の耳には入れないでおきたい。あくまで練習が今回の目的だったのだから。
その事情を昨日の晩フレントールに話したところ、協力すると言った彼の声掛けで多くの騎士の腹へと収まったスイーツたち。おかげで残すは宮廷医師の分だけとなった。完治した腕の礼も含め、今から渡しに行こうと思った彼女の今回の行動である。
ノックをして一声かけ、部屋の中へと入る。変わらず鼻を掠める薬品の匂いは厭うほどのものではない。その医務室独特の雰囲気を感じながら足を進める。だが、目的の人の姿はなかった。
(留守かしら……)
辺りを見渡すが他に人影もなくがらんとしている。直接手渡すことは叶わないかと残念に思い溜め息を零す。諦めて作業机に置き手紙を残して置いていくしかない。本当は直接完治した腕の礼を言いたかったのだが、と肩を落とした。
だがそこでふと奥を見やると、仮眠室の扉が微かに開いていることに気がついた。
もしかして、彼はそこにいるのかもしれない。本当に何となく思ったことだが、アイリスのその予想は当たっていた。
中を覗くと、仮眠室のベッドに横になる宮廷医師の姿があった。
「失礼します……」
小声で一言断りを入れるが恐らく聞こえていないだろう。穏やかな寝息が聞こえてくる。足音をたてぬようベッドへ歩み寄れば、彼の寝顔が見えた。無意識に覗き込む。
窓から差し込む日差しが作る睫毛の影。すっと通った鼻筋に薄い唇。開いた窓から吹き込む心地よい風が、彼と彼女の髪をさらりと揺らした。
(……綺麗な顔)
あまり意識したことが無かったが、こうして見ると彼は驚くほど綺麗な顔をしていた。一見女性と思われてもおかしくないのではないか、とは流石に口に出して言えないが、それほどに。しかしどこか幼く見えるのもまた不思議だった。
そこではっと我に返る。
眠る殿方の顔をじっと見るのはあまりにも無礼ではないかと。慌ててさっと視線を逸らし、目的を思い出す。箱詰めした菓子をどうしたらよいのかを。
幸いベッドの傍らには小さな机がある。また書置きを残し、それと共にそこに置いておこうと決めた。携帯用の羽ペンとメモをポケットから取り出し、備え付けてあった椅子に座りその机でさっそく短い手紙を書く。
「ん……」
その時だった。短い声がして振り向けば、深緑の瞳と眼が合ってアイリスは驚いた。
「ごめんなさい。起こしましたか?」
「……」
横になったまま半分ほど開いた目で彼女を見上げる彼。人の気配を感じたからだろうか。先程まではよく寝ていたのに、邪魔をしてしまったかと申し訳なく思った。
ぼんやりと彼女をじっと見つめる彼は暫く何も言わなかった。寝惚けているのだろうか、とアイリスも様子を窺うために見つめ返す。
さらり、とそよ風が再度髪を揺らした。静かな空間が広がる。
「先生?」
少し驚いたように声に出した理由は、彼がアイリスの腕を取ったからだ。とはいうものの眠気で力が入らないのか、手は腕をそっと握るに留まったのだが。
「腕は……?」
寝起きのせいか掠れた声で問われる。何故か言い知れぬ色気の様なものを感じてしまい、アイリスの心臓はどきりと鼓動を鳴らした。それを抑え込みながら答える。
「先生のおかげですっかり治りました。丁寧に診て下さってありがとうございます」
「……そう」
言葉少なながらもほっとしたような返事を返した宮廷医師は、ゆっくり一度瞬きをした。とろんとした目が閉じかけて、再び深緑が相見える。今にも眠ってしまいそうなほどまどろんでいるのにもかかわらず、その瞳は綺麗に輝いていた。
「……来ない、から」
「え?」
「あれから、ずっと……気になってた……」
ぽつり、ぽつりと零したその言葉にアイリスはとても驚いていた。
話に聞いていたのだが、この城における宮廷医師は今のところ彼ともう一人しかいない。こないだの手術がいくつも重なったりというのを例に、彼はとても多忙な身なのだ。それ故に、アイリスの腕の怪我をいつまでも気にかけている暇などないと彼女自身も思っていた。今回礼を言ったとしても覚えてないことも有り得るだろうとさえ予め予測したほどだ。
それなのに、と彼女は目を丸くして彼を見返す。
今仮眠室で寝ているのだって多忙のあまり疲れているからだろうと察することが出来るのに。彼はアイリスの怪我を覚えていたどころか、ずっと心配していたのだと。そう口にした。
そこまで思うと、掴まれている腕の部分に熱を持った気がした。怪我が再発したとかではなく、何故だか妙に意識してしまったからだ。心なしか頬もかっと熱くなった気がした。吹き込む風が涼しいと思うほどに。
「そこまで気にかけて頂いてたなんて……顔も見せず、申し訳ありませんでした」
とにかく謝らなければと言葉を尽くす彼女を見て、彼は表情をふっと緩め、口元に笑みを浮かべた。それからゆっくりと眼を閉じて、ぽつりと零す。
「……なんだか、おちつく」
「へ……?」
「君の、声」
腕を掴んでいる彼の手に、一瞬だけ力が入る。
「君の声、好きだな」
その言葉を最後に、すぅっと意識を手放し夢の中へと彼は旅だった。
置いてきぼりにされたような気のした彼女は、真っ赤になった顔と胸がいっぱいになったこの気持ちのやり場がなく、暫くその場で硬直していたのだという。掴まれていた腕から力が抜けするりと彼の手が解かれても、そこに宿る熱は暫く離れなかった。
数時間後に宮廷医師は目覚めたが、仮眠室には彼以外誰もいなかった。机の上に置かれた菓子の入った箱と置き手紙に気付いた彼に、この時の記憶は全くなかったのだとか。
ただ、置き手紙にある見覚えのある字と名前を見て、知らぬうちに顔を綻ばせていたのは、彼自身も気付いていないことであった。




