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5:水無月の衣替え

 6月に入り、百合森学園では衣替えの移行期間が始まった。今現在の学園内は冬服や合服、夏服を着た生徒達が入り混じり、統一感のない独特の雰囲気で満たされているが、約2週間後には皆一様に夏服を着こなして、夏の前触れである梅雨を過ごす事になるだろう。――きっちりとブレザーを着込んだ生徒と半袖の開襟シャツを着た生徒と言う、並ぶと季節感に欠けた印象を抱いてしまう男子生徒二人組と廊下ですれ違いながら、私は学内の生徒達について思いを馳せていた。化学教師に頼まれて運んでいるプリントの束の重みに対する現実逃避を兼ねた思考に、特に意味はない。教師に集めて持って来るように言われたクラスメイト全員分のプリントは、私が声を掛けるまでもなく、女生徒達の連携によって素早く教卓に綺麗に集められたものなので、私の仕事は実質運搬のみだ。

 自他の噂や評判に全く関心のない偏屈な中年男性である化学教師の斉藤先生は、私のように周囲からある意味腫れ物扱いされているような生徒であっても物怖じせず、或いは興味を示さず他の生徒達と同等の扱いをしてくれる点は好ましく思っているが、荷物運搬や伝達などの雑用を何もかも生徒に任せてしまう面倒臭がりな人でもあるので、生徒からの人気は低い。単なる一生徒として扱ってくれるので、私としては割りと好きな部類に入る先生ではあるけれど、奥さんが毎日作ってくれているキャラ弁の自慢を授業中に突如始める癖はどうにかして欲しいとは思う。奥さんが運営しているブログの宣伝をし始めるところも反応に困る。悪い先生ではないのだけど、少し変わった先生だ。見た目的にはヒゲが凄い。

 化学準備室にて愛妻弁当をスマフォで撮影していた斉藤先生にプリントの山を届け終え、奥さんの自慢をしたそうな顔をしていた斉藤先生から逃れるべく部屋を出た。昼休みの廊下は、賑やかで活気がある。向こうに見える女生徒の集団の中には、多分『攻略対象』が一人か二人埋め込まれているのだろう。活気を超えて迸る精気が目に見えそうなくらい勢いのある歓声が聞こえて来て、私は彼らに背を向けた。私のファンはあんな風に近付き囃し立てず、遠くから見守りたがるタイプが多いので、女子に囲まれて移動に困ったりする事は余りない。寧ろ海を割った聖人の如く道を開けられる。反面、ストーキング紛いの事をされた経験はそれなりにあった。


「……今日は、月曜日か……」


 脳内のカレンダーを思い浮かべながら、今日の曜日を確認する。こちらの独り言に反応したらしい近くの女生徒達が、小声で騒いでいた。階段の踊り場に屯していた1年生の男女の集団が慌てて道を開けてくれたので、堂々と通り過ぎる。今日の目的地は、いつもの薔薇園ではなく、図書室だ。『攻略対象』が貸し出し当番ではない曜日には、こんな風に図書室へと足を運んだりもする。

 『橙音(とおん)清正(きよまさ)』が当番の木曜日は、図書室が混雑して本を読むどころではなくなるし、橙音自身が「読書が嫌いなミステリアス面倒臭がり居眠り魔」と言う設定なので、当番の仕事をきちんとこなしてくれない事もある彼が居る木曜の図書室はなるべく避けている。……そんな彼が、どうして図書委員なのか。彼の攻略を進めて話を聞く事が可能な『ヒロイン』以外には、解くのが難しい謎だろう。勿論、『知識』のある私は例外である。単純に「大好きな祖母の書斎を思い出させる本の匂いが好きだから」と言う微笑ましい秘密は、そのうち色李彩によって解明されるだろう。

 そして、その色李彩はどこに居るのか。不意に湧いた疑問に答える術は、彼女との繋がりを持っていない私にはない。『知識』のおかげで、学内のどこかで『攻略対象』と過ごしているのではないかと予想をする事は出来るが、それが正しいとは限らない。実際はそんな事はなく、彼女は同性の友人と楽しく過ごしているかもしれない――と、そこまで考えてから、脳内の情報がまとまって、一つの予測を立てた。そして、現在自分が歩いている特別教室棟の3階の廊下の、中庭に面した窓へと近付いて、ポケットに入れていたスマフォを取り出し操作する振りをしながら中庭を密かに見下ろした。


 まだ梅雨には入っていないものの、中庭では紫陽花が初夏の陽射しを受けて咲いている。青、赤、紫と、植えられた土壌によって色が変わり、見る者の目を楽しませてくれる不思議な花は、咲き始めの今はまだまだ色味が薄いようだ。花びらに見える部分は、本当はガクなのだそうだが、見た目が綺麗ならばどちらでも構わないと思う。――そんな紫陽花が咲く中庭の一角で、二人の女生徒が仲良く昼食を共にしている姿が視界の端に映った。血筋ゆえか視力は非常に良い方なので、その二人のうちの片方が色李彩である事も、私には分かった。濃い茶色の髪を風に揺らす彼女は、明るい栗色でショートボブの娘と一緒に弁当を食べている。

 ――色李彩の隣に居るのは、恐らく『ヒロイン』の『親友キャラ』である『栗平(くりひら)理央(りお)』なのだろう。友情エンドがある彼女は、プレイヤーが『攻略対象』の好感度をチェックする為の『情報屋』の役割も、『ゲーム』内では担っていた筈だ。まあ、現実で「あの人との好感度、どうなってる?」などと訊かれてまともに返す人間が居るとは思えないので、この世界での栗平理央が『情報屋』と言えるかは甚だ疑問ではあるが。常識的に考えれば、彼女は『情報通なヒロインの親友』と言う程度だろう。それでも充分、色李彩にとっては頼れる友人なのだろうけれども。転校して直ぐに親しい相手が出来るなんて、個人的に羨ましい。


 スマフォでメールか何かを打っている振りをしながら、中庭で弁当を食べている彼女達へと近付く人影に視線を移す。その人影の金色が光を反射して、眩しい。――目を惹く見事な金髪の『黄金(こがね)メイ』が、『ライバルキャラ』らしく取り巻きを引き連れて色李彩へ宣戦布告しているその様子は、現実で見ると随分とコント染みていて、失礼とは思いつつも笑いそうになってしまった。親友を庇うようにして立ち上がった色李彩は、きっと黄金メイへ向けて何かしら言い返している最中だろう。

 ……『ゲーム』では『ライバルとの出会いイベント』は6月初旬に発生するらしいので、もしかしたらと思ったが、本当に起こってしまったようだ。中庭で堂々と繰り広げられているこの光景は、多くの生徒が目撃した事だろう。私のような『攻略対象』も、恐らくは彼女らの姿を見ているに違いない。そして、この時点で最も好感度の高い『攻略対象』が急いで彼女達の元へ赴き、黄金メイを宥めて彼女を退場させ、『ヒロイン』と少し話をしてこのイベントは終了する。『ゲーム』のシナリオ通りならば、そうなるだろう。

 そんな事を思いながら視線を外そうとしたら、黒髪の男子が彼女達へ近付いて行くのが見えた。あれは、高確率で蒼海だろう。『攻略対象』で黒髪なのは彼だけだ。――どうやら、彼が今のところ最も色李彩に対する好感度が高いらしい。先月薔薇園で会った際には不審なところが目立っていたが、流石はメインヒーローだ。さっさと彼らから目を離し、図書室への移動を再開する。昼食は教室に戻った際に軽く食べれば良いだろう。



「――お前が、緋空樹か」



 しかし、私の脳内スケジュールは早速一人の人物によって遂行を阻まれた。進もうとした途端に肩を強く掴まれて、剣呑な声色で名前を呼ばれ、私は眉を顰めながら私の移動を邪魔した相手――『桃辺(ももべ)悠樹(ゆうき)』と目を合わせる。名字そのままの桃色の髪と瞳を持つ、とても派手な容姿の彼は、珍しく誰も連れていないようだ。

 『ヒロイン』のクラスメイトである『桃辺悠樹』は、常に数人の女性を侍らせているナンパな『攻略対象』だったと思うのだが、彼だって必ずしも女生徒を連れ歩いている訳ではないのかもしれない。実際、『ゲーム』で彼の攻略を進めれば、彼の周りに居たはずのモブ達の存在感は嫌がらせや嫉妬イベントを除いてとても薄くなるのだ。彼のような『攻略対象』が『ヒロイン』に迫る時は、何故か高確率で周囲に誰もいなくなる。そう、それこそ今のこの状況みたいに。……気付けば、昼休みの廊下には、私と桃辺悠樹しか存在していなかった。不思議だ、学内の有名人二人が顔を合わせていて、こんなに周りが静かだとは。まあ、もしかすると、目の前の桃辺悠樹が放つ威圧感に恐怖して、野次馬は全員姿を隠して息を潜めているだけなのかも知れないが。


「……そうだ」

「へぇ、……ああ、納得だわ。確かにそうだろうな、噂通りだ」

「私に何か、用事でも?」


 彼の言葉に頷けば、分かりやすく険のある顔が私を睨み付け、肩を掴む力が強まった。不躾にも思える程こちらをじろじろ見てから納得したと口にした桃辺の声は、『知識』の中のものよりも数段低く聞こえる。飄々としたナンパなキャラクターが売りだったと記憶している桃辺の様子は、あの時の蒼海と同様に、彼らしくない(・・・・・・)ものだ。こうした態度は、桃辺のルートの終盤でのイベントか、彼のバッドエンドでしか垣間見る事の出来ない「意外な面」とか言うやつだった筈なのに。そもそも、初対面の相手への態度としては、蒼海の馴れ馴れしい態度以上に不自然でおかしいし、正直に言えば不愉快だ。溜息混じりに彼へと適当な問いを向ければ、桃辺の顔から一瞬だけ表情が抜け落ちた。



「――そんなの、ある訳ねぇだろ! 目障りな上にうざってぇ奴だな!」



 けれども、即座に暴力的な敵愾心を丸出しにした低音の叫びと共に、激しい怒りを乗せた表情が桃辺の顔に貼り付いた。『桃辺悠樹』らしからぬ表情と視線をそのまま音にしたような声には、過剰な敵意が乗せられている。掴まれた肩に爪が食い込んで痛い。驚きと痛みに襲われて息を飲めば、桃辺はハッとしたような顔になって、舌打ちと共に私の肩を解放した。その様子から見て、暴力沙汰にはならなくて済みそうだとは思いつつ、警戒しながら距離を空ける。とりあえず、制服がしわくちゃになっていそうだ。


「彼女に、……色李彩に近付くな。お前なんかが彼女の傍にいるなんて、俺は絶対許さない。だから近付くな、興味も持つな。――俺と彼女に、近寄るな」


 桃辺の真面目過ぎる声と視線が私を射抜くべく真っ直ぐにもたらされたが、私としては彼の言葉の突拍子のなさに気を取られ、呆然としていたのを隠して視線を返した。……状況がよく分からないが、彼が色李彩に恋心を抱き始めていると仮定して、私が『攻略対象』である事に本能とか第六感で気付き、釘を刺しに来た――と思おうにも、それにしては彼の態度は攻撃的過ぎる。彼はもっと、余裕のある人物だったイメージがあるのに。

 ――いや、でも、『ゲーム』のバッドエンドの中の一つでは独占欲からDVに走り、それまで抑圧された感情を暴力によって発露する意外と暴力的な人物だったので、ある意味彼らしい――のかも知れない。そしてそんな暴力的な面を『ヒロイン』の前では終盤でしか見せる事はなかったが、現実では裏で出しまくっている可能性もある。『ゲーム』では『主人公(ヒロイン)』からの視点しかなかったので、『攻略対象』が隠している日常の裏側を見るのは、難しいのだ。


「――そもそも、私は彼女と知り合いでもないし、近付く予定もない。だから、私の事は気にしないでいい」


 情報収集の為に近付いて来たと思われる蒼海とは対照的に、桃辺は牽制をするべく接触をして来たのだろうと結論を出した私は、ひとまず、何らかの原因で私が色李彩へ好意を抱いているとでも勘違いしている風な桃辺を落ち着かせるべく、静かに話し掛けた。――『ゲームの緋空樹』の攻略ルートで『ヒロイン』が口にする、混血児(緋空樹)への救いの言葉。あの言葉を口にする事が出来るだろう『色李彩』が実際にどんな人物であるのか、昔から興味があった私は色李彩への好意と関心を抱いてはいるが、それは恋情ではない。彼が考えている「彼女への好意」とは種類が異なるだろう。伝記の残る偉人への憧れにも似た感情から、彼女からやって来てくれるのならば話してみたいと思う気持ちもあるが、『攻略対象』としては少々複雑で、自ら会いに行くつもりは全くない。他人には理解してもらえないだろう想いを隠し、ミステリアスで無表情な『緋空樹』らしい態度で言葉を紡げば、桃辺は顔を逸らして舌打ちをした。



「……その言葉が嘘だったら、その時は殺してやる」



 何となく聞き覚えがあるようなないような物騒な言葉を忌々しげに呟いて、桃色の髪の男はこちらに背を向けた。最後まで『桃辺悠樹』らしくない態度を突き通した彼のバッドエンドを、色李彩が回避出来る事を祈りつつ、周囲に相変わらず自分達以外誰もいない事を確かめてから肩を落とす。――いや、彼以外のバッドエンドも、色李彩が回避するように祈ろう。特に、監禁やストーカー化や誘拐や強制結婚など、実害のあるバッドエンドが豊富な蒼海千歳には気を付けて欲しい。『ゲーム』での彼らと現実の彼らが同じ事をするとは限らないが、桃辺の言動を見たら心配になって来る。私に精神的な救いをもたらす言葉をくれた『ゲームの色李彩』と同一人物としか思えない隣のクラスの転校生には、余り不幸な目に遭って欲しくないと私は考えているのだから。


 ……それにしても。今日は図書室で、以前蒼海千歳が口にした青薔薇の花言葉について調べるつもりだったのに、やる気がすっかり削がれてしまった。今日はもう、教室で昼食を食べて予習をして、昼からの授業に備えよう。

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