私を虫けらと呼ぶ婚約者。本当の虫けらはどっちでしょうね
「今日限りで、お前との婚約を破棄する。……僕は、お前のことがずっと嫌いだった。家柄くらいしか取り柄のない、陰気で不細工な女め。お前と比べたら、地べたを這いまわる虫けらの方が、まだ愛嬌がある」
私の婚約者――キュリック様は、そう言って唾を吐き捨てました。
ここは、町はずれの廃村。
こんなところに呼び出され、何の話かと思っていた私は、突然の婚約破棄と、酷い侮蔑の言葉を投げつけられ、思わず体を震わせました。
驚きと悲しみで、何も言葉を返すことのできない私に、キュリック様はなおも暴言を浴びせ続けます。
「僕がなぜ、お前のような醜い女と婚約したか知ってるか? そうすれば、裕福なお前の家から、色々と援助が受けられるからだよ。忌々しいが、僕の家は今、少々金に困っているからな。わかるか? お前は、僕がぜいたくな暮らしを続けるための『金づる』だったんだよ」
……なんとなく、分かっていました。
キュリック様が、本心から私のことを好いているわけではないことは。
それでも二人で会えば、いつも優しくしてくれたし、いつかはキュリック様も、私のことを好きになってくれる……そう、夢想していました。
しかし、所詮、夢は夢にすぎなかったようです。
キュリック様の美しい青い瞳には、もはや隠す気もない嫌悪と侮蔑の意思が、ありありとあらわれていました。
『でも、どうして、こんなに急に、私との婚約を破棄するのですか?』
そう尋ねたかったのですが、生来喋ることが得意でない私は、上手に言葉を紡ぐことができず、何も聞くことができませんでした。
「ふん、なんだその顔は? 言いたいことがあるならハッキリ言えよ。僕はなあ、お前のそういうトロくさいところも、本当に嫌いだったんだ。ふふ、ふふふ、だから今日限りで、お前のアホづらを見ずにすむと思うと、心からせいせいするよ」
トロくさい――
アホづら――
頭の中で反芻すると、悲しくて、自然と涙がにじみます。
そんな私を嘲るように、キュリック様は笑いました。
それは、これ以上ないほどの、さげすみの笑いでした。
「おい、ちゃんと聞いてるか? 返事くらいしろ、間抜けが。それともお前、耳まで遠いのか? うちの使用人のババアだって、もうちょっとしっかりしてるぞ」
もうやめてください。
これ以上、酷いことを言わないで。
私は、自分の耳を、自分の両手で覆いました。
しかし、人間の手というものには、それほどの遮音能力はないようであり、キュリック様の声は、私の手を貫くようにして、耳に届いて来ます。
不幸中の幸いだったのは、キュリック様の話す内容が、私への侮蔑から、先程知りたいと思っていた、『婚約破棄の理由』に移行したことでした。
キュリック様は、意気揚々と、大衆に演説する思想家のように語ります。
「僕にはな、お前と、お前の家に隠れて、ひそかに想いあっていた恋人がいるんだよ。彼女はお前と違い、家柄の良くない娘だが、とても美しい人だ。……聞いて驚けよ。少し前にな、彼女の姉が国王陛下に見初められ、後宮に入ることになったんだ。これで彼女の家は、一気に格が上がることになる」
王様が一般の女性を見初めるなんて、物語のようなこと、本当にあるのですね。
私はどこか他人事のような気持ちで、キュリック様の話を聞いていました。
「もちろん、後宮に入る際、国から多額の支度金が与えられた。……僕が何を言いたいか分かるか? 僕が愛する彼女の家は、もう家柄の面でも、金銭的な面でも、お前の家より、ずっと優れているということだよ。だからもう、お前と嫌々結婚する必要はなくなったんだ。僕は、愛する彼女と添い遂げる。何か文句あるか?」
あります。
私は気の弱い女ですが、これほど軽んじられて、何の文句も出ないほど、大人しい女でもありません。
私は勇気を振り絞り、抗議の意思を言葉にしようとしました。
……いえ、言葉にしようとして、結局はできませんでした。
口を開いた途端、キュリック様に平手打ちをされたからです。
男の人にぶたれたのは、人生で初めてのことでした。
思った以上に強い力で、頬の中が切れてしまい、唇からは血が垂れます。
本当に、なんの遠慮もない平手打ちでした。
キュリック様は、私を叩いた方の手を、まるで汚いものでもふき取るみたいに、ハンカチで拭うと、吐き捨てるように言います。
「喋るな、虫けら。お前の意見なんて、求めてないんだよ。文句があるなら、お仲間の虫けらたちにでも話して、慰めてもらうんだな。くくっ、ほら見ろよ。ちょうどいい具合に、アリさんが虫の死骸を運んでいるぞ」
キュリック様の指さした先を、私は見ました。
言葉通りに、アリの隊列が、虫の死骸を運んでいます。
キュリック様は踵を返すと、それを踏みつぶし、歩き出しました。
「さて、僕はもう帰るとしよう。この廃村は、人に聞かれたくない話をするときは便利だが、不気味だし、あまり長居をしたい場所じゃないからな。お前にはお似合いの陰気な場所だから、もう少しゆっくりしていくといい、じゃあな」
私だって、こんな不気味な場所、長くいたくはありません。
キュリック様に呼び出されなければ、来たいとも思いません。
ここはかつて、魔物の侵攻にあい、多くの人々が死んだ、忌まわしき場所だからです。魔物たちの中には、強力な種族も多数含まれており、優秀な魔導士が連携し、様々な罠まで使って、やっと撃退に成功したそうです。
その時でした。『ズボッ』とも、『グモッ』とも聞こえる、何かが壊れるような……いえ、崩れるような音がしました。
音は、キュリック様が歩いて行った先から聞こえたようです。
私は、音のした方向に向かいました。
……そこには、半径2メートルはある、大きな穴が開いていました。
私は恐る恐る、穴の中を覗き込みます。
とても、とても深い穴でした。
目測ですから確かなことは言えませんが、6メートル以上はあるように思えます。
その、穴の底。
先程私のことを『虫けら』と罵ったキュリック様が、奇妙な虫のように手足を投げ出し、倒れていました。両腕、両足とも、不自然な方向に曲がっています。恐らく、穴の底に激突した瞬間に、折れてしまったのでしょう。
「あ……ぐ……ぁ……い……痛い……痛いぃ……腕……腕がぁ……」
どうやらキュリック様は、意識があるようです。
しかし、酷い出血です。
綺麗だった金髪が、もともとそういう毛色だったのではと思うほど、赤く染まっています。
この穴は、いったい……?
少し思案して、先程まで考えていた話を、私は思い出しました。
『魔物たちの中には、強力な種族も多数含まれており、優秀な魔導士が連携し、様々な罠まで使って、やっと撃退に成功した』
……恐らく、この穴は、その『様々な罠』の一つなのでしょう。
魔法で作った罠というものは、見つけ出すのも、撤去するのも難しいと聞いたことがあります。だから、いくつかの罠が、この廃村にいまだに残ったままだったとしても、不思議ではありません。この辺り一帯が、立ち入り禁止区域とされているのは、こういう事情だったのですね。
「ぅ……ぁ……助け……助けて……」
キュリック様が、地上から覗き込んでいる私に気がついたようです。
必死に身をよじって、顔をこちらに向け、何かを訴えています。
ああ、酷い。
顔の半分が、潰れています。
でも、大丈夫。
高度な回復魔法を使うことのできる魔導師に頼めば、全部元通りになります。
……高度な回復魔法を使うことのできる魔導師に頼めば、ね。
すぐ近くで、「ふふっ」と、小さな音が聞こえました。
なんでしょう?
風の音でしょうか?
「ふふっ」
またです。
また、聞こえました。
「ふふっ」
「ふふっ」
「ふふっ」
音は、どんどん増え、少しずつ大きくなっていきます。
「ぷっ、くくっ、ふふふっ!」
やっと、気づきました。
音は、私の笑い声だったのです。
「ふふっ、ふふっ、ふふっ、ふはっ、はっ、ははっ、あはっ、あははっはあははははっはあははははははっははははははははははあああははははははっははははははっはははははははっはははあっはははあはっははははははあはははははっはははっあははははっははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!!!!!!」
私は、笑いました。
これまで生きてきた中で、これほど笑ったことはないと断言できます。
笑って、笑って、笑いすぎて。
涙まで出てきました。
ぷっ。
くくっ。
くふふっ。
ふふっ。
あはっ。
あははっ。
あー、笑える。
本当に笑えるわ。
トロくさいですって?
トロくさいのは、落とし穴なんかに落っこちる、あんたの方じゃない。
アホづらですって?
アホづらは、血と涙と鼻水にまみれた、今のあんたの無様な顔よ。
虫けらですって?
もう這いまわることすらできないあんたは、虫けら以下よ。
私は、近くにあった石ころを拾いました。
そして、キュリック様の頭めがけ、投げました。
あっ。
惜しい。
石ころは狙いをはずれ、キュリック様の折れた腕に当たりました。
「ひぃああああああああああああああああああああああっ!!!!」
その途端、凄まじい絶叫が響き渡ります。
折れた腕に硬い石がぶつかるというのは、思った以上に痛いようです。
今度は、ちゃんと頭を狙いましょう。
んん~……
難しいなあ……
石ころは狙いを外れ、今度はキュリック様の、折れた足に当たりました。
「ぃぎいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!!!」
また、とてつもない絶叫です。
目を凝らすと、キュリック様は悶絶し、痙攣しているようにも見えます。
そっか。
別に、どこに当たってもいいんだ。
私はもう、頭を狙うのをやめました。
私は鼻歌を歌いながら、そこらじゅうに落ちている石ころをかき集めると、腕が疲れるまでキュリック様に投げつけ、彼の苦しむ姿を飽きるまで楽しんでから、帰ることにしました。
……おや?
穴の底から、何か声がします。
キュリック様が、何か言っているようです。
「たの……頼む……頼む……助け……助けを……呼んできてくれ……こ、このままじゃ……僕は……死んでしまう……色々、酷いことを言って……悪かった……謝る……心から、謝るよ……だから頼む……見捨て……ないで……」
ううん……
何を言っているか、良く聞こえません。
私は困ったように首を傾げ、言いました。
「ごめんなさい、キュリック様。もう少し大きな声で話してもらってもいいですか? だって私、あなたのおうちの使用人のお婆さんより、耳が遠いものですから。あなたも、よくご存じでしょう?」
キュリック様は、何かを必死に伝えようとしていますが、その声は段々と小さくなっていきます。恐らく、先程の哀訴で、残った体力のすべてを使い切ってしまったのでしょう。
私は肩をすくめ、言いました。
「あの、キュリック様。申し訳ありませんが、何を言ってるのか聞き取れないので、私、帰りますね。あっ、そうそう。婚約破棄の件、まだハッキリお返事をしていませんでしたね。あなたが私を叩いたから、お返事、できませんでしたものね。ああ痛い。切れた口の中が、まだ痛みます。まあ、もういいですけど」
そこで一度言葉を切り、私は立ち上がると、穴に背を向けながら、話を続けます。
「婚約破棄、確かに承知いたしました。あなたのおっしゃった通り、私たちは今日限りのお付き合いです。私はもう、あなたに対して何の干渉も致しません。どうぞ、愛する彼女さんと添い遂げてくださいね……ぷっ、くくっ、できるものなら」
穴から、呻きとも嘆きともつかぬ声が、響いてくる。
それを聞きながら、私は軽やかな足取りで帰路についた。
さて、帰ったらティータイムにしましょうか。
運動をしたから、お腹がすいたわ。
メイドに頼んで、軽食でも用意してもらおうかしら。
終わり




