*ノイン
そうだ、彼はとても魅力的なのだ──身長は予想する限り170㎝は超えている。さほど高くないとはいえ、細身でしなやかな物腰に短くても風になびく柔らかな金の髪。
そして何より、そのエメラルドの瞳にケイトは心を奪われそうになった。
「用は済んだな」
「!」
ベリルの声にハッとする。
「そんな訳な──っ」
慌てて体を乗り出し、目の前のカップを指で弾いてしまった。
こぼれる!? と思った瞬間、ベリルが素早く受け止めてケイトはホッとした。
「ありがとう」
「気をつけろ」
今頃、良く通るベリルの声にドキドキする。
だめだ、仕事しなくちゃ──
「無自覚に女たらしてんじゃないわよ」
ふいに女の声が聞こえた。
ケイトが目を上げると、ベリルの後ろに自分を睨み付ける女性がいる。
「ノインか」
「あたしと来てるコト、忘れてないでしょうね」
もしかして恋人? ケイトはピクリと方眉を上げ、少しがっかりした。
「お前が待っていろと言ったのだろう」
「欲しい服があったんだもん。この人だれ?」
ノインは大きなバッグを抱えて、ケイトを見つめた。
「へえ~ジャーナリストねぇ」
ベリルの右側の席につき、ノインはオレンジジュースを口に運んだ。
青みがかった金色の髪は肩まであり、緩やかなウェーブを描いている。そして、その瞳は夕暮れを思わせるオレンジ。
その黄昏色の瞳を、挑戦的にケイトに向けていた。
彼に近づいた事を怒っているようだ。しかしすぐ小さく溜息を漏らし、諦めたような表情を浮かべる。
ベリルの恋人だと名乗ったノインという女性は、彼がモテる事を仕方なく思っているようだ。
同じ傭兵だと聞いたケイトは、こんな子まで戦いに赴いている事に驚きを隠せない。
「どうするの?」
ノインが問いかけると、ベリルは肩をすくめて頭を横に振った。取材は受けないってコトか。
絶対、取材してやる……ケイトは、半ば意地になった。
そんな意思が見て取れて、ベリルは小さく溜息を吐き出す。
ひとまず、2人はホテルに戻った──ケイトはその後ろからついていくが、
「あいにく満室でございます」
「そこをなんとか」
部屋を取ろうとしたケイトだが、どうやら満室らしくフロントに断られていた。
ノインは、必死に頼み込むケイトをしばらく見つめる。
そしてフロントに歩み寄り、
「あたしの部屋を貸していいわよ」
「! しかしノイン様……」
「あたしはベリルの部屋に移るから」
「かしこまりました」
「!」
ケイトにウインクしたあと、不敵な笑みを見せた。
「ベリルは私のものよ」という、無言の圧力がノインの微笑みから見て取れる。
とにかく部屋は確保出来たのだ、有り難い。
「何故あのような事を」
「あんまり冷たくするのもなんでしょ?」
エレベータの中でベリルに尋ねられ、ノインは肩をすくめた。
本当はベリルと同じ部屋になるため……なんて言えない。恋人と認めてくれたくせに、どうして別々の部屋なのかノインは眉をひそめていた。
「女性だから」という彼の自然の気配りなのだろうが、恋愛感情の無い彼らしい気配りだとも思う。
どうせベリルの部屋に行って寝るんだから、別の部屋なんか借りなくてもいいのにさ……ノインは思いながら、ケイトの事を考えた。
戦場ジャーナリストねぇ……その瞳には、険しい光が灯されていた。
朝──ホテルのレストランに向かうとケイトがすでに朝食を食べていた。
それを見たノインが隣の席にあえて座り、ベリルは仕方なくそれに従う。
「ねえあんた」
ノインがおもむろにケイトに話しかけた。
「どこの国の人?」
「え、どうして?」
聞き返したケイトに、
「別に。自分の国の中のコトはいいんだ。って思ってさ」
「それって、どういう意味?」
ケイトはそれにピクリと眉を上げた。
「あんたの国って、1人も死人が出ないくらい平和なの?」
「何が言いたいのよ」
「よせ」
ベリルはその会話を制止する。
しかし、ノインはそれを無視するように話し続けた。
「自分の国の犯罪には知らんぷりなんでしょ? 人が殺されても平気なんだ」
「やめろと言っている」
「でもベリル……っ」
ベリルは小さく溜息をつくと立ち上がり、
「向こうに」
エントランスに行くように促して、ノインにキスをする。
ぶつくさ言いながら部屋に戻っていくノインを一瞥して、ケイトの隣に腰掛けた。
「すまなかった」
「なんなのよ、あの子」
腹立ち紛れに乱暴に水を飲む。
「許してやってくれ。以前、私が言った事に反応しているのだ」
「! あなたの言ったこと?」
ベリルは背もたれに体を預けた。
「人が死ぬのは戦争だけではない」
「!」
「己の国に目を向けず、より多くの死を追い求める事が、はたして正しいのか」
「そうね。その意見は正しいかもしれない。でも──っ」
「解っている。より多くの死が横たわっている事に怒りを感じ、それを公表せずにはいられない感情も」
ベリルは、持っているブランデーのグラスを傾ける。
「ノインの両親は内戦で命を落とした」
「! だったら……」
「本来なら戦争を憎み、お前の言葉に賛同したかもしれん」
だが──
「彼女にとっては戦争で人が死ぬよりも、たった数ドルのために人が殺される事の方が現実的なのだよ」
「!」
平和の中にあって、人が殺されなければならない状況──それはむしろ、とても生々しく彼女の心にのし掛かったのだろう。
「……」
その言葉に、ケイトは胸を詰まらせた。
「そういう訳だ」
ベリルは、ケイトの伝票を手に取りレジに向かう。その後ろ姿を、ケイトはしばらく見つめていた。
朝食を済ませた1時間後──ベリルとノインがホテルのフロントに顔を出した。エントランスで彼らを張り込んでいたケイトは、さっそくその背中を追いかける。
オレンジレッドの大型ピックアップトラックが目に入り、ケイトは慌ててタクシーに乗り込んだ。
「まったく、しつこいなぁ」
助手席でバックミラー越しにタクシーを見たノインが、溜息混じりにつぶやいた。ベリルはそれに苦笑いを浮かべる。
しばらく走ったベリルのピックアップトラックが止まった場所は、小さなビル。
入り口には2人の男がいて、彼らの顔を見ると無言で男がドアを開いた。ケイトもそれに続こうとするが、
「!」
男たちは彼女の前に立ちはだかり、何も言わずに威圧した。
これは、入れてくれそうにないわね……仕方なくタクシーの中で待つ事にした。
30分後──建物から出てきたベリルたちを見たケイトは慌てて、寝ているドライバーを起こす。
2人が向かった先は雑貨店。いつ出てくるか解らないため、ケイトはタクシーから降りずに待っていた。
すると、ベリルがこちらに向かってくるではないか──開かれた窓から顔を覗かせて、
「降りろ」
ぶっきらぼうに言い放つ。
しぶしぶタクシーから降りると、ベリルがドライバーに金を渡し彼女を自分の車に促した。
驚く彼女に、
「後はホテルに戻るだけだ、乗っていくと良い」
「あ、ありがと」
後部座席に座ると、助手席にいるノインが当然ケイトを睨み付ける。
睨み付けたあと、プイとそっぽを向く。ベリルはそれに肩をすくめ、車を走らせた。
終始、無言の車内──ベリルは元々、無口な方だが、こういう重たい雰囲気は苦手だ。
溜息を漏らし、ラジオを付ける。軽快な音楽が車内に満たされた。
次の瞬間──ブチッ! とノインがラジオを切った。
「……」
ベリルは一瞬、目を丸くしたが彼女が怒っている理由は他にある。ケイト自身にではなく、ベリルが女性を車に乗せた事だ。
「そう怒るな」
「怒るわよ。女たらし」
「!」
それに、ようやくケイトも本当の理由に気が付いた。
この子は本当に彼のことが好きなのね……クスッと笑い、ほほえましく感じてノインの後ろ姿を見つめた。
こんな光景を見せられては、彼を奪おうなんて考える事も出来ない。
「安心して、私には彼氏がいるから」
「!」
そんなウソも吐ける。
しかし、それを聞いた彼女の表情は一向に明るくはならなかった。
何かしら、この空気……異様に重圧感のある車内に、ケイトは生ぬるい笑みを浮かべる。
ケイトの言葉を信用出来ないというより、彼氏がいてもベリルに乗り換えるかもしれない。という感情の方が大きいらしい。
だめだこりゃ……ケイトは、呆れて窓の外を眺めた。
「まだ怒っているのか」
部屋に戻ったノインは、無言で服を着替えを続ける。ベリルは深い溜息を吐くと、ノインの前に立ち、
「私の時間をお前に与えると言ったろう」
ノインは視線を外し、ベリルを抱きしめた。
「そんなの、わからないもん」
「信じてもらいたいものだ」
目を細めてキスを与える。
「言い過ぎたと思っているのだろう?」
「……」
「私がお前を嫌うかもしれないと恐れているのか」
抱きしめるノインの腕に力がこもる。
ベリルは優しくノインを抱きしめて、
「心配しなくとも良い」
「ごめんなさい」