19.現状把握
「はぁ…」
のそりと立ち上がった。
瞼が重い。身体が重い。頭がガンガンする。
水分不足によるものだと思う。
(けど…)
覚束ない足取りで洗面所に向かいながら疲労を感じた。
上手く言い表せないけれど、体内が疲れているんだ。
おそらく魔力が無尽蔵に入り乱れたのだろう。
感情によってそこまで流れに影響を与えていいのだろうか。
何かが馴染めば感情と直結しなくなるのか、いずれ無意識下でコントロールするようになるのか…
今は頭が働かない。落ち着いてから順に考えよう。
(酷い顔だ…)
一瞬見えた顔は酷い有様だった。
洗面台の前に立ち顔を洗うべく上半身を折る最中、鏡に映る人が嫌でも見えたんだ。
生気のない顔。血が巡っているとは思えない程に青白かった。
そこはどうでもいい。
蛇口に似た魔道具に魔力を流せば出てくるのは水で、それを両手に溜め顔に打ちつける。
流せるものは洗い流そう。
何度か繰り返す内に思考がクリアになってきた。
「はぁ…」
とはいえ、まだまだ無気力だ。
顔や髪から滴る水滴が洗面台に当たる様をぼーっと眺めてしまう。
ポタポタと…
(コップがないか…)
見ている内に身体が随分を欲してきた。
水を飲もうとしたけれど、ここには入れ物がない。
だから今度はキッチンへ向かった。
***
コップ一杯の水を喉を鳴らしながら飲み干した。
次に足が向かったのはリビングで、視界に入ったソファに身体が吸い寄せられる。
「あー」
張りのある黒革に倒れ込み気だるげに体勢を整えた。
天井を眺めながら本日を振り返る。
(馬鹿野郎かよ…)
すぐに浮かんだのはそれで、思わず右手で顔を覆ってしまった。
なんにも分かっていなかった。
危険と隣合わせの世界だと。
何よりまだ現実だと思っていなかったんだ。
なんとなく大丈夫だろう。
そんな甘い考えがどこかにあったんだ。
死が見えて初めて自覚するなんて馬鹿すぎる。
「あー!もう!」
怒りのまま身を起こし、ぐしゃっと前髪を掴む。
こんなに自分へ怒りを覚える必要はないと思う。
だけど、苛立ちを向ける自分もいるんだ。
(一旦、落ち着こう)
まだまだ感情の起伏が激しいようだ。
冷静に考えられそうにない。
「ふぅ…」
ゆっくりと立ち上がりキッチンに向かう。
暖かい飲み物を用意しよう。
先程その考えに至らなかった時点でまだまだ余裕がなかったということなのだろう。
(やれやれだね)
***
今日はカフェオレ一択だ。
小鍋にミルクを注ぎ温める。
その間に専用の魔道具からコーヒーを。
上記2つを合わせお砂糖を加えてゆっくりとかき混ぜる。
カップに注いで完成だ。
「うん」
湯気が立つカフェオレを眺める自分はかなり落ち着きを見せている。
作る過程でも余裕が生まれてきたのだろう。
冷ます意味も込めてゆっくりとリビングに戻った。
***
「ふぅ…」
今度は溜め息ではなく安心の一息。
ソファに座り甘い甘いカフェオレを堪能しているところだ。
そう。本日はお砂糖多め。今の私に必要だから。
(さて…)
身も心も落ち着いたところで今度こそ整理整頓だ。
揺らぐ柔らかな茶色を眺めながらね。
その色合いもまた心落ち着きます。
(えぇっと…)
まずは、本日危機に陥った件について考えましょう。
あれを引き起こした原因は私の甘さだ。
魔物が存在すると知っていたのに、魔物とは何か少しは頭に入れたはずなのにあの体たらく。
私はゲーム画面を見ているのではなく、この世界に実在しているのだという自覚が薄かった。
そして、この世界には危険があると落とし込めていなかったんだ。
戦えなければいけないと思い、ならば魔法を知らなければと思ったのに、外の危険性を考慮しないなんて馬鹿だ。
(うん。失敗は成功のもと)
早々に実感できたのは良かったとも言える。
幸いにも命は無事だ。今後に活かせばいい。
(あれはなんだったんだろう…いや、後でだ。まずは…)
もし、今の私が魔物に出くわしたらどうなるか。
今回はたまたま魔法が発動し、しかもそれが前面に放たれたから良かったものの、嫌な予感がして尚、狼狽えるだけではいずれ死ぬことになるだろう。
毎回毎回、無意識に勝てる訳がない。
まずは危機に瀕してもある程度は頭と身体を動かせないといけない。
(どうやるの?)
実際に対峙して鍛えるなんてできない。
戦えない私が…まず、戦う術を身につけるのが先か。
無策では自殺行為でしかないだろう。
戦えると思えれば敵を前にしても余裕が生まれると思うんだ。
勝てる見込みゼロだから狼狽えるんだ。
抵抗ぐらいならできると思えれば何かが変わる気がする。
(うん)
戦いを知ろう。
架空の存在を相手にとなってしまうけれど、シミュレーションは意味があるかもしれない。
その前にまずどういう戦い方をするのか決めないと。
(魔法だよね?やっぱり)
とにかく魔法を理解し、扱えるようにするんだ。
敵も魔法を使うとなれば理解が浅いままでいい訳がない。
(武器は…)
書物には武器を扱う魔物もいると記されていた。
武器なんて持ったこともない私ではやり合うなんてできないけれど、武器の扱い方を頭に入れておいた方がいいかもしれない。
どのように繰り出されるのか、そもそも、どのような武器があるのか。
その武器で何ができるのか知っていれば警戒はできるし、場合によっては対処法を見出せるかもしれない。
(全く扱えないのも問題かなぁ…)
剣や弓などを主な攻撃方法に置くことはせずとも、扱えて損もないだろう。
無様な振り方になるかもしれないけれど、可能ならば実際に使っておきたい。
戦う術が魔法だけというのも不安だしね。
手段が多くあって困るとは思えない。
(武器あるかなぁ…)
この家には何が遺されているのかまだ把握しきれていないので無いと断言できない。
(探すか…)
その前に書庫へ行こう。
本日見たあの魔物の正体を知りたいから。
魔物図鑑なんてうってつけの書が遺されていてほしい。
(よくぞ無事でいられたもんだなぁ…あ…)
重要なことが頭に浮かんだ。
(怪我したらどうすればいいの?)
怪我をしないのが一番だけど、今の私がそれを目指したところで難しいだろう。
今後無傷で終えるわけがない。
膝を擦りむいた程度ならばなんとかなるが、仮に大きな怪我でもしたらどうすればいいのか…
(消毒液ってあるのかなぁ)
絆創膏やガーゼで処置するとは思えないのは何故なのか。
魔法でなんとかするんじゃない?
そう語る自分が顔を覗かせる。
(確かにね)
やはり先に書庫だ。
私は何も知らなすぎる。
何を知らないのかも分からない。
ならば思いつき次第調べましょう。
何かひとつを知ればそれを皮切りにこれも知っておくべきと繋がるかもしれない。
それに期待しましょう。
(とにかく学ぶこと)
それが最優先だ。甘えは禁物。
今度こそこの命を守るんだ。
足に力を込めて立ち上がった。