4.彩と静寂の現実
掴んだそばからすり抜け零れ落ちたのは光か、希望か、喜びか…
涙が流れるのは何故だろう…
長い時を共に過ごしたわけでもないのに。
情も何もないはずなのに胸に強く残るのは悲しみで、何故か胸が締め付けられる。
その感情を抱く理由が自分でも分からない。
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(さて…帰るか…)
赤くなった目元を袖で強引に拭い来た道を戻る。
現時点で分かることを頭の中に並べながら長い長い階段を下っていく。
(何も分からないなぁ…)
考えるのに夢中で扉を押し開いたことにも気づかず外へ。
唐突に訪れた明るみが眩しくて自ずと目を細めた。
無意識に閉じた扉からはガコンと音が鳴った。
扉が閉じれば自動で鍵がかかる仕組みなのだろう。
(おやつの時間も過ぎてるよねぇ)
不思議な扉よりも意識が向かうのは空だ。
陽が傾きうっすらとオレンジ色が広がっている。
それを見てもどれほどの時間が流れたのかは分からなかった。
(お邪魔します)
崖の中腹へ顔を向け、心ばかりの挨拶を述べた後、歩き始めた。
家に入る為に。
家の裏口が見えるもののなんとなく最初は正面から入りたくて表側に回る。
見えてきたのは小さな青い屋根を乗せた玄関ポーチ。
正面側中央に位置する。
(ん?)
石造りの階段を数段登った先には木製の扉。
なかなかに厚みがありそうな両開きのそれにはドアノブも取っ手もない。
(まぁ、あれかな?)
扉の横の壁に白い石が埋め込まれているんだ。
一度扉を押し何も起こらない事を確認してから石へと近づき、崖下の扉を開いたときの小鳥の様子を思い浮かべる。
(たぶんこれに流すんだよね…)
森を掻き分け進んでいたときから体内に違和感があったし、空気中に何か漂っていることにも気がついていた。
それの正体が分からないことで恐怖を覚えもしたが、森を抜けるのに必死で深く考える余裕がなかったのだ。
体内を何かが巡っている感覚があるだなんて本来悍ましいだろう。
浮かぶ水の球
階段を照らしていた照明
骸骨が身に纏っていた衣服
額に触れた嘴から流れてきたもの
大気を漂う何か
魔法と関連していそうなものからは必ず感じていた。
それらと同じであって同じでないものが宙を漂っている。
私が知る単語で言えば、それらはおそらく“魔力”。
正しい名称は不明だが、自分が分かればいい。
この白い石に魔力を流してみたいけれど、肝心の流し方が分からないから困る。
(とりあえずやってみるか)
体内の魔力は意識せずとも分かる。
これまで無かったはずのものが今体内を巡っているんだ。
違和感となって私に伝わる。
(これが魔力ね…うん)
そっと目を閉じ、まずは体内の魔力の流れを捉えてみよう。
穏やかな流れと言うのか、激流と言うのか分からないが、この身の内側で巡っていることだけは確かだ。
次に自分の意思で動かせるか試してみよう。
力を込める、緩める、込める、込める…流れが速くなった。
このまま身体の外に流れ出るイメージで…
「おぉっ!??」
大量の魔力が一気に抜けていく感覚がし、思わず声を上げた。
カチャリ ギィィ
心臓が早鐘を打っていると認識する前に扉が独りでに開いた。
考えてみれば魔力は自身を中心にドーム状に広がった気がする。
その範囲内に白い石があったとな。
(できたと言えるのか…)
そうするつもりもなく鍵が解除されたので腑に落ちない。
こんなんでも開く扉の仕組みが気になるところだ。
(まぁ、後でだ)
身を落ち着けることが先決だ。
その思いで家の中へ足を踏み入れた。
「………」
最初に目に飛び込んできたのは実に鮮やかな光景であった。
目を奪うのは色とりどりの魔力たち。
場面が一転したかのようにぶわりと彩られた視界。
驚きと感動がせめぎ合い、言葉を失う。
淡い光の数々が内包された広いこの一室は正しく異世界。
(言葉にならない…ん?)
まるで生きているかのような魔力はそれぞれで動き方が違うようだ。
揺蕩うように、地を滑るように、くるくると舞うように…
(えぇっと…そうだ、そうだ)
現状を思い出し鮮やかな室内を見回した。
吹き抜けの玄関ホールの天井からは細やかな細工が施された照明が吊り下がっている。
主に室内を照らすのは品のいいそれで、どこを見ても埃や汚れが見当たらないことを知らせているかのようだ。
私の正面にある階段の手摺りだって艶やかで美しい。
上へと続くその階段を登るのは今ではない。
2階も気になるが、まずは休まないと。
(あそこかな?)
足早に向かうのは右手側の部屋。
扉を開き中を除いてみると2つのソファーが目に留まった。
黒一色のそれらがなんだか頼れる存在に見える。
革張りであることも複数人が悠々と座れそうな広さであることもそう思わせる要因なのだろう。
ソファーは重厚なテーブルを挟み向かい合うように置かれており、客人を待っているかのようだ。
(ここだね)
リビングと呼べそうな部屋であり、私に今必要な空間である。
室内を大して把握しないまま身を滑り込ませソファーへと向かう。
これでようやく一息つける。
そう思うと既に肩の力がいくらか抜けるね。
「はぁ…」
ソファーに身を預け一呼吸だ。
革がしっかりと張られたソファーはこの身を深く沈めることなく支えている。
私にとってはちょうどいい硬さだ。
頭を後ろに傾け背もたれの上部に預ける。
目を閉じると同時になんだか身体が重くなっていく。
(疲れたなぁ…)
青い小鳥さんのおかげで身体の疲労はほとんど無いが、心の疲れが酷い。
いかんせん色々なことがありすぎた。
目を閉じているからか様々な光景が浮かび上がる。
(名前聞きそびれたな…)
瞼の裏に浮かぶ青い小鳥の名を呟こうにも呟けなくてなんだか心がギュッとする。
悲しいとも違う気がするけれど、よく分からない。
聞くことは叶わないと分かるからやるせないのかな。
「いかいのこ…異界の子…」
変換が合っているか定かでないが、間違っているとは思えない。
やはりここは地球ではないのだろう。
改めて理解すると気が沈む。
「帰れるかなぁ…」
………
弱々しいその声に返す者がいるはずもなく、ただただ溶けて消えた。
音の後の静けさはより一層、静寂を際立たせる。
ここには自分一人しかいないのだと浮き彫りになった気がした。
(うん。大丈夫)
冷静に現状を把握し進むのだ。
落ち込むとは現実を見れたからとも言えよう。
現在は異世界にいる。この現状を認めましょう。
命大事にね。きっといいこともあるさ。
そう信じて目を開けば向くのは上だ。




