12.偉人の本棚
玄関ホールの左手側には廊下が伸びており、その先には扉がひとつ。
昨日この家へ足を踏み入れて室内を見回した際にそれも視界に収めていた。
円塔の位置を考えるとあの扉から内部へ入り込めそうだと思えたが、あのときは身体を休めることを優先し認識するだけに終わった。
書斎を出て1階へと続く階段を足早に降り、未だ落ち着きを見せない心と共に廊下を進む。
廊下の左側に並ぶ窓からは陽が差し込み少しだけ心が落ち着いた。
足裏ではフローリングの硬さと冷たさを感じられ、それもまたいいと思える。
長いようで短い廊下の突き当たりに辿り着き、扉のドアノブを回しそのまま押し開いた。
キィと音を鳴らしながら開いた扉の先には壁を埋め尽くさんばかりに並べられた書物や紙の数々。
特有の香りを感じながら、その量に圧倒される。
自然と足を止め佇みながらこの素晴らしい書庫を眺めた。
高さ20m以上はありそうなここは外から見た通り円筒状だ。
7階層ではあるものの、中心が吹き抜けになっており、圧迫感は皆無。
見上げた先の天井部分を見れば尖り屋根が乗っているのだと分かる。
複数の天窓から射し込む光が交差しながら天井付近を明るく照らしており、なんだか心落ち着くね。
陽の光が届かない地上部分を照らすのは柱に掛けられた照明。
オレンジ色の灯りが落ち着きのある空間を作り出している。
下から見上げる形になるので全貌を把握できないけれど、各階には腰掛けられそうな物が置かれているようだ。
木製の丸椅子や、背もたれのない四角いソファなどなど。
それらがいくつか視界に入る。
(確かスツールだったか…)
この位置からはただの木箱に見える物があるけれど、あれは果たしてなんなのか気になるところだ。
視線を下げ、1階部分に目をやると革張りのソファが目に留まった。
その他に木製の椅子と机も置かれおり、図書館のようだ。
読書はもちろん、書き物もできるだろう。
壁に沿って設えられた本棚を埋めるのは書物だけではない。
むしろ背表紙がある書物は少なく、ほとんどが剥き出しの紙だ。
ざっと見るに、紐で纏められた物とただの紙の比率は半々で、正直に言うと既に嘆きが生まれている。
膨大な量の書物や紙全てに目を通すのに一体どれほどの時間を要するか想像もできないからだ。
それだけではなく、単に必要な情報を探し出せる気がしないというのもある。
状況が状況でなければ数多の書物類に喜びが湧くのだが、今はいかんせん時間との勝負なので反する感情が芽生えてしまう。
(どうしよう……書物みたいな何かをどうしよう…略して書物じゃね?)
考えが纏まらないまま思考を巡らせたことにより、よく分からない結論が導き出されてしまった。
その結論を頭の片隅に置きながら視線を動かす。
(あれは…むしろなんで今頃気がつくのか…)
1階部分の中央には聖書台のような物が鎮座していた。
自分の真正面と言える位置だ。
なかなかに目立つ存在だ。
しかし、冷静に見るとこの書庫に馴染んでいるようにも感じる。
最初に目に留まらなくてもおかしくはない。
ここに初めて足を踏み入れれば興味があちこちに向くのは当然だと思えるから。
視線の先にあるシンプルな木製のそれには見覚えのあるノートが1冊。
それに気がつき、吸い寄せられるように身体が動く。
(あ、別物か)
近くで見ると深緑色のノートだと分かった。
デザインは同じだが書斎にあったものとは違う。
そもそも師から弟子への言葉が綴られていたノートは今手に持っている。
(これには何が書かれているのだろう)
ノートを入れ替えるように片方を台へ置き、もう片方を手に取った。
なんとなく丁重に扱わねばと思うので優しい手つきでだ。
そっと表紙を捲ると“書物台の使い方”と記されていた。
先程見た字と打って変わって、こちらはそこそこ崩れているけれど、まだ師匠の字と分かりはする。
自由度の高い文字で綴られた一文を視界に収めながらページを捲った。
───────────────────────
【僕の弟子へ】
驚いた?
ここは僕のお気に入りの場所なんだ。
もちろん全て君のものだけど大切に扱ってくれると嬉しいな。
ここから今欲しい情報を見つけ出すのは大変だよね。
時間をかければ見つけられるけど、それは面倒だ。
だから、それを解決する魔道具を作ったんだ。
君にも使い方を教えるね。
このノートが置かれてる台に魔石がついてるでしょ?
右の魔石に魔力を流しながら探している本や情報のことを思い浮かべるんだ。
題名、作者、内容、装丁、あとは色とか?
鉱石について、ピアノの作り方、腹立つ奴のこらしめ方とか?
単語とかでもいいよ。
あとは出てきた本を引き寄せて!
本を戻したいときは台に本を置いて左の魔石に魔力を流せばいいから。
なんて便利だんだろう!凄いでしょ!?
天才と言ってもいいよ?
思い浮かべる言葉や情報が多いほど、絞られるからね。
“赤い本”と“魔法について書かれた赤い本”では違うってこと!
上手く使ってね。
あ、そうそう。先にこのノートを元の位置に置いてからね?
僕の偉大さを噛み締めるがいい!
【君の師匠 ルークス・フェン・ヴェリタティス】
───────────────────────
(子供?いや、こんな凄い魔道具を作れるんだ。それはない…いや、そういう天才小学生っているよねぇ)
師匠の実年齢と精神年齢を予測するのは難しい。
読めない人だ。
文面からは明るい男の子という印象を受けるけれど、果たしでどうなのかな。
(後は何が書いてあるのかなぁ)
ページを捲ってみたけれど、以後全ページ空白であった。
ノートの無駄遣いだね。何か意味があるのかなんなのか…
(そこはいいとして…)
まずは書物台とやらの使い方を知りましょう。
ノートを持っている左腕を少し下げ便利道具に視線を外す。
そこには確かに色付く綺麗な石が2つ嵌め込まれていた。
煌めく宝石のようではなく、天然石に近い見た目だ。
どちらも紺色だが、まったく同じでもない。
(えぇっと…右側の魔石に…魔石ね?うん。で?出てくるってどういうこと?)
本が出てくるという意味を理解できない自分は物知らずなのかもしれない。
引き寄せるったってそのやり方が分からないよ。
本と言うけれど、本の形を取っていない紙たちはどうなるのか。
次々と疑問が湧き出てきて困ったものだ。
(一回使ってみようか)
それから考えた方がいいだろう。
再度手に持っているノートと台に置かれているノートを入れ替え、右の魔石に手を添えた。
(魔法に関する本)
カタッ カタッ カタタッ ガタッ
あちこちから音が聞こえてきた。
まさかの事態だ。
ぼんやりしながらふっと思い浮かべただけなのに。
該当する書物や紙は前に真っ直ぐ飛び出し宙で止まる。
要は浮かんでいるということ。
次から次へとあちこちでそれが見られる。
(仮想現実。ファンタジーだ…)
よくよく考えれば仮想現実という言葉は矛盾してるよね。
どうして今そんなことを思うのか…
(どうでもいいね。それにしても多すぎだ)
思い浮かべた内容が内容だけに該当する物が多かったようだ。
ここは魔法が存在する世界。
それに関する書物が多くて当然だよね。
紙に関しては1枚だけペラっと浮いているものもあれば、1,000枚程がごっそりと手前に出ているものもある。
あくまで憶測だが、あの1,000枚で1冊と認識されているように思う。
広辞苑並みの厚さとなっている紙の集団は、たまたま10冊分が隣り合っているだけだと信じたい。
(えっと…魔法について、使い方)
カタッ カタッ スッ カタッ
いくつもの書物─面倒なので紙1枚も書物に含む─が自ら本棚に収まることで、だいぶ数が減った。
けれど、それでもまだ多くの書物が浮かんでいる。
更に絞る必要があるようだ。
ちなみに、500枚の紙たちや1,000枚の紙たち、そして広辞苑並みの厚さを作り出している集団は微動だにせず圧倒的存在感を放っている。
(どれがいいか分からない…魔法、使い方、初心者、作者ルークス・フェン・ヴェリタティス)
検索内容を増やした上に、お試しとばかりに唯一知っている名を思い浮かべてみる。
そうすることでようやく浮かんでいる書物の数は少数と言えるまでになった。
今本棚から出ているのは紐で括られた紙束ひとつと、圧倒的存在感の書物たちだけだ。
(…魔法、使い方、初心者、分かりやすい、作者ルークス・フェン・ヴェリタティス)
加えた内容の効果は抜群だ。
“分かりやすい”は厚手の物たちを払う効果があると知れた。
ひとつ思うのは自ら記した書物を分かりやすいと断言できることが凄いということ。
そうして選ばれ、ぽつんと浮かぶこととなった紙束を眺める。
自ら取りに向かってもいいのだが、せっかくならば引き寄せてみたい。
だが、やり方が分からないので紙束に視線を縫い止めながら方法を模索する。
(引き寄せるってなんだろう?…こっちに来てー、はちょっと違うか)
首を捻りながら考えていると書物が音も出さずにこちらへ向かってきた。
ただただ眺めていると書物台の上で止まり、静かに降下した後横たわった。
感動なのか衝撃なのか感心なのか…
よく分からないまますぐそこに横たわる書物を手に取った。
パラパラと軽く中身を拝見していく。
気になる単語もあることだし、この本を先駆けとしましょう。
(師匠凄いなぁ)
これだけの機能を備えた道具を作れるだなんて凄いとしか言いようがない。
あまりにも字が下手で感動すら覚えたがそれとは感動の種類が違う。
書物台の仕組みが気になるところだけど、調べている場合ではない。
この魔道具に関する書物を探すのはやめなさい。です。
(優先順位をしっかりと)
“うん”と頷きまた魔石に魔力を流した。
今の自分に必要そうな書物を探すべく。
だけど、何を思い浮かべればいいのか分からず固まってしまった。
あちらの世界に帰る方法を探すには何を?
(…この世界の名前?成り立ち?いや、そういうことじゃないな…別の世界…異世界?…異世界転移?…いや、転移のみかな?)
検索開始ボタンなど無く、勝手に書物が出てきている。
その数は多くないものの複数というだけで迷いが生まれるね。
(どれを選べばいいのやら…)
とりあえず、紐で綴じられたものを引き寄せてみる。
ペラリと捲り内容を確認したところ、どうやら師匠が転移魔法について纏めたもののようだ。
浮かんだままの他の本も引き寄せ軽く目を通してみる。
すると、そのどれもが転移魔法について記されたものだった。
れっきとした本であるそれらの作者は師匠ではない。
作者名を見るまでもなく分かったのは何故だろうか。
(異世界転移とは違う気もするけど…)
ひとまず読んでみよう。
師匠が書いたものだけを手元に残し他は棚に戻ってもらった。
次に探したのは魔物の生態が書かれた書物で、こちらも複数浮かんだなかから師匠が書いたものを選ぶ。
(あとは…ルークス・フェン・ヴェリタティスについて)
………
少し時間を空けたが、動き出す書物がひとつもない。
驚きはあったもののすぐに納得した。
大抵そういう本はその人物が亡くなってから出版されることが多い。
ならばここにあるはずがないんだ。
例え生きている間に出版されたとしても、遺品として残すには照れがあるかもしれない。
書物に残されるほどの人物ではなかったという可能性もあるか。
(日記はどうだろう)
………
どうやら日記は残されていないようだ。
元々書く人ではないのか、恥ずかしくて日記は処分したのか、それとも隠したか…
(あ、もしかして日記と言わない?)
この場には数多くの書物がある。
ならば偉人の日記があってもおかしくないと思う。
それなのにひとつも出てこないのは、名称が違うからなのではと。
(まさか自分の日記を伝記とは残さないよね…うん。無いね)
伝記を思い浮かべても音は鳴らなかった。
もし、“日記”と呼ばないのであれば探しようがない。
この世界ではなんと呼ばれているのか知る由はないのだから。
(こんなところで躓くとはね)
トイレ事然り、まさかの展開である。
だけど、仕方がない。どうしようもない。
気を持ち直すように顔を上げ、先ほど選んだ書物を手にしながらソファへと向かった。
とりあえず、これらを読むところから始めよう。
落ち込んでばかりではいられない。頑張りましょう。