第十三話・一太刀
朝陽がスレイジア大陸を照らし始めた頃、コマナシの宿に昨日から宿泊している三人の内一人、メルシアが目を覚ました。
普段来ている服とは違い、薄い黒地のシャツと黒い下着という軽装で、前に垂らして結んでいる髪をは解いている為ストレート。
小さく欠伸をした後、いつもの革製の服に着替え隣のベッドで布団を蹴散らして眠っているムラクモを一瞥し、一応布団をかけ直してあげた後、眠気を飛ばす為洗面所へ向かう。
歯磨きと洗顔を済ませ、次に髪を整えていつもの様に前に垂らして胸元辺りで一つに束ねて、身嗜みのチェックをする。
「よし」
洗面所を出て戻ってみると、またしてもムラクモは布団を蹴散らしていた為、仕方なくまたかけ直す。そして、さっきは見ていなかったが、キャシーはどうなのかと思い目を遣り、ちゃんと寝ていることを確認して安心する。
(そういえば、軽装のキャシーって初めて見るわね。レークナの時は、何故か胸当てを外しただけだったし……)
今のキャシーも、メルシア同様、普段とは違い軽装である。
壁に立て掛けていた大太刀を背中から紐で結んで提げ、外の空気を吸おうとベランダから飛び降り宿の付近を適当に散歩して少し残っていた眠気を完全に飛ばして宿に戻ったが、
「あ、鍵掛けっぱなしだった……」
そのことを思い出し、溜息を付いて仕方なくまた外に出ることに。
裏に回り自分たちが泊まっている部屋の下に着き、跳躍することでベランダに移りそこから中へ入ると、目に入ったのはまたしても布団を蹴散らして眠るムラクモだった。
「もう……子どもじゃ無いんだから」
そう言いながらも、またかけ直すメルシアはもしかしたらお母さん気質なのかも知れない。
整えて、自分が見ている間にまた蹴散らさないか確認したメルシアは大太刀を机に立て掛けて椅子に座り、二人を観察していると、キャシーが寝返りを打った。だが、既にベッドの左に寄っていた状態で左に寝返りを打ったので、
「ッ! 痛い……」
「でしょうね」
ベッドから落下し、ゴン、と盛大な音を立てた。
「あ、メルシア……おはよう~」
「おはよう。顔、洗って来なさい?」
キャシーは間延びした返事をした後、小さく欠伸をしながら洗面所へ向かった。程なくして水を流す音と、「こぶになってる」と嘆く声を聞こえ、メルシアは目を閉じて溜息を付いた。
ムラクモは未だ夢の中である。
「平和よね…………」
呟くと同時に、バサ、という音が聞こえたメルシアは、目を開きムラクモを見ると、
「また……全く」
案の定、また掛け布団を蹴散らしているムラクモがそこにはいた。
(直してもどうせ蹴散らすのよね……)
そう思いながらも、またムラクモの布団をかけ直して上げたメルシア。そして、また蹴散らそうとしても出来ないようにベッドに腰掛け、なんとなく天井を見る。
それと同時に、洗面台からキャシーが顔を拭きながら出て来、メルシアを見て何をしているのか聞いた。天井を見上げながら答えたメルシアの答えに納得したのか、小さく笑いながら、メルシアのベッドに腰掛ける。
そうすると、必然的に二人は向かい合う形となる。
「なんかさ……」
「ん?」
暫くの間二人とも無言だったが、キャシーの声を聞きメルシアは顔を正面に戻した。
「平和、だよね」
「…………そうね」
頬笑み合った二人は、その後同時にムラクモを見た。
「ムラクモのお陰、だね」
「ふふ。少し前までは、ずっと独りだったのにね…………不思議な物だわ」
どこか感慨深げに言うメルシアを見て、キャシーは彼女が読唇術をマスターした後はどうするのか、という疑問が浮かんだ。
『読唇術をマスターしない限り貴方たちといるわよ』
ほんの二、三日前に彼女が言ったこの言葉に、嘘などが含まれていないだろということは、キャシーもムラクモも分かっている。本当にマスターした時、メルシアがどうするのか、それは彼女自身が決めることだが、キャシーは勝手だと言うことが分かっていても、「ずっと三人でいたいな……」と思っている。
「ねえ――っ」
知らずの内に言葉を発したキャシーは慌てて口をふさいだが、既に遅くメルシアにはハッキリと聞こえていた。どうしたのか、と疑問を浮かべながら、キャシーを見ている。
「ううん。何でもない」
「? なら、いいけど。何かあるなら、遠慮無く言いなさいよ?」
「うん。その時はちゃんと言うよ。わたし、そろそろ着替えるね? ムラクモも起きちゃうかも知れないから」
「ええ」
その後、起きていないとはいえ異性が居る場で着替えるのは恥ずかしかったのか、いそいそとキャシーは着替え、その間メルシアはムラクモの頬をつついて遊んでいた。
(――――ごめんね?)
何に対しての謝罪だったのか。
それは、メルシアにしか分からないだろう。
「もう少しだけ……。もう少しだけ……貴方たちと」
誰にも聞こえない程の小さな声でそう言いながら、彼女はムラクモの頬を撫で、悲しげな笑みを浮かべた。
「よし。メルシア、可笑しい所ないよね?」
「ええ」
着替え終わったキャシーが振り向いた時には、いつもの彼女に戻っており、何事も無かったかのようにキャシーの問いかけに答えた。
その後、二人はムラクモが起きるまでの一時間程を他愛の無い話をして過ごした。顔を洗って尚眠気眼のムラクモを引っ張る姿は、周りから見るととても心温まる光景として映ったのかも知れない。
女将やウェイトレスは皆頬笑みを浮かべて三人を見ている。
「戦う時はあんなに素早く動くのにね?」
「その時は多分、別のスイッチが入ってるのよ。キャシーも、見たことがあるんじゃない? 普段と何かをしている時だと、まるで別人みたいになる人」
言われてキャシーは暫く考え込み、やがて思い至ったのか右手を軽く握り左手にポンと当て、
(和むわね)
それを見たメルシア、他一同はそう思った。
「えっとね……お母さんの友達で、マリアさんって言う人がいるんだけど、その人、魔術師なの」
「ええ」
「それで、なんか凄い魔術師で、独自の魔術を作り出したりするの。普段はおっとりしてる人なんだけど、魔術のことになると、別人みたいに豹変して……怖かったなぁ……」
「正しくそれよ。でも、その『マリアさん』には少し興味が湧いたわね。独自の魔術なんて、それこそ天才でもないと出来ないことだわ」
「うん。ギルドに登録してたら、確実にSSSにはなってたわね~って、お母さんもマリアさんも言ってた」
「凄いわね」
素直に感心し、メルシアは近くを通りかかったウェイトレスに朝食、飲み物にコーヒーと紅茶を頼んだ。
「ムラクモさんは……どうしましょうか?」
名前を知っている理由は、単に宿泊する際、用紙に名前を書くからである。
未だ眠そうな彼を見ながら、ウェイトレスは苦笑しながら二人に聞き、キャシーも苦笑で返した。それを見て呆れたように溜息を付いたメルシアが、少し強めのコーヒーを注文し、ウェイトレスは笑顔で応じて戻っていった。
数分後、料理が届いたが、ムラクモは眠気が相当強いのか頭をカクンカクンと揺らしていたが、メルシアが料理を食べ終わる頃にやっと目を覚ました。
「あ、おはよう」
『……ああ』
「ほら、これ飲んでシャキッとしなさい?」
ゆっくり頷いた後欠伸を噛み殺したムラクモは、メルシアから差し出されたコーヒーを取り一口飲み、寝起きに飲むにしては強すぎたのか盛大に咽せてしまい、キャシーがその背をそっと撫でてあげた。
落ち着いたムラクモは、礼の代わりとしてなのか分からないが、キャシーの頭を撫でた。それが嬉しかったのだろう。キャシーはふにゃりと笑顔を浮かべ、頬は少し朱色に染まっている。
「えへへ」
(ホント……平和だわ)
自分のコーヒーを飲みながら、メルシアは先程と同じことを思った。
「ニーナ、宿に着いたぞ?」
「う……うん? くあぁ~……おはよう、ガトレアぁ」
その時、宿の扉が開き、二人組の男女が入ってきた。
ガトレアと呼ばれた男は、二メートル近い巨体に黒い鎧を着ており、頭には鉄製のバンダナの様な物を付けている。
ニーナと呼ばれた少女は、頭にはとんがり帽子、手には肘上まである長い手袋、同じく膝上まであるブーツ、そしてマントを装備している。
落ちないように支えている杖は、恐らくニーナの物だろう。先端には黄色い光を放つ球体が付けられている。
ニーナを背負ったまま、ガトレアは受付を済ませ周りの視線を気にすることなく二階の部屋に消えた。
ムラクモは、そんな二人を気にすることなくゆっくりコーヒーを飲んでいた。
∞
208号室。つまり、ムラクモ達の隣の部屋に入ったガトレアは、ニーナを帽子を外してベッドに寝かせ布団を掛けた後、ドアの方を見た。
「先程の男――」
「結構強いよね?」
続けるようにニーナが言い、ガトレアはベッドに目を向けた。光を遮る様に右手を顔の上に翳しているニーナは、口元に笑みを浮かべている。
まるで新しいおもちゃを見つけたように。
「やっとお目覚めか?」
「まあね。それで、どうする? 後をつけるなら姿隠し、かけるよ?」
起き上がりながら言い、ウィンクをして右手の人差し指をくるくると回すニーナ。
「いや、恐らく掛けても無駄だ。あの赤髪の女は欺けるが……黒髪の女は分からん。男には確実に気付かれるだろう」
それより、とガトレアは話題を切り替えた。
「うん。情報、集めないとね」
対してニーナも、真剣な顔つきになり答える。
その後、二人は装備を整え宿を出た。
∞
朝食後、ギルドに来たムラクモ達灰色の剣は依頼を探していた。
キャシーとメルシアがお互いに選んだ依頼をどうかと確認し合う中、ムラクモはマッシャー討伐の依頼書をまたジト目で見ていた。心中ではやっぱりむかつくな、と思っているが、先日同様理由は不明。本当になんとなくむかついているようだ。
その間も話し合っていた二人は、受ける依頼を既に決めており、ムラクモにも確認しようと呼びかけた。
「……ムラクモ?」
反応の無いムラクモにキャシーが呼びかけるが、未だムラクモは依頼書を睨んでいる。その視線を追うように、メルシアもその依頼書を見た。
(二十体のマッシャーか。今のキャシーには丁度良い練習相手かも知れないわね)
そう思い、メルシアは横から手を伸ばしその依頼書を取った。それでやっとムラクモは隣に目を向ける。
「どうしたの?」
「やっぱりこっちにしましょう。貴方の練習相手にもなるからね」
依頼書を渡されたキャシーは内容を見、メルシアの言った意味を理解した。
「でも、全部をわたし一人で相手するのは厳しいよ?」
「今はそこまで求めてないわ。マッシャーの攻撃に私の攻撃のイメージを重ねなさい。違いが分かるわよ」
「違い……うん、分かった。やってみる」
「ええ」
依頼書を両手で持ち、キャシーは受付に向かった。
(「お前、さっきの二人どう思った?」)
「女とは互角、男とは分からないわ。どっちも相当の実力者よ」
その後ろ姿を見ていたムラクモは、メルシアの前に文字列を作り尋ね、彼女は直ぐに答えた。Aランクの冒険者である彼女が、良くて互角と言う結果を出したことから、ガトレアとニーナの力が相当の物であることは分かるだろう。
聞いた本人であるムラクモも、あの二人の強さを良く分かっている。
(「キャシーは、まだ何も分からなかったみたいだが」)
「仕方ないわよ。上手く隠してたから……ま、関係ないけどね」
(「そうだな」)
文字列を消した時、キャシーが小走りで二人の元に戻ってきた。
「ただいま」
「お帰り。それじゃ、早速行きましょうか」
『その前に少し特訓していった方が良いと思うぜ?』
「『特訓』? なんの?」
着実に読唇術を会得していっているメルシアは聞き返した。
『剣術。昨日は途中から別の特訓になってたしな……』
「確かにそうだね。いい? メルシア?」
「分からなかったから説明して」
「昨日、別の特訓になっちゃったでしょ? だから今日は剣術の特訓をしたら、って」
「あ~……そうね。やりましょうか」
主に自分の所為でそうなったと自覚している彼女は、気まずそうな顔をしながら承諾し先にギルドの裏へと歩き出し、二人も続いて歩き出した。
∞
「それじゃ、まずは一太刀でも入れて見なさい」
大太刀を片手で構えたメルシアに言われ、キャシーもシュヴァイスを両手で持ち正面に構えた。
真ん中に立ってそれを見ていたムラクモは左手を挙げ、特訓開始の意を込めて振り下ろした。
キャシーが駆け出しまずは左から一閃するが、メルシアは一歩後ろに下がり回避した。逃さないとばかりに、キャシーは踏み込みながら突きを繰り出すが、メルシアは体を左ずらすことで躱し、大太刀を振り上げた。
次の瞬間に来るであろう衝撃に備え、キャシーは剣を頭上に構えた。
誰であれ、相手が剣を振り上げたなら次に来るのは振り下ろしだと思うだろう。
だが、メルシアはそんなことには構わず右手の掌底をがら空きになっているキャシーの胸に打ち込んだ。
「――ッ!」
左腕を振り上げたままと言う不安定な状態から打ち出されたにも関わらず十分な威力を以て放たれたそれは、小柄なキャシーを軽々と吹き飛ばした。
地面を二回ほどバウンドしただけで済んだが、もしこの一撃が本気だったとしたならばその威力は計り知れない。
キャシーは全く想像出来なかっただろう。
「ぐ……げほ……っは、はあ……はあ……」
この一撃だけでキャシーは既にグロッキーになってしまい、荒くなった呼吸をなんとか整えようとゆっくり吸って吐いてを繰り返している。
(胸当てがあるとは言え、今のは効くな……)
ちらりとメルシアにムラクモは目を遣り、彼女は少し加減を間違えたと言うようにペロと舌を出した。
「けほ、けほ……すぅー……はぁー……」
次第に呼吸の落ち着いたキャシーはしっかりとした足取りで立ち、再び剣を構えた。
「いいわね。この娘のこういう所」
『ああ』
「?」
ムラクモが返事をしたことは理解したキャシーだが、メルシアの言葉は距離が離れてしまった為分からず首を傾げていた。
「気にしなくていいわ。さあ、再開しましょう」
無言で頷き、キャシーはまた駆けだした。
次は上段から斬り掛かり、メルシアにはまた躱されるが予想していたキャシーは勢いそのままに体当たりをした。メルシアはバックステップをした後、大太刀を振るい、切っ先がシュヴァイスの刀身にぶつかり高い金属音が何度も響いた。
昼間だと言うのに、火花がハッキリ視認できる程散っていることが一撃一撃の威力を物語っている。
(こんなに長い剣を、どうやってここまで自在に)
形勢がキャシーに有利になったかと思えたが、直ぐにそれは覆され彼女はメルシアの大太刀から繰り出される攻撃をひたすら防ぐことしか出来ない状態となっている。
上から下から右から左から、まさに縦横無尽とも言える斬激がキャシーに襲いかかり、徐々に剣を握る手から力を奪っていく。
(もう……だめ……)
しかしそれは、キャシーが観念すると同時に終わりを告げた。
「――よし。今日はここまで」
後一撃でも貰えば剣は弾かれる。
その状況で、メルシアは大太刀を鞘に収めた。
「え?」
(「よくやった」)
「……ムラクモ」
ムラクモはキャシーの頭に手を置いた。そのまま、いつもの様に優しく撫でると最後にポンポンと軽く二回叩いて離した。
その後二人の元までよったメルシアも、同じようにキャシーの頭を撫で、体当たりのことを評価した。自分の攻撃が躱されることを見越しての追加攻撃は、十分評価に値すると判断したからである。
「でも……一太刀も入れられなかった……」
だが、キャシーは気落ちしながら言った。昨日に引き続き全く良い所がなかったと思い、ショックを受けているようだ。
「あのね、貴女と私じゃ踏んできた場数が違うのよ? 経験もね……だから、今の貴女が私に勝てないのは当たり前のことでもあるのよ。酷い言い方だけどね。……それに、良い所はあったでしょ?」
「さっきの、体当たり?」
「そう。誰にでも出来ることじゃないの。それと、もう一つ」
左手の人差し指を立てるメルシアの顔には、小さく笑みが浮かんでいる。
「――今日は目を閉じてなかった」
「え、うそ?」
「本当よ。必死になってて、自分でも分からなかったんでしょうね。なんにせよ、これは大きな進歩だわ。ね、ムラクモ?」
ウィンクをしながらムラクモを見るメルシアに続いて、キャシーも視線を横に向けると、彼は確かに笑って頷いた。
『拳の方はまだ分からねえが、確かに目は閉じてなかったよ。昨日の今日でここまで成果が出るとは思ってなかったけどな……流石十四歳、まだまだ成長期ってことだな』
「それ、褒めてるの?」
『おうよ』
(やっぱり長い言葉は分からないわね……悔しいなぁ)
『ま、当面の目標はメルシアに一太刀入れることだな』
「…………うん。頑張る」
『ああ』
すっかり置いて行かれたメルシアは若干不満を感じながらも二人を見て笑みをもらし、空を見上げて思った。
(本当に…………平和だわ)