18.繋ぎ留める
……………
………
……
(とりあえず整えようか)
近くで見るとその惨状がより浮き彫りになった。
心は抉られるが、それが罪を背負うということ。
自分が齎した結末を受け入れねば。
(土を…重めの、ギュギュッとした土を、このぐらいの範囲にギュッと出す)
そんな風に地面を可能な限り平らにしていった。
意図せず魔法の練習になっている。
まだまだコツは掴めないけれど、少し何かを理解した。
(あれは…やめようか)
両脇に並ぶ木々には葉や蔦が絡んでいる。
枝や木片を引っ掛けている木も多い。
それらを風で払えやしないかと思ったけれど、安易に行なってはいけません。
葉一枚奪うどころか暴風でも巻き起こし根ごと飛ばしてしまったらもう…
何もしないが一番だ。今はね。
(焦らない。焦らない。いつかやるんだ)
それが誠意というもの。
これまた勝手なことを考えながら地面を自分なりに整えていく。
(なに!?)
突如、質量のある魔力を感じバッと顔を上げた。
左に顔を向けてもそれの正体は分からなかったけれど、やはり森の奥からこちらへ一直線に向かってくる魔力があることは間違いない。
同時に聞こえてきた音は徐々に大きくなっている気がする。
(ど…え…どうしたらいい?え…)
嫌な予感はしているのに狼狽えることしかできない。
その間にも音は徐々に近づいてくる。
勘違いではなかったというのに頭は働かない。
森の奥へ焦点を当てたっきりこの身は固まったままだ。
(あれは…)
目が捉えたのはこちらに向かう茶色い生物。
音の正体は四肢が地面を蹴り上げる音。
発信者は猪か熊か豚かマンモスか…
まだ距離はあったはずなのに、ギラリと光る赤い目と視線がぶつかった気がした。
「…っ…」
ハッと息が詰まったその瞬間、何かが打ち出された。
私の正面から森に向かって。
また水球は木々を薙ぎ倒しながら猛進する。
ドクドクドクドク…
鮮明なのは己の鼓動。木が吹き飛ばされる重量のある音はなんだか遠い。
無意識に動かした手が胸を掴むより先に轟音が辺りに響き渡った。
パッと身を翻し情けない顔で駆けるのはそれが理由ではない。
あの瞳が今も己を射抜いている気がして恐怖が膨らんだからだ。
あの真っ赤な瞳に乗っていたのは殺意だけで、恐怖に支配されるには充分だった。
それから逃げたくて、あの瞳を振り払いたくてただただ足を動かす。
唯一この身を隠せそうな家に向かって。
(開いて…開いて…開いてよ…)
こんなときでも慣れない扉の開け方は覚えていたようだ。
だけど、冷静に開くことなんてできなくて、とにかく魔力を放った。
扉からの距離なんて気にすることもなく出鱈目に。
魔力が届いたのは随分手前で、到達する頃にはこの身を難なく投じれる程に開いていた。
「……っ…」
入ってすぐに崩れ落ちる。
閉じたつもりのない扉が閉まる音を耳に入れながら。
両手を握り締め身を縮めても何も変わらない。
ドクドクと脈打つ鼓動も震えも何もかも治まる気配はなく、まっさらな床を見つめ続ける。
「………」
心を落ち着けようとしたのか、目を閉じたのが間違いだった。
暗闇に浮かぶ妖しい瞳は褪せることなくそこにあり、また小刻みに何かが揺れる。
(ここは…どこ…)
分かっている。いや、分かった。
ここは自分が生きた世界じゃない。
私が知らない不思議で恐ろしい場所。
ここは現実世界。
何故だかポタポタと雫が零れる。
(あそこじゃないの…?)
認めたくない自分がいる。
認めなければと語る自分がいる。
怖い。立ち上がれ。泣いてもいい。泣いてる暇はない。
(どうして…?)
晴れ渡る青空と行き交う車。
重い空気漂う深き森。
明るい子供の声。
聞き慣れない森の音。
桜舞う湖。
聳え立つ崖を背にした洋館。
「…っ……」
独りでに灯る照明。鍵のいらない扉。
様々な機械音。
意志があるかのように飛び出す書物。
スマホ、パソコン、洗濯機、電子レンジ。
暗闇抱える冷蔵庫。
長い長い階段の先には赤い鳥居。
妖し気に光る深紅の瞳。
踊るように舞う桜の花びら。
「……っ…」
様々が交差する。
感情も声も景色も何もかもが入り乱れ…
濁流となって押し寄せては飲み込みかき乱す。
自分を保とうとしたのだろうか。
蹲りながらもこの身を抱き締めた。
だけど、それのせいでまた別の世界を感じ目頭が熱くなる。
得体の知れない身体にすげ替わっているというのに、この心の通りに身体は震え、涙は溢れてくるんだね…。
頭がぼやけてきた。
瞼が熱い。
溢れ落ちそうな何かを必死に抱き止める。
ここから出るなと言い聞かせながら泣き続けた。
声を押し殺してずっと。