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11:白百合の試練

 七夕が控えた7月の初旬。学園内は、もうすぐ訪れる織姫と彦星の出会う日が晴天かどうか気にかける事もなく、目の前に存在する期末考査の為の勉強で精一杯の生徒達で溢れていた。

 ――長期休暇の前にやって来る、学生にとっては試練とも言うべき学期末の試験を控えた試験週間の間は、大会が近い一部を除いて部活動は停止中だ。中には自主練と言いながらこっそり体育館で汗を流していた生徒もいたみたいだが、彼らが風紀委員からの注意を受けた事で放課後の体育館は立ち入り禁止になった。その噂を聞いて、勉強を諦めて試験週間中は体育館で遊ぶ計画を立てていたらしいクラスの男子グループが愚痴を連ねていたが、彼らは今回赤点を取ると夏休みが補習で潰れてしまう事を忘れてしまったのだろうか。ひょっとしたら、現実逃避なのかもしれないけど。


 ――立ち入り禁止と言えば、あの廃教会の扉にも風紀委員会によって立ち入り禁止と書かれた張り紙が貼られ、扉には真新しい防犯用のチェーンと鍵が掛けられた。古ぼけた観音開きの扉の取っ手の部分を厳重に塞いでいるように見える細い鎖は、軽い気持ちでやって来た人間を追い返すには充分だろう。立て付けが悪い内開きの扉は、強引に押し入ろうとすれば中に入れるだろうが、大抵は肝試し目的だろう来訪者達は、そこまではしないだろう。他にも入り口はありそうだし、それ以前に校舎や教会の隣にある薔薇園(心霊スポット)に潜り込めるだけでも、夏の夜に騒ぎたい若者は満足出来る。


 廃教会の入り口の張り紙と施錠は、恐らくあの時教会へ訪れた風紀委員長――紅松誠人によるものだろう。あの雨の日の翌日、懺悔室脇の扉を調べに向かったら、昼休みには既に紙が貼られ、中に入れないようになっていた。おかげで蒼海がバッドエンドにて『監禁』に使用する地下室へ続く扉を見付ける確率がグッと減った気がするので、紅松はとてもいい仕事をしたと思う。流石は風紀委員長だ。『ゲーム』のバッドエンドで全てから逃げ出すべく『失踪』するとはとても思えない真面目で肉体派の先輩は、意外にも勉強が苦手と言う設定だった気がする。

 他人、それも他学年の順位表なんていちいち見ていないから、入学以来ずっと学年1位を取り続けていると評判の現生徒会長を除いた『攻略対象』の成績については詳しくないので、現実でも『ゲームの設定』通りの成績なのかは分からないけれども。そもそも、他人の成績よりも自分の順位の方が大切だし気になる。


 ――『ゲームの緋空樹』は文武両道の人物(キャラクター)であり、試験の順位は毎回学年10位以内に入っている秀才だ。そして私は、『知識』によって知った『ゲームの緋空樹』の順位結果よりも上になる事を毎回目標にして勉強したりしている。特別拘っている訳ではないが、どうせなら『ゲーム』の自分と勝負をするつもりで頑張る方が、やり甲斐があるのだ。結果として、勝率は3割程度。放課後を一緒に過ごすような友人がおらず、普段から暇潰しとしてそれなりに勉強しているのでもっと良い結果が出ると思っていたが、実際には順位を上げるのはとても大変だった。そもそも、『ゲーム』での順位自体高いので、それより下にならないようにするだけでも結構苦労する。ひとまず、自分は分からない問題に残り時間を使って取り組むよりも、ケアレスミスがないかを残り時間を使ってきっちり確かめた時の方がいい結果が出るタイプである事は、今までの出来事から把握した。


 一学期の中間は『ゲーム』通りの順位だったから、今回の期末は頑張りたいものだ。そう思いながら、紙パックの野菜ジュースをストローで飲み、英単語帳を捲る。――試験週間中は、流石に昼休みも教室で過ごしていた。薔薇園まで移動する手間と時間を、問題集を読むなりなんなりに使う方が今は適切だ。他の生徒達も似たような事を考えているのか、屋上や中庭に行くクラスメイトは少なく、自分達の席に座って教科書や単語帳片手に昼食を摂っている者が多い。食堂に向かうらしい生徒も、大抵は何かしらの勉強道具を手にして教室を出て行った。まあ、中には周囲の空気に構う事なく、中庭で走り回っている集団もいたりするが。冷房が効いていて廊下の窓も全て締め切られている状態では、彼らの騒ぐ声が聞こえる事もないので、正直割とどうでもいいけれど。薔薇と違って精気を得る事は出来ないが、その味が妙に口に合うトマトベースの野菜ジュースを飲み干して、空になった紙パックをゴミ箱に捨てるべく立ち上がる。周りも試験に向けて頭に色々詰め込もうとしている今、普段よりは『攻略対象』が注目される度合いが減るのではないかと1年生の頃は思っていたが、実際はそうでもない。辛い試験勉強の息抜きとばかりに、ちらちらと女生徒達から舐めるような視線を向けられ、段々と蒸し暑くなってきた気候に合った感覚が肌にべっとりとまとわり付いている。それらの中の幾つかは、私がゴミ箱に捨てた物へと熱心に関心を向けているような気がした。恋する乙女は行き過ぎると怖い。


 試験週間の間は昼休憩に席を離れる事が減るので、普段週に一度程度の頻度で発生したりしていた、いつの間にやらバッグの一番底に差出人不明の「好きです」とだけ書かれたラブレターを入れられていると言う冷静に考えると怖い現象も減少するので良いのだが、集中力が切れて周囲の視線に気付いた時がちょっと辛い。――先月、廃墟で蒼海に指摘された通り、私は注目を浴び続ける人生を送っている『攻略対象』にしては周りを気にしてしまう人間だ。でもそれは、『知識』によって『攻略対象』達の盗撮写真が裏で売買されている事を知ってしまっていたり、ストーカーされた経験があったり、他の『攻略対象』と違ってバレたら不味い秘密(吸血鬼と言う事実)が存在するせいで少々敏感になっているだけだと思う。後は、単純にそういう性格と言うだけだろう。席に戻り、再び単語帳に視線を向ける。雑念を振り払い、私はチャイムが鳴るまで単語を覚え続けた。






 『ゲーム』においても、勿論試験は存在する。それらの中でも、特に一学期の期末考査は重要らしい。それで上位を取れば『攻略対象』の好感度が上がるし、それに関連した『イベント』も発生する。逆に赤点を取ってしまうと、夏休みの楽しいイベントが『補習イベント』で潰されまくってしまうのだ。成績の悪い何人かの『攻略対象』と、補習を受け持ったりする教師の翠乃先生とは接触の機会が増えるので彼らを狙っている際には良い場合もあるみたいだが、夏らしい海水浴や夏祭りやキャンプなどの『イベント』が高確率で発生しなくなり、仮に発生しても誘える相手が限定されてしまう。

 また、試験週間及び試験期間中には、『勉強会イベント』も存在する。『攻略対象』達と一緒に勉強する事で学力と好感度を同時に上げられるその『イベント』は図書室か生徒会室のどちらかで行われるが、後者での『勉強会イベント』を発生させる為には生徒会室の使用権限を持つ生徒会長である『蒼海千歳』の好感度が高くなければならない。


 ――と言う『知識』を思い出したのは、期末考査前日の放課後だと言うのに「明日からは午前で終わるし、昼からどっか遊びに行こうぜ」などと騒いでいる数人のグループが教室を出た直後に、教室前の廊下を蒼海が通り過ぎて隣のC組の教室の方角へ向かったのが見えたかと思えば、ざわめきの中でも妙に目立つ大きめの声で「迎えに来たよ、色李さん。勉強、頑張ろうね」と誰かが誰かに呼び掛けているらしき台詞が聞こえて来たせいだ。ついでに言ってしまえば、黒髪の生徒会長が廊下を横切る前には、黄色い頭や橙色の頭が私の居る教室の前を歩いていた気もする。最早騒音としか表現しようがない黄色い歓声と嫉妬塗れの悲鳴が、壁一枚で隔てられた隣の教室から凄まじい勢いで響いて来る。試験前にこれは、苦情が来てもおかしくない。

 今頃、『攻略対象』に囲まれているのだろう色李彩の姿を思い浮かべながらロッカーに入れていた副教科の教科書を取り出していると、今度はどう聞いても女の子のものとしか思えない大声が、「色李彩!」と叫んでいるのが聞こえてしまった。続けて聞こえて来たのは「今回のテストで、わたくしと勝負しなさい!」と言うお嬢様めいた口調の台詞で、それを聞いた私は『ライバルキャラ』である黄金メイの顔を思い出した。それと同時に「ああ、『黄金メイ(ライバルキャラ)』と順位を争う『ゲームイベント』か」と私の中の『私の意識』が囁き、納得する。――『ライバルキャラ』に真正面から学力勝負を挑まれている真っ最中であるこの世界の色李の成績が良いのか悪いのか、まだ不明だ。中間考査の終わった後に転校して来た彼女が百合森学園に来てから最初に受ける試験は、波乱に満ちたものになるかもしれないし、そうでもないのかもしれない。

 毎回上位30名までの順位は職員室前の掲示板に張り出されるから、直接的な関わり合いがなくとも彼女らの勝負の結果を知る事は出来る。公衆の面前で、それも壁で隔てられた隣の教室にまで聞こえる大きな声でされた宣戦布告の結果、色李達の『順位勝負(イベント)』は、周知の事実として学園内に認識されそうだ。人気者の『攻略対象』に囲まれていると言うだけでも色李は話題の的になりやすい存在なのだ。そんな彼女にまつわる噂は、すぐに広まってしまうだろう。……『ゲーム』でも、そうなってしまうらしいし。私の斜め前の席の男子生徒が、隣の生徒へと彼女らの順位を賭け事の対象にしようと持ちかけて断られる姿を何の気なく見ていると、彼と目が合った。そしてその生徒の顔色が急に悪くなったと思えば挙動不審になり、彼は全速力で教室から逃亡した。酷い反応だ、イジメか。女の子は目が合ったとしたら顔を真っ赤にするが、男子にはこんな風な反応をされる事が多いから寂しい。


 息を吐きながらスマフォをチェックしたら、橙音からメールが来ていた。嫌な予感を抑え込みながら読んでみれば、件の作家の本が新たに3冊図書室に並んだからこちらの名前で貸出予約をしておいた、読んだら忘れずに感想を送れ、と言う内容のメールだった。勝手に私の名義で予約を入れるなんて、何ともアグレッシブなありがた迷惑行為だ。まあ、どの道今は期末考査を優先しなければならないから今借りても読めないし、橙音がしていなかったら今から自分で貸出予約をする為に図書室へ向かっていたとは思うが。でも無断で勝手にやられるのは微妙だ。とりあえずこのメールの内容は頭の片隅に置いておく事にして、私は寮で試験勉強をするべく、真っ直ぐ昇降口へと向かった。その途中、階段前で女子の集団が一人の男子生徒を囲み、「あんた、さっき緋空様に睨まれていたけど、何か失礼な事したんじゃないの!?」と金切り声で尋問している場面に出くわしてしまい、とりあえず声を掛けようとしたが、それよりも先に女子集団の中の一人が私の存在に気付いたかと思えば、先程まで鬼のような形相をしていた彼女達はさっと頬を赤らめ、何かぶつぶつと言い連ねてから散り散りに走り去ってしまった。残されたのは呆然としたままの私だけで、彼女達に囲まれていた男子生徒はいつの間にか姿を消していた。多分、女生徒達の注意が私に逸れた隙に逃げ出していたのだろう。――こういう事があるから、同性である男子生徒達も私に極力近付いて来ないのだろうか。女子のファンが多い『攻略対象』特有かもしれない悲しい現実に直面しつつも、私は寮へと帰る事にした。






「……もう、6時か」


 軽い空腹を覚えて時計を見れば、時刻は夕方の6時を少し過ぎたところだった。試験初日だった今日、午後はずっと自室の机に向かって明日の為の勉強に費やしていた。同じ姿勢を続けていたせいで凝り固まった肩を回し、椅子から立ち上がる。勉強をする際には適度に糖分を摂るのが良いと聞き、先日購買部にて飴を一袋買っていたのだが、結局一粒しか舐めていない。そして今は、飴よりも甘いジュースを飲みたい気分だ。そう思った私は、息抜きを兼ねて自動販売機で何か買って飲む事に決めた。財布を持ち、部屋から出て鍵を掛け、寮の談話室(ラウンジ)へ向かう。


 寮生同士の交流の場であるラウンジには、大きな薄型テレビとソファーとテーブル、誰かが持ち込んだトランプやボードゲームの類、その他諸々が無造作に置いてある。共同浴場や物干しスペース、個室の簡易キッチンよりも設備の整った共有キッチンなどのある共用スペースへ移動する時には、この談話室を通るように設計されているが、部屋に乾燥機を持ち込んでいる私はいつも玄関から自室へと直行しているのもあって、談話室には殆ど足を踏み入れた事がない。そもそも、私が近付くと、空気があからさまに凍ってしまうのだ。女子の目はないのに。『緋空樹』の容姿は、それだけ悪目立ちする存在感があるという事だろう。おかげさまでぼっち生活継続の記録が伸び続けている。

 溜息を飲み込み、隅に設置された自動販売機を目当てに談話室へ乗り込んだ。試験中の今、憩いの場に人影は殆どない。私以外の寮生達も、部屋で試験勉強に励んでいるのだろう。息抜きの遊びに興じようとしていたのか、カードやゲームが置いてある棚の傍に二人組の男子生徒が居たが、私の姿を認めるとそそくさと談話室を出て行った。その様子に浅く息を吐き、自動販売機の方へと進む。――その際、ソファーに誰かが寝転がっていた事に気付いて、思わずそちらへ視線を向けた。


 ……談話室を照らす人工の明かりを反射する、赤い短髪。目を閉じていても無表情なままの端正な顔立ち。大柄で筋肉質な身体付き。横になっていてもボタン一つ外していない堅苦しい制服の着こなし方。こんな時間に私服ですらないのか。


 多人数が座れる大きなソファーを占領しているその人物は、どこをどう見ても『攻略対象』の紅松誠人だった。一体どうして、彼がこんなところで寝ているのか。と言うか、寝ているように見えるが、紅松は本当に眠っているのだろうか。目を閉じて横たわっているだけかもしれない。どうせなら自室で横になればいいのに。7月なので風邪はひかないと思うが試験中だし気を付けた方がいいのではないか。――ひとまず、音を立てないように気を付けて自動販売機の前へ移動した。販売中のランプが点いた自動販売機に硬貨を入れ、並ぶ缶のパッケージを見詰めてどれにするか迷いつつも、ソファーの紅松をちらりと見る。

 オレンジとレモンと柚子のミックスジュースにするか、桃と苺の炭酸ジュースにするか迷い、結局炭酸飲料の方に決めた。薄い眠気を覚ます為には、炭酸の刺激が必要だろう。今は勉強の息抜きとして甘い物が飲みたい気分だったので、コーヒーは初めから選択肢にない。いや、カフェオレなら有りだったかな。そんな事を考えながらボタンを押すと、ガタンと缶ジュースが落下する音が響いた。冷たい缶を取り出してプルタブを開ける。勢いよく炭酸が抜ける音を聞き、泡が弾ける音を聞きながら口を付けて一口飲む。喉を通る炭酸の感覚に、頭が冴えていった。炭酸飲料独特の飲み心地を味わっていると、誰かの足音が聞こえて来たので、紅松が起きて自室に戻ったのだろうかと思いつつ視線を動かす。



「――あっれぇ? 紅松先輩じゃないっすかー、何でこんなとこで寝てんですか、先輩ってば」



 軽薄そうに響くその声には聞き覚えがあった。約1ヶ月前に私の前に現れ、彼と色李に近付くなと凄んで来た桃色の髪と目の持ち主――桃辺悠樹の声にそっくりなそれには、飄々とした余裕がふんだんに含まれている。あの時のらしくない(・・・・・)態度とは全く異なる、『桃辺悠樹』の軽妙でマイペースな印象の喋り方と声は、『知識』のイメージ通りで、実に彼らしい。そもそも、あの時の態度は何だったのかが分からない。


「ほんっと、なんで寝てるんすかね、明日も試験なのに。一人で。てか、紅松先輩がいたら他の奴らが気後れしてここ来づらいっしょ。どうせなら部屋で寝た方がいいよーな」

「……お前は、……色李と同じクラスの……、……誰だったか」

「ヒドッ、俺の事覚えてないとかヒドッ! あー、桃辺です、桃辺悠樹」


 丁度自動販売機の陰になっているからか、私が居る事に気付いていないらしい桃辺が紅松に話し掛け、起きたのだろう紅松が返事をした。色李彩繋がりで面識があるだろう彼らは互いの名前も知っていると思っていたが、紅松が『ゲームの設定』でもお馴染みの無関心っぷりを発揮し、桃辺がわざとらしく拗ねたように叫ぶ声が聞こえて来た。……しかし、どうして自宅通学組の桃辺がこんな時間に寮に居るのだろうか。いつも女性を侍らしている桃辺は、そのせいで男生徒達から妬みを買っており同性の友人が少ないらしいと噂で聞いた事があるので、寮生の友人の部屋で勉強していたとか、そういう訳でもなさそうなのだが。私が疑問を浮かべていると、紅松も似たような事を考えたのか、「お前も寮生だったのか?」と桃辺に訊ねる声が聞こえた。


「あ、違います。俺は先月女子大生との合コンをセッティングしてやったクラスメイトに、礼として全教科のノート借りてコピってたのを返しに来ただけなんで。そうじゃなきゃ、俺がこんなむさ苦しい男子寮なんざ来る訳ないし。あ、女子寮なら喜んで伺っちゃうけど」

「……不健全な言動は慎め」

「プブフォッ! ……紅松先輩、フケンゼンって単語、何かエロくないっすか?」


 軽薄さを丸出しにした桃辺の言葉に、紅松の低い声が返される。しかし、全く意に介していない桃辺は笑い混じりの冗談で年上の人間をからかっているようだ。実にナンパな性格である。炭酸ジュースで喉を潤しながら、どのタイミングで談話室を出て行こうか悩んでいると、笑いの発作を収めたらしい桃辺の声がした。


「つーか結局、何でこんなとこで寝てたんです?」

「……試験勉強の合間に、少し……休息を摂りに来たつもりが……」

「ああ、そしたらうっかり寝ちゃいましたーってオチでしょ。いやー、皆勉強頑張ってるっぽいですよねー、彩ちゃんもメイちゃんに順位勝負挑まれて、すっごい頑張っちゃってるし。俺的にはどっち応援すべきか迷っちゃうけど、よく考えたら勝った方は褒めてご褒美デートして、負けた方はデートで慰めてあげれば万事オッケーって感じ?」

「モノベ、お前は……」

「いや、モノベじゃなくってモモベだからね先輩、モ・モ・ベ!」

「……桃辺。お前はそんな軟派な事ばかり言って、男として恥ずかしくないのか」

「うーん、……自分が彩ちゃんにうまくアピール出来てないからって、男の嫉妬は醜いんじゃないっすかね?」

「……何を、言っている」

「あれっ、図星だったり?」


 『ヒロイン』である色李の名前が出た辺りから、段々と不穏な空気が談話室を支配し始めた気がする。互いに低い声を発している『攻略対象』同士の会話は、牽制し合っているようにしか聞こえない。そんな現状でも、以前私に対して見せたものより遥かに普段の彼に近い態度のままの桃辺は、謎だ。どうしてあの時だけ別人のように攻撃的で暴力的な様子だったのか。

 ――炭酸飲料をごくごく飲みながら考えていた間に、派手な色彩を持つ二人の『攻略対象』の会話が進んでいたらしく、「それじゃあ、俺達も彩ちゃん達みたいに、勝負しません?」と言う言葉が聞こえて来た。彼らは学年が異なるのに、順位勝負をするつもりなのか。と言うか、『知識』によれば「やればできる」タイプの典型らしい要領の良い桃辺と、毎回真面目に取り組んでもギリギリ赤点回避レベルで勉強が苦手らしい紅松だと、正直結果は見えている気がする。『ゲームイベント』でも、聡明な兄への劣等感を『ヒロイン』へ打ち明けて兄とは異なる道で己の力を発揮する決意をする紅松と、医者である親のプレッシャーから逃げていたけれども『ヒロイン』に励まされて2学期の考査で本来の実力を出し学年上位へ躍り出たりする桃辺は、対照的だ。そもそも前者は運動、後者は勉学が元来得意と言う『設定』であり、試験の順位争いは桃辺が有利過ぎる。


「――それで、敗者は暫くアピール控えるって事で」

「……いいだろう、受けて立つ」


 色んな意味で紅松の方を応援したいが、「裏でこんなやり取りがあったから、『ゲーム』の一学期の期末試験明けから暫くは『紅松誠人』関係のイベントが極端に少ないのか」なんて声が脳内で聞こえた気がして、私は申し訳ない気分になりつつ缶ジュースの中身を飲み干した。そして、二人が談話室を去った事を確認してから、自動販売機の脇のゴミ箱に空き缶を捨て、勉強を再開するべく自室に戻――ろうと談話室を出たら、そこには桃色の瞳でこちらを睨み付ける人物が立っていた。


「――あんだけ言ったってのに俺の周りを鼠みてぇに嗅ぎ回ってんじゃねーよ、鬱陶しい」


 自意識過剰な被害妄想発言に思わず笑い出し掛けたが、本当に笑ったら益々この攻撃的な男が敵愾心を燃やしかねないと思い、どうにか無表情を保っていると、勘違いした言葉を言い捨てたそいつ――桃辺は、足早に玄関の方へと去って行った。やっぱり、彼の態度は紅松に対するものよりずっと攻撃的で余裕がない。理由は不明だが、何だか面倒な臭いがするので、言われなくとも私は桃辺に近付かないだろう。



 ――馴れ馴れしさが癇に障る蒼海に、ヤクザの親が怖い橙音、そしてやたら態度の悪い紅松と、『攻略対象』の半分がお近付きになりたくない人種である現実を世の乙女達が知ったら、どんな反応をするのだろうか。くだらない思考で気を紛らわせた私は、今度こそ自室に戻って試験勉強を再開した。明日は数学と英語があるので、気合を入れよう。

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