第十話・キャロルの過去
終焉戦争、十年前世界各地で突如として起こった魔物の暴走を発端として始まった人と魔物の戦争。兵器を騎士共に総動員し、各地で壮絶な戦いが繰り広げられた。戦いは十日程で終わったが、その終わり方に疑問を持っている者は多数いる。世界貴族の者達は皆そうだ。何せ、始まった時と同じように突如魔物が大人しくなりそれぞれの住み処へと戻ったのだから、当たり前だろう。だが、戦いの傷痕は今尚痛々しく残っており、結果としてこの戦争は、<終焉戦争>と名付けられ歴史に刻まれたのは、まだ民の記憶に新しい。
現在、ムラクモ、キャシー、メルシアの三人はディロウアに向けて昨日ムラクモとメルシアが戦った街道を時々襲撃してくる魔物を倒していきながら歩いている。その途中、読唇術の練習をしていたキャシーが突然、昨日ムラクモに終焉戦争のことを話していないことを思い出し、説明したのが上記のことである。
その間も魔物は来たが、ノアが全て倒し収納した。
「簡単に言えばこんな感じ」
「ついでに少し付け加えるなら、最近は魔物の暴走が『人為的に起こされたモノではないか?』っていう仮説も立てられてるわ」
「え……そうなの?」
「あくまで仮説よ」
メルシアの言ったことは、まだまだほんの一部で囁かれているだけであり噂の域を出ないが、数人の耳には既に入っているだろう。事実として、メルシアはそのことを知っている。
「でも、そんなことが出来る人がいるとしたら、どうしてそんなことしたんだろう?」
「さあね」
ちなみにメルシアがいる理由は単に、「読唇術をマスターしないと気が済まない」と言う意地の様な物だが、諦めないことは大切なことだ。
「ただ……貴方に少し聞きたいのだけど、本当にそんな人がいるなら、貴方はどうする?」
少し後ろを歩いているムラクモに、メルシアは突然尋ね、キャシーもムラクモを見た。
『どうもしねえよ。興味も無い』
「え?」
「なんて言ったの?」
まだ少しの単語しか分からないメルシアは、キャシーからムラクモの答えを聞いて歩みを止め、
「――憎くないの?」
振り返りつつそう尋ねた。
(「最初は憎んだ。恨みもした。でもな……結局何が変わる訳でもない」)
「じゃあ、その人が実在していて、もし『目の前に現れたら』どうする?」
(「一発殴らせてくれたらそれでいいさ」)
練習を続けろ、と言ってムラクモはこの話を終わりにし、右手を左の袖に、左手を右の袖に入れて歩き始めた。
「………………」
「どうしたの?」
その背をじっと見つめていたメルシアにキャシーは聞いたが、
「いいえ、何でもないわ。続けましょう」
「? うん」
そう答え、メルシアも歩き始めた。その後をキャシーも追いかけ、引き続き読唇術の練習を始める。
「(レークナ)」
「『えーくや』?」
「あ、近い」
(そうか?)
その後半日掛けて、レークナとディロウアの中間地点である巨大橋に到着した一行だが、そこには人だかりが出来ており、足を止めることとなった。
「邪魔ね……」
「ムラクモが『斬ろうとするなよ』、だって」
「しないわよそんなこと(ちゃんと聞こえてたんだから)」
その会話が聞こえていたのか、旅の行商人の様なおじさんが三人に、ディロウアに行こうとしているのかを聞いてきた。その問いに、キャシーとメルシアは頷き、ムラクモは空を眺めていた。
(腹減った……)
そしてそんなことを考えていた。
「この人だかりはなに?」
「ああ、橋が壊れてるんだよ。何とかすれば通ることは出来るかも知れないけどね……危険過ぎるから誰も通ろうとしないらしい」
「まあ、そうだよね……」
「通ろうとする奴がいたら只の馬鹿よ。それで、ディロウアに行くなら、<神の泉>から<コマナシ>に行って迂回するしかないのかしら?」
「そうなるね。ただ、それにしても問題がある訳だが……って、せめて話は最後まで聞いてくれないかな?」
二人は、おじさんの言った、そうなるね、辺りで既に来た道を戻っており、後をムラクモもゆっくりと追っていた。
(「それで、あのおっさんが言ってた問題って何だ?」)
「これも終焉戦争と関係あることだけどね……戦争以降、神の泉は、『飲んだ者の体を癒す』という効果を失ってしまったの。なんでも、その『泉を護っている者が穢れたから』、らしいけど」
「その護っている者も魔物なんだけど、確固とした自我を持ってるの……名前は<ウーティ>。討伐ランクはA~Sよ」
(穢れた、ねえ……そんで、自我を持ってるってことは、十年近く苦しんでるってことか? 俺だと耐えられねえな、それは)
文字列が出ないことを、ムラクモが理解したと判断したのか、二人はまた読唇術の練習を始めた。
それからまた半日ほど掛けて、三人はレークナ付近へと戻ってきたが、そこでまたも足を止めることになってしまった。
「『よな』? て、キャシー?」
正確には、足を止めたのはキャシーだけだが、つられて二人も足を止めた。キャシーはメルシアの呼びかけにも応じず、ずっと街の出口を見ていた。そこには、鎧を着た騎士が五人程おり、道行く人に何かを聞いていた。
ボ~ッとしているキャシーの目の前でメルシアは手を振るが、それでも反応を示さず、今度はムラクモが頭の上に手をポンと置いた。
すると、
「はっ」
戻ってきた。
「どうかしたの?」
「あ、ううん。何でもない」
(「あの騎士達か?」)
キャシーが見ていたのは、あの騎士たちだろうと思い、ムラクモがそう聞くとキャシーは図星を突かれたことで何も言えなくなった。
「そこのお三方、少し聞きたいことがあるのだが、構わないだろうか?」
そんなキャシーを見ていると、五人の中から三人程がムラクモ達に近づき、先頭にいる男性騎士がそう聞いた。その問いにメルシアが首を縦に振り、それを確認すると男性騎士は、「この辺りで王女様を見ていないか」と聞いてきた。
「王女様? ああ、スレイジア家の?」
「そうです。実は一昨日の夜、キャロル様が城を抜け出したので、一応聞いて回っているんですが……」
「一応って、どういうことかしら? いなくなったのは王女なんでしょ?」
普通、一国の王女が城から姿を消す様なことが起きたなら、王はすぐに捜索を開始させ、騎士達は血眼になって探す筈だ。だが、騎士の言い方からしてそんな様子は無い。
「それは私がご説明したいのですが、よろしいですか? 隊長?」
「ん? ああ、そうだな。頼む」
後ろに控えていた蒼髪の女性騎士が隊長に許可を取り、前に出て説明を始めた。
「あ」
「え?」
「っ」
その女性騎士を見た途端、キャシーは声を上げそれに気付いた騎士が見たが、キャシーは「しまった」と言うような顔をしてすぐにムラクモの背に隠れ顔だけを出した。
「何か?」
「いえ、気にしないで頂戴。それで、どういうことかしら?」
「あ、はい。まずは、キャロル様の過去をお話しすることになりますが、よろしいですか?」
頷いたムラクモとメルシアを見て女性騎士は、王女、キャロル=ド=スレイジアについて話始めた。
十年前のある日、キャロルは宝物庫に向かうと言った王について行くと言いだし、手を離さない様にと約束した上で共に宝物庫に向かった。宝物庫に向かった理由は、ある探し物をする為。到着したキャロルと王は共に中に入り、王は近辺の物に触れない様にと言い聞かせ探し物を始めたが、何分長い間放置されていただけに、どこに何があるのかは分からなくなっていた。宝物庫と言っても、そこにあるのは魔導書が殆どであり、金銀財宝があると言うわけでは無いが、仮にあったとしても魔導書に比べれば大した価値がある物では無くなる。それほど、スレイジア城に納められている魔導書は価値があり、同時に危険な物であった。
王が探し物をしているその間、暇になったキャロルは中の物を見物していたが、まだ幼い為何が何なのかを理解することは出来なかった。
それから暫くして、キャロルの背後に何かが落ちた音がし、驚きながら振り向くとそこには一冊の魔導書が落ちていた。その魔導書こそが、王の探していた物なのだが、何を探しているのかすら聞いていなかったキャロルにそんなことが分かる筈もなく、その魔導書に近づいた。見上げると、そこには丁度一冊分が入りそうな空きがあり、キャロルはなんとかしてそこに戻そうと思い、魔導書を拾う為屈んだ。
王はそこで別の所を探そうと、探していた本棚とは別の本棚を見たのだが、そこで娘が何かに触ろうとしているのを見た。
それを見た王は血相を変え娘の名を叫んだが、既に娘は魔導書に触れてしまっていた。
途端、魔導書から闇のマナが溢れ出し、キャロルを包み、王は慌てながらも光のマナを手に集め魔導書を払い、同時にキャロルは気絶した。
娘の一大事に慌てるなと言う方が無理だが、その時の王は余程慌てていたのだろう。愛娘に何度も呼びかけ、そのことに夢中になっていた所為で娘の中に入り込んだ闇のマナを見逃してしまった。
それから、キャロルは一週間ほど目を覚ますことは無く、王はその間自分を責め続け、王妃の慰めの言葉も耳に入らない状態となってしまった。
「加えて、私たちも王女様のことが気がかりで、訓練にも身が入らなくなってしまいました」
「王女様の所為、みたいな言い方になってしまうが、事実でな。皆、王女様が大好きなんだ」
隊長の言葉に、女性騎士と後ろにいるもう一人の騎士は深く頷いた。
「それで、王女様はその後どうなったの?」
「目は覚ましましたが、魔導書のマナに触れたショックが大きかったのか、それまでの一切の記憶が消えてしまいました」
「………………」
その言葉を聞き、メルシアは何も言えなくなり、キャシーは黙り込み、ムラクモの着物を強く握っていた。
「加えて、本来ならマナと髪や目の色に関係はありませんが、マナがあまりに強すぎたのか左目が黒くなってしまったのです。それが何か影響を与えた、と言う訳では無いのですが、これから何か起こるのでは無いかという懸念はあります」
「そう。それから、王女様はどう生活していたの? 両親の顔も、貴方達騎士のことも全て忘れて……待って、消えた? 忘れたのでは無くて?」
言っている途中で、今更ながらメルシアはそのことに疑問を抱いた。
「そうです。文字通り、一切の記憶が消えてしまいました。貴女が言うように、王様と王妃様、私たちのこと、そして自分のことも……全て」
(少し俺と似てるな。違うのは記憶って点だが、その場合辛いのは忘れた方より忘れられた方)
「それから、王女様が自分達の娘であることを、お二方は教えました。王女様も、やはり相手がご両親だった為か、恐怖心などはあまり無かったのかも知れません」
これが以前言った、「キャロルにとって、王族であることは当たり前ではない」ということである。
それから、王と王妃は可能な限りキャロルを自由に生活させることにした。だからと言って、それまでが不自由だったと言う訳では無く、外出する際は二人も一緒だった。以前も言ったが、スレイジア家は最下位に属している貴族であるため、厳しい家庭環境と言う訳では無い。いや、例え上位に属していたとしてもスレイジア家は厳しくはなっていないだろう。
そんな両親の、新たな方針の下、キャロルは自由に生活を始めたが変わった点と言えば、見る物全てに興味を抱くようになったことだろう。他のことは殆ど変わっていなかった。世界のことや魔物のこと、剣術に興味を示し、中でも特に興味を示したのが外の世界のことであった。記憶が消える前にした遠出と言えば、ライドメイル大陸で行われるパーティ位であった為、一度も出ていないことと同義だった。
だが、やはり危険と言うことで街の外に出ることは出来なかった。
それを補うかの様に、剣術の練習に励み、騎士達の動きを真似て我流剣術を磨いていった。
「それから三ヶ月程が経過し、終焉戦争が始まりました。王国でも、甚大な被害が出てしまいましたが、王女様達は城内の結界に護られていたので、無事だったのです」
その後、キャロルは只護られるだけだったことに不甲斐なさを感じ自分の力で何かを護りたいと思うようになり、以前にも増して剣術に打ち込む様になった。
「それからの王女様の成長には、目を見張る物がありました。騎士相手に戦い負けたことは殆どありません」
「手加減をした、とかではなくて?」
「したつもりはありませんが、やはりどこかで抜いてしまっていた所はあったかも知れません」
(ん?)
女性騎士がそう言った時、ムラクモはキャシーの手に更に力が込められたのを感じた。
(まあ、いいか)
だが、あまり気にしないことにした。
「それで、何があったか知らないけど、王女様は一昨日城を抜け出したのね?」
「そうです。王女様が外の世界に強い憧れを持っておられることは皆が知っていたので、形だけでも捜索をするように、と王様から命じられているのです」
(だから、一応か)
「成る程ね……それじゃあ、見つけたら知らせた方が良いかしら?」
「そうですね。念の為、王女様の特徴を教えておきます」
腰元まである銀髪に青い右目と黒い左目。身長は百四十㎝程、そして腰には宝刀であるシュヴァイスを提げている。
それが、王女・キャロル=ド=スレイジアの特徴だった。
騎士達と別れた三人は、改めて中間地点である神の泉に向けて出発した。
途中、両親と城の者達の思いを知ったキャシーは、皆に感謝した。
(やっぱり親なんだ……ありがとう、お父さん、お母さん。わたし、世界の隅々まで行ってくるよ)
そして、そう決意した。
「さて! 練習、頑張って行くよ! メルシア!」
「いきなり何よ? まあ、いいけど」
まずは読唇術をメルシアに教えることを頑張ろうと決め、気合いを入れて言うキャシーに溜息を付きながらも、メルシアは練習を始めた。
後ろを歩きながら、ムラクモは泉を護っている魔物のことが気になっていた。
(穢れたってことは、正気を失ったりしてんのかな? 倒して元に戻ると良いが、他にも魔物がいるだろうし、結構面倒な戦いになるかもな……旅に出て早々ワイバーンに遭遇したり、金髪と戦ったり、メルシアに喧嘩売られたり……こんだけ色々あって、その泉だけ何も起きないなんてことはないよなあ)
ムラクモは空を眺めながら溜息を付き、また視線を前の二人に戻した。
「『ひゃこふ』?」
そして、また吹き出しそうになった。
翌日。
その日は朝から雨が降っていた。昨日まではそんな気配すら無く、突然の雨だった為、キャシーとメルシアはムラクモの両サイドにくっつき、三人でノアの下に入っている。
「貴方のお母さん……不思議な力を持っていたのね?」
『そうだな』
「あ、『そう』は分かった」
「お、すごい」
「ん」
ムラクモは、キャシーにする時と同じようにそっとメルシアの頭を撫でた。
(いいなあ)
キャシーはそう思っているが、メルシアは何か不満なのか顰め面をしていた。そして、ムラクモに少し屈む様に言い、耳元で
「もっと乱暴にしてくれない?」
(乱暴?)
それを聞き、姿勢を戻したムラクモはメルシアの頭をがっちり掴みギリギリと力を入れた。
「ちょ、何してるの! ムラクモ!」
『いや、こいつが乱暴にしてくれって言うから』
それを見たキャシーはそう言ったが、ムラクモは力を緩めずにメルシアの頭を掴んでいた。
「ああ! もっとぉ!」
掴まれているメルシアは、いやがる所か喜んでおり、キャシーはどういう反応をすれば良いのか分からないようで、言葉を失っていた。
『キャシー、世の中には色んな奴がいるんだよ』
「うん……そうみたいだね」
この日、キャシーは新たな知識を得た。
「ああん! もっとお!」
(なんか、普段のお袋と手紙のお袋みたいだな……)
用は普段との違いがありすぎる、ということである。
指摘・批判・批評・誤字脱字報告、お待ちしております。