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1-6

 ドレスルームに揃えられた衣類の数々。フォーマルからカジュアル、華やかなものからしっとり系など、まるで舞台俳優の衣裳部屋だった。街には熟練の仕立て屋がいて、御用達にもなっている古くからの出入り業者もいた。さらに港には船で裁縫工場からの荷物が届いたり、オートクチュール品も扱う商人も存在する。代々公爵家の衣類もまた様々な方法で屋敷に集められてきたのである。


 マリーヌにとっては初めての外出。街への外出着としてあまり派手ではないものを選んだ。部屋で着替えていると、メイドが呼びに来た。

「馬車のご用意ができました」

 外へ出ると馬車使いが待っていた。ハルキリスの専用馬車に一人乗り込み街へ出ることになった。

 今日の空も青く澄んでいる。

 馬車を避ける歩行者。途中、窓から見える農園、エディスキャベツ畑では収穫の時を迎えている。一つ一つカマで刈り取る作業をしている。親の手伝いをしている子供の姿もあったりして和やかな風景が目に映る。


 貴族の馬車だろうか、対面から走って来た。その馬車は一度停車して、道を譲ってくれた。馬車使い同士が軽く会釈を交わす。

「今のは?」

 走る馬車の中から、マリーヌは馬車使いに声をかけた。

「バルサス伯の馬車でした。こちらの方が身分が高いものですから」

「それで道を開けてくれたんだ」



 小さな集落の先が街の入口だった。活気のある風景が視界を染める。宗教施設だろうか? 遠くに高い塔が見える。

 道幅は狭くなったが馬車の通行には問題なかった。この街は子供が多い。籠を背負って行商をするような貧しくても逞しく生きる少年少女の姿を見かける。

 水飴を固めて人形や動物の形にして売る菓子職人の出店には、子供が集まっていた。比較的裕福な家庭の子供もいる。

 内乱の時は、子供も弓や槍を持たされた時代もあったというが。時代は移り行くもの……。


 木造の学校校舎の裏手に前執事・フラールの家があった。馬車つなぎの棒に、馬の綱を巻き付ける。

「少々お待ちください」

 馬使いが先に下りると、現執事のグラニールに書いてもらった手紙を持って家に入った。


 フラールに会えるだろうか? 不安を抱えてマリーヌは待った。


「かわいい」

 建物の隙間からマリーヌを見ている猫がいた。

「おいで」

 手を差し伸べるが、サッと裏側へ逃げてしまった。


 残念……。


 しばらくして馬車使いが戻って来た。

「お会いしたいそうです」

「本当? よかった」

 ホッとしたと同時に笑みがこぼれた。

 マリーヌは馬使いを残して一人、家の中に入った。

 入口から入ってすぐ、真っ白な壁に天に上る馬の絵。馬の背中の羽が繊細に描かれている。見事な絵だった。

 これこそが公爵家で有能な執事をしていた人の家なのだろう。

 立ち止まっていると、奥の部屋から音がし、扉が開いた。


 ん!?


 え?!


 ショートヘアーで紳士服。一見男性に思えたが、マリーヌは瞳と唇で女性だと直感した。しかし、男装の麗人といったイメージの人だった。引退した執事にしてはなんて若いのだろう。

 しかも女性だったなんて。

 マリーヌがあっけにとられていると、フラールは微笑みを返してきた。

「中へどうぞ」

 居間に通された。公爵家に仕えていたので恩給がでているらしく、生活は比較的豊かに見える。木目の鮮やかなテーブル、マリーヌは椅子に座った。大陸から輸入した燃料を使用する調理場は、この世界では恵まれた生活の証かもしれない。


 家族のいる様子はない。


「お一人で?」

「ええ、一人のほうが自由気ままで」

 調理器具の上でポットが湯気を出している。

「コーヒーは?」

「いただきます」

 領内にある農園で栽培されたエディスコーヒーを街で加工したものだった。フィルターに湯が注がれる。城の絵を描いたコーヒーカップを一杯にする茶褐色の一品。


 いい香り。風味がよさそう。


「いかがです?」

「美味ししい」

 フラールは落ち着きと上品さを兼ね備えた優しそうな人だった。

「急にうかがってご迷惑では?」

「いいえ、お屋敷の方に会うのは久しぶりで嬉しいですよ」

「招かれたばかりで何もわからなくて」

 対面での会話が始まった。

「エディダス公についてお知りになりたいとか?」

「謎の多いお屋敷だと思いまして」

「なぜ、そんな公爵家に迎えられたのか? 不安もあるでしょうね」

「はい、なにより不思議なのはエディダス公の境遇です。以前は当主にふさわしい方だったとか」

一瞬沈黙。

「あ、いえ、今の公爵がふさわしくないとかの意味ではなくて」

 マリーヌは焦った顔をしながら訂正した。

「わかっています。ご主人様は変わってしまいました。身なりも、体形も、お食事も」

「野菜と変なお茶のような飲み物だけで生命を? 老化が進んでしまうとか?」

「お飲みになっているのは特別な飲み物でジャミール茶。原料は森の水源に生息する植物。その生息地は      

神の管理下にある禁断の場所で立ち入りが禁止。だから、川から流れてくる茶葉を集めてから天日で干し、焙煎して飲み物にしているのです」


 神という言葉に小さく反応したマリーヌだったが、軽く聞き流してしまった。やはり公爵のことが訊きたい。


「焙煎してもあんなに緑色なんですね」

「それほど効果がある特殊な茶だということでしょうか。ただ効能が高い分、副作用も強く、体に異変をきたしてしまうようで」

「それを飲み続けないと老いてしまうというのは、なぜですか? どうしてそんなことに?」

立て続けに質問してしまった。マリーヌは核心に迫りたい一心だ。


「……」

 フラールの内心を読めなかった。


 病気? 公爵になにがあったの?

 マリーヌがもう一度言葉に出し、核心部分に食い込もうとした時だった。


 バタッ と椅子が動いた。

 フラールは立ち上がって背を向けてしまった。

 それまで流暢だったフラールの口が重くなる。


「申し訳ありません。お話しできることは、このくらいで」

 マリーヌは、なぜ? という顔をした。


「これ以上詳しいことを申し上げることが……神に触れる事柄ですので」

「神とは?」

「私にも家族がおります。遠くに住む家族に禍が降りかかることは避けなければなりません」

 フラールの様子で、ただことではないとマリーヌは感じ取った。

 他人を犠牲にしてまで欲求を満たすわけにはいかない。マリーヌは追及を諦めるしかなかった。


「コーヒーのおかわりはいかがですか?」

 人柄なのか、フラールはもう一度偽りのない笑顔を見せた。

「はい」

 マリーヌも喜んでカップを差し出した。


「私が執事だった頃の楽しい思い出でしたら」

「ぜひ聞かせてください」

 穏やかな時間はすぐに取り戻せた。

 笑い声が家の外まで聞こえる。

 二人の会話は夕日が沈む頃まで続いた。


 帰りの馬車の中でマリーヌは、一つの単語について考えていた。


 神……って? フラールはなにに怯えていたのだろう?

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