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4:青い薔薇にも棘がある

 笑みを浮かべたまま、黄昏時の赤に染まる事無く夕焼けの光を反射し自身の色を保つこの『攻略対象』は、百合森学園の生徒会長を務める人気者だ。――彼の風に靡く黒い髪も、深海を思わせる青い瞳も、見ている者に好印象をもたらす端正で柔和な顔立ちも、耳に優しい低音も、何もかも全てが世の中の乙女達を虜にする要素だろう。事実、その容姿と性格、ついでに大企業の令息と言う点に惹かれた女生徒の数は凄まじく、この学園で最も人気と知名度が高い人物がこの『蒼海千歳』だった。かと言って、家柄や容姿を鼻に掛けるでもなく親しみのある言動をする彼は、同性からも慕われている、――らしい。学年も違うし、接点のない蒼海とはまともに話した事のない私には、頭の中にある『知識』と、時折見掛ける学内での彼の姿からしか彼の人物像を知る事は出来なかった。


 ――そしてその『蒼海千歳』は今、私と彼しか居ない薔薇園で、私を嗤っていた。


「――彼女とは今日が初対面です。正直に言えば、もう顔も覚えていません」

「駄目だよ、樹君。女の子相手にそんな冷たい態度をとっていたら、嫌われるよ?」

「構いません」

「全く、樹君は素直じゃないね。……ま、君の事だから本当に彼女に興味がないのかも知れないけど」


 つまり、私と蒼海は、親しい関係ではない。それどころか、互いに顔見知り以上知人未満の関係の筈だ。お互いに学内では有名なので、顔と名前ぐらいは知っているかも知れないし、すれ違った際には相手が誰なのか認識はするだろうが、わざわざ声を掛けたりする相手ではない。挨拶すら交わした事のない人物なのだ。――そういった間柄であるべき相手が、先程から妙に親しげに話し掛けてくるその態度は、『誰にでも優しい王子様』の域を超えているような気がする。それとも、私が人と接する事に慣れていないから、フレンドリーな相手に戸惑っているだけなのだろうか?


 ――いや、私より一学年上の先輩である『蒼海千歳』は、初対面の相手に対してこんな態度をとるような人物ではない、気がする。例えばナンパが趣味の軽い性格である『桃辺(ももべ)悠樹(ゆうき)』であったならば、初対面からこういった馴れ馴れしい態度であっても納得出来るが、『蒼海千歳』はきちんと相手に合わせた距離感を保ちながら、平等に真面目に対処する優等生(キャラクター)だ。しかし眼前の彼の様子は、違和感を覚えてしまう程度にはらしくない(・・・・・)


 とは言っても、それは『ゲームの蒼海千歳』の話だ。現実では、そうでもないのかも知れない。私は『知識』がある事で、ある意味相手を色眼鏡で見てしまっている可能性があるが、それが全て事実とは限らない。――私だって、『ゲームの緋空樹』とは性格が随分と異なるのだ。それが他の人達(キャラクター)に当て嵌まらない道理はどこにもない。だから単純に、この世界の蒼海千歳は、ちょっと馴れ馴れしい性格だったと言うだけなのだろう。あたかも(緋空樹)の事をよく知っている、とでも言いたげな態度は少し反発心が湧き上がるものだったが、そういう知ったかぶりを好んでいるだけだと思えば気にせず流しておけば良いと判断出来る。


「それにしても、放課後姿が見当たらないと思っていたら、こんな所に居ただなんてびっくりしたよ。でも、よく考えれば君が好きそうな場所だよね、ここは。――人気もなくて静かで、尚且つ見た目は美しい。噂のおかげで誰かが訪れる事は滅多にないだろうから、恋人との密会にもぴったりだ。」


 にこにこと楽しそうに笑いながら口を動かす蒼海は、最後の方だけは悪戯っぽい口振りで喋っていた。彼の言葉のどこからどこまでが本気で、冗談がどの程度含まれているのか、対人関係を余り築けていない私には判別が付かない。海の底の冷たさを喚起させる瞳からは、特別な感情は読み取れない。ただ、何となく彼に不快感を抱いていた。


「うん、樹君にぴったりの場所だね。――俺も気に入ったよ、この薔薇園」

「……生徒会の仕事をサボる場所にしたり、しないで下さい」

「あれ、俺の考えバレちゃってたかぁ。ふふっ、流石は樹君だよね!」


 私を含めて7人いる『攻略対象』の中でもバッドエンドの数が最も豊富で、シナリオもボリュームがあるメインヒーローの『蒼海千歳』が、王子様然とした態度と笑顔を作り上げて口にした言葉に嫌な予感がして、牽制の為に口を動かしたら、相変わらず笑ったままの蒼海がありがたみのない返答をしてくれた。――この場所に私以外の誰かがやって来るのは、嫌な展開だ。勿論、花の世話をしてくれる庭師達は例外であるが。

 とにかく、今日だけならまだしも、明日以降足を踏み入れられる事になったら、私は安住の地を求めて学園内を彷徨わねばならなくなる。それは面倒なので勘弁して欲しいし、この人とは余り会いたいと思えない。


「その呼び方、止めてくれませんか」

「……え、どうして?」

「……別に、意味はないです」


 せめて、許可もなく下の名前で呼ばれている現状への疑問と抗議を込めて言葉を発すれば、数秒の沈黙の後に心の底から不思議そうな様子で問い返されて、眉間に深い皺が出来た事を自覚する。少なくとも『ゲーム』でのあなたはそんなキャラではなかっただろうと、音にする事の出来ない言葉を喉の奥に仕舞い込んだまま、私はテーブルの上で所在無さげに転がっていたバッグの手提げ部分を掴んだ。……日が沈み、宵の口の薄暗い空は、直ぐに夜の闇に覆われるだろう。寮の門限まではまだ時間があるが、そろそろ生徒会長を無視してでも帰った方が良さそうだ。



「ふぅん? ――あ、そういえば、樹君()2年生だよね。それなら色李彩って名前の転校生について、何か知ってるかな?」



 そんな風に帰る算段をしていた最中に、その問いが聞こえて来て、私は何だかほっとした。一度逸らした顔を再度蒼海へと向ければ、彼は何かを考えるように目を閉じていて、その表情はどこか緊張しているようにも見えた。


 噂によれば既に『色李彩(ヒロイン)』と顔を合わせていて、もしかするともう彼女に好意や関心を抱いているかもしれないこの生徒会長は、『攻略対象』という名の学園の有名人の中でも『ヒロイン』と同学年の人物――即ち私に対し、彼女に関する何かしらの情報を得られないかと考え接近して来ただけなのだろう。そう考えれば、先程からの馴れ馴れしさの理由も浮かぶ。

 ――親しみを装った言動で相手の態度を軟化させ、欲しい情報を得る事が目的だったと考えれば、今日会ったばかりの蒼海の態度は、それなりに納得出来るものだ。『ヒロイン』を巡ってライバル関係となる『攻略対象』同士が、『ヒロイン』とは全く関係ない場所で顔を合わせるのは妙だと思っていたが、実のところはやはり『ヒロイン』によって生まれた接点に過ぎなかったと分かれば、それ程違和感はない。寧ろ、すんなりと受け入れられた。ついでに、彼のある意味涙ぐましい裏の努力には、微笑ましさすら感じそうだ。

 まあ、私には彼へ与えられる情報は一つもないのだが。『知識』の中にある彼女の情報は、彼女自身が『攻略対象』へと伝えるべきだろう。或いは、彼女の近くに居る人達が。


「転校生の噂は聞いた事がありますが、知りません」

「……そっか。ありがとう、突然変な質問をして悪かったね」


 私の返事に、幾度か瞬きをした後に礼を言うと、彼は少しだけ困ったように笑った。はにかむようなその笑い方のほうが彼らしいと、『前世の私の意識』らしきものが告げ、それに引き摺られるように私もそう感じた。――この『意識』や『知識』の影響で、私はこの学園内の出来事を俯瞰的に見てしまっている節があるとの自覚がある。その割には『私自身』に偏った考えしか出来ないのは、私が私に過ぎないからだろう。

 バッグを手に足を踏み出しながら「お先に失礼します」とだけ言って、私は帰宅する事にした。寮の部屋に戻ったら、見たいテレビ番組もある。今日は毎週見ている自然ドキュメンタリー番組があるのを思い出し、私は足早に先輩の横を通り過ぎた。




「――それじゃあ、青い薔薇の花言葉は何か、君は知ってる?」




 背後から聞こえた低い声に、首から上のみで振り返った。薄闇の中で深みを増した、黒に近い青が私を見付けて微笑む。一対の青の中には、きっと私の赤が映って紫色に変わっているのだろう。蕾の多い花々の中で、二つほど花開いたものがある青紫色の薔薇の花びらを指先で撫でている蒼海は、私の回答を待っているかのようにこちらを見詰め続けている。その視線の強さは、薔薇の棘にも似た鋭さが含まれている気がして、背筋が寒くなった。――青薔薇の青色では、彼の視線に宿る蒼さには、到底叶わないだろう。直感的にそう思い、私は静かに息を吐き出した。




「……それも、知りません」

「確か、とても良い意味があった気がするよ。――よかったら、調べてごらん」




 ――女の子達の耳には甘く響くだろう生徒会長の声が、私にはこれ以上ない程に刺々しく聞こえた。

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