2.開けた先には青色いっぱい
何か膜を通り抜けた感覚がしたと同時に視界が開け、思わず足を止めた。
広がる光景は直前との差が著しく、前後が同じ世界とは思えない。
「ここは…なんだろう…」
暗がりを抜けた先にあったのは陽が降り注ぐ開けた土地だ。
まるで森をくり抜いたかのようにポッカリと。
そこには静かに佇むの一棟の建物。
存在を認識はしたが、今はそちらではなく上に首が傾いた。
「………」
木の葉に隠され捉えきれなかった空が今、瞳に映っている。
爽やかな青空とゆったり流れる雲は身体の強張りを解いていく。
ようやく一息つけた。
「………」
身に纏わりついていたはずの重苦しい空気はどこに行ったのやら。
現在浴びるのは暖かな陽の光。
この身を包み込んでいるようにすら感じ、何もかもを委ねたくなる。
大きな安心が生まれたからなのだろう。
「ふぅ…」
大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐いていく。
だいぶ心は落ち着いた。
いくらか思考がクリアになったところで、いつの間にか閉じていた目を開く。
(ここはなんだろう?)
この空間を見回してもどのような場所なのか掴めない。
短い草は地面を覆い隠し、まるで緑の絨毯が敷かれているかのようだ。
正面には高い高い崖。聳え立つという言葉が合うだろう。
垂直に伸びるそれの表面にはほとんど植物が生えておらず、黄色混じりの肌は風に晒されてきたのだろうと思える。
それを背後に置き建つのは一度視界に収めた2階建ての洋館。
入り込めば場違いな感覚を覚えそうな広さなのだろと思うものの、洋館の中では小さい方に分類されそうだとも思う。
こじんまりとは違う。だけど、荘厳さがあるわけでもない。
洗練された佇まい。どちらかと言えばそういった方面の印象を受ける。
青い屋根と白い石造りの壁は晴れの日によく映えており、見ているだけで暗闇を払う効果がありそうだ。
そんな素敵な洋館の向かって左側には一棟の円塔が寄り添っており、目を奪う。
ピタリとくっついているので別の建物という感覚はしない。
(ん?あれは…)
この場に存在するものをゆっくり眺めていると、何か動きが見えた。
風で木々が揺れるだとか、雲が流れるなどとは違う。
それは青い屋根の方からこちらへ一直線に向かってきている。
自ずと視線が縫い留められ、数秒後にはそれの姿形が捉えられるようになった。
青い塊の輪郭が徐々に浮かび上がるように。
「ピュィピュィ」
不思議と怯えはなく、大人しく待っていると聞き覚えのある鳴き声が耳に届いた。
それはつい先程まで耳が広い続けた音。
しかし、森の中で幾度となく聞いた声とは違い、力強さが抜けた声に変わっている。
それなのに何故、同じ生物の声と分かったのか定かではない。
私に向かってくるのは小さな青き鳥。
遠くまで響き渡るような甲高い声があの小さな体から発せられたとは驚きだ。
こちらに近づくにつれより鮮明になるのは輪郭だけではなく、色合いも。
頭部から尾にかけてグラデーションがかけられているけれど、私はあの鳥を青色と語るだろう。
青から水色へ。クッキリとした夏空色からブルースターの花色へ。
お腹側だけは真っ白で、なんだかそれによって愛嬌が加わっている気がする。
小さな羽をパタパタと羽ばたかせる姿もまた可愛らしい。
(あ、いいのかな。これ…)
横に向けた人差し指を前に置き見せつけるような姿勢だ。
出してしまった以上引っ込めるのも躊躇われそのまま待ってみれば、小鳥さんがそこに着地した。
“ちょこんと”という言葉が似合う掌サイズだ。
指に当たるお腹の毛が想像以上にもこもこで自然と頬が緩んでしまう。
しかし、どうしたらいいのか分からず困惑も少々。
くりくりとした黒い瞳でこちらをジッと見つめているのだ。
(えぇっと…)
「森で声が聞こえました。あなたの声で間違いないのでしょうか?」
「ピィ」
それは肯定に聞こえた。
姿に見合う鈴の音のような鳴き声だ。
「私を導いてくださったと思っていいのでしょうか?私をこの場所へ向かわせたくて?」
「ピィ」
今度は小さな首振り付きだ。
ほんのわずかに縦に動いたね。
「私をあの森に誘い入れたのもあなたでしょうか?」
「ピュウィ」
今度は否定。
では、何故あの森に自分がいたのか。
この方とは無関係なのだろうか。
「おっ…と…」
突然足の力が抜け座り込んでしまった。
何故この瞬間なのか分からないが、気が抜けたからというのは間違いないだろう。
足にも身体にも力が入らないけれど、ここならば問題ないと思える。
(ビックリさせちゃったかなぁ)
私の指に止まっていた小鳥さんに悪いことをした。
咄嗟に飛び上がったので怪我はないだろうけれど、驚きはあったかもしれない。
そんな小鳥さんは今、私の周りをくるくると飛んでいる。
(ん?どうしたのかなぁ)
軽やかに飛び回る様子をただただ眺めていると私の正面で止まった。
空中にだ。羽をゆっくりと動かしているものの、その羽の動きで滞空しているとは思えない何かがある。
不思議な何かを感じながらぼーっとしていると小さな身体の足元に水の球が現れた。
「…え?」
(どこから?え?それは…水?)
浮かぶ水の球を凝視しているとそれが口元に近づいてきた。
目を瞬かせながら小鳥を見れば“はやく はやく”と急かすように羽をパタパタと動かしている。
「こ…れを飲むの…かな?」
「ピィ」
たどたどしく尋ねれば返ってきたのは肯定。
恐る恐る口を開きパクリと含んだ。
ふわり ふわり…そんな風に身に染み込んでいく。
そして、自身の内から外へ何かが抜けていく感覚が…
「…?…?」
わずかに首を傾げるところでなんだか身体の軽さを感じた。
「どういうことなのでしょう。魔法のようですねぇ…え?ふふ」
もこもこの胸毛を見せつけるから私が放った言葉が真実だと悟れた。
驚くべきところなのだろうけれど、誇らしげに頷く姿に笑みが漏れてしまう。
(それにしても…魔法かぁ…)
ということは、ここは地球ではないということ。
それは…
(どういうこと?いや、知らないだけで地球上には魔法があるのかな?)
「ピィピィピィ」
いつの間にか膝の上に乗っていた小鳥の声には心配が含まれていた。
俯いて考えていたから落ち込んでいると思ったのかもしれない。
もしくはあまりにも草臥れていたからか…。
「すみません。もう大丈夫です。ここに呼んでくださりありがとうございます」
礼を述べながら頭を撫でると嬉しそうに手に擦り寄ってきた。
今のところ悪意は感じない。
けれど、不思議なこの方がそう思わせていると言われても納得できる。
(まぁ、うん)
疲労と混乱で正常に働かない頭では善悪を判断できないだろう。
なので今は気にしない。
受け取った通り、この方をいい人と思っておこう。
「どなたかにお話を伺いたいのですが、あの家に今誰か…あれ?そういえば、あなたはあの家の子ですか?」
「ピィ」
「えっ?どうしたのですか!?」
ひと鳴きした後、家に向かって飛んで行ってしまったんだ。
追いかけようと慌てて立ち上がれば、身体の軽さに驚いた。
(えー、魔法って凄い!)
心の内ではしゃぎながら小鳥を追う。
なんだかこちらに合わせてゆっくりと飛んでいるように思えた。
地を蹴り移動する私でも難なく追いつけるから。
そうして足を動かしていると家の横を通り裏手に辿り着いた。
(あれはなんだろう)
すぐそこに立つ崖には人が使いそうな扉が嵌められている。
あまりにも不自然なそれの前で待つのは小鳥さん。
小さな羽を羽ばたかせながら私がそばに来るのを待っているようだ。
(扉は通るものだよねぇ)
厚みがありそうな扉だ。
金色で描かれた紋様は華美とまではいかず、厳かさがある。
そんな扉の中央に嵌め込まれた青い石に嘴がそっと触れた。
何かを思う間もなく触れた先から見えない何かが流れ、その直後青い石が小さく煌めいた。
ガコンッ
何かが外れる音がした。
扉の前に浮く小鳥はこちらに顔を向けジッと見つめてくる。
(入れってことかな?)
恐る恐る扉に近づき指先で触れた。
そして、意を決して掌を当て押し開く。
音も無くゆっくりと開いた先は暗闇で、だけど、数歩先に階段があることは分かった。
階段を登った先には何があるのか…
無意識に足を前にずらした瞬間、明かりが灯り身体が跳ねた。
バクバクと力強く動く心臓をなんとか落ち着かせたくて目を瞑り息を吐く。
(センサーでもあるのかな?)
仕組みは分からないが、そんな代物が実際にあると知っていれば何かに納得し考えは止まる。
落ち着いてきたところで最後に深呼吸をひとつ。
そうして内部へと足を踏み入れた。




