狂っていく
鏡堂リズには、悩みがあった。それも、ここ最近の話である。
何から話せばいいのか、という感じだが、とにかくおかしいのだ。彼とは長い間一緒にいるが、ここまでちぐはぐに感じることはなかった。
そう、ことは一週間前まで遡る――
その日は、同棲して初日ということもあり、若干の恥ずかしさがありつつも、お互いに絶妙な距離感で仲良くやれていた。もちろんデートは何度もしていたし、その中には当然お家デートもあったのだが、目的なく同じ空間に一緒にいる、というのは初めてだったので、苦もなくいい感じであったことに一安心していた。
そう、その日はまだいい感じだったのだ。
それから数日後。
同棲して数日が経ち、お互いに慣れてきた頃合いだと、積極的にスキンシップをとろうと近づき――なぜか、初心な反応をする彼。
これが、付き合って数日とかなら分かる――それでもその反応はどっちかと言えばこっちのやつ――のだが、同棲して数日である。それに、初日の方がもっとベタベタしていたはずなのに、今更そんな反応をされてもって感じだ。
……しかしまあ、やりづらいことこの上ないが、そういう日もあるのだろうとその日は気にせず過ごした。
が、それがしばらく続いた。
もうこの時点で既に異常は確定していたのだが、それに加えて何やら隠し事もしているようなのだ。それも人に、特にこちらには言えなさそうなやつを。
鏡堂リズは、大いに混乱していた。しかし、それだけならまだなんとかできるとも思っていた。鏡堂リズの名に懸けて、絶対にいい感じにしてみせると。
――それがもう不可能だと気づいたのは、つい昨日のことだった。
「……りっちゃんに、言わなきゃいけないことがある」
仕事から帰ってくるなり、思いつめた顔でそう言う彼に、とても嫌な予感がしていた。何せ、ここ最近は話しかけても無視されることが増え、ずっと何かに気を取られている様子で、にこやかだった彼があまり笑わなくなったのだ。
仕舞いには、いきなり「ひひっ」と笑い出す始末。彼が何を言いだすのか分かったものじゃない。
だが、鏡堂リズは度胸をもって彼に話しかけた。
「……どうしたの?いきなり。疲れてるだろうし、はやく着替え――」
「実は、俺には借金があるんだ。それも、多額の」
「………………え?何を……言ってるの?」
これが、昨日の話。
それから彼とは、一度も話していない。が、朝が来れば自ずと同じ部屋で顔を合わせることになる。
ああ、どうか、今日はいつもの彼に戻っていますようにと、名前も知らない神に祈りを捧げ――
「りっちゃん。俺、頑張るからさ!一緒に借金返してくれないか!」
あえなく、祈りは届かなかった。
「…………そう。でも、相手は待ってくれるの?」
「大丈夫だ!誠心誠意伝えれば、きっと分かってくれる!」
「そう……だとして、きっと家までくることに――」
「その時は俺が守るさ!」
「…………………………………………ありがとう」
「はいオッケーでーす!!」
次の撮影は……、とスタッフが何か言っているようだったが、鏡堂リズはお構いなしに楽屋に直行した。
一秒でも早く、ここから離れなくては身が持たない。
そうして、マネージャーに渡されたドリンクを一気飲みした鏡堂リズは、マネージャーに向かって思いの丈をぶちまけた。
「……なんであいつずっと台本無視するの!?全然展開違うんですけど!」
「まあまあ」
「あいつだって初日までの撮影は上手くできてたでしょ!?なんでどんどん下手になっていくの!?」
「そういうこともありますよ」
「それに、『はいオッケーです!』って、何もオッケーじゃないんですけど!!間とかぐちゃぐちゃだし、そもそもセリフも展開も何もかも違うのに、なんでずっとオッケー出してんの!?『りっちゃん』とか言ってたわよあいつ!」
「オッケーだったんでしょうね」
「意味わかんないから!まったく、どいつもこいつも……」
「そろそろ撮影再開でしょうし、戻った方がいいのでは?」
「うっさいわね!そもそもこれあんたが取ってきた仕事でしょうが!ドラマなのか映画なのか、私何にも知らされてないんだけど!」
「まあまあ、いいじゃないですか。金払いがよければなんでも」
「いいわけあるかー!」
しかし、鏡堂リズは一度始めた仕事は最後までやり切ることをモットーにしている。この名に懸けて、投げ出したりなんて決してしない。
そう、どれだけ現場が大変だろうと――
「あ、リズさんその……よかったらこの後食事でもどうですか」
「あんたが真面目にやってくれたら考えてあげるわ!」
「……!」
女優である限り、鏡堂リズは役を演じ続けるのみである。




