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昼の使用人たちは各々の仕事を終え、使用人部屋に戻る。駐馬車場の近くに敷地があり、そこにも使用人用の宿舎があった。公爵家の変貌とともに古い使用人から新しく採用された使用人に変わり、若い男女が多く行き交う。食堂も完備され、親しくなった使用人同士でテーブルを共有する。
「パパ」
と、部屋の前で父の帰りを待っていた幼児の声。独身者がほとんどだが、若い夫婦もいて家族で引っ越してきている世帯も数部屋あった。
夕方は、調理場や食堂担当の使用人が忙しい時間帯。以前は公爵家全員がほぼ同じ時間に食事をしていた。現在、エディダス公以外はハルキリスしかいない。親族は富を相続しているので、国外や山海の別邸などで優雅に暮らしているという。残された兄と弟だが、二人は別々に食事をしているらしい。
部屋で本を読んでいたマリーヌも食事の時間を告げられた。
こんな小さな子供がメイド? そう思える少女に案内された。
途中、窓の外にハルキリスを見た。外出の準備をしているのか、馬車に側近の男性が荷物を載せていた。
遠目でも魅力を感じる、王子様のようなハルキリス。
あの時の会話、甘い言葉で耳元をくすぐられる感じ、また近くで寄り添いたい。
ハルキリス……ハルキリス……ハートがその名を反復した。
兄と弟でこれほど違ってしまうのか。マリーヌはハルキリスとの運命を手繰り寄せたいと願ってしまう。
はっ!!
少女が手を握っている。
「行きましょう。お嬢様」
「そうね」と、手を引かれ歩き出した。
なにを考えているのだろう私。迎えてくれたのは公爵なのに……。
ダイニングの扉を開くと料理の匂い。肉汁、スパイス、油、香味野菜、様々に香る部屋に入る。
すでに配膳係が、テーブルに料理を運んでいた。
厨房の料理人は腕のいい名料理人が揃っている。みな新しく採用された質の高いシェフばかりだ。
海を挟んで隣国のシレスレン国は、貿易の中継地でもある。その関係で各国から珍味を含めた様々な食材が運ばれてくる。首都のホウマスは、食材を使いこなし上質な料理を生み出す食の都であった。そこで修業した料理人が、屋敷の厨房で働いているのである。料理は最高級で間違いない。
「こちらです」
少女から別のメイドに変わり奥に通された。
それにしてもなんて長いテーブルだろう。その端に公爵が座っている。マリーヌは、対面の席に案内された。公爵との距離が遠く、しかも二人きりの食事なんて。
テーブル係が前菜を運んで来た。公爵家の食事らしい豪華なディナーになりそうだったが。
ん?!
公爵の前には野菜を盛り付けた大皿が置かれていた。
この地域特有のエディス農業による産物だと思われるが、山盛りの野菜なんて。
自分の前には高級な前菜が届いているのに。とにかくマリーヌはフォークとナイフを手にした。
オーブンでしっとり焼かれたパイ包、そして魚介のテリーヌ。見た目を楽しむとすぐ口に運んだ。
「美味しい」
そう言って近くの使用人に目で合図した。
使用人は小さく微笑む。
厨房では、豪快な油料理がフライパンの上で炎を上げている。
テーブルには、丸鶏のローストがドカンと置かれ、周囲にも海鮮から山の幸、他にも巧みに加工された料理が贅沢に並んでいた。食べきれない量に、少し罪を感じる。
ただ、公爵は料理人が極めたと思われる絶品料理には口をつけない。
公爵は皿に盛られた色とりどりの野菜を、大口を開けて食べている。その食べっぷりって……。
これが大きなお腹の原因なのだろうか? でも、野菜でこれほど太るなんて。脂肪分を含まない食材に思えるのに、あの体はなぜ? と不思議だった。
ロマンスとは程遠い食事だった。弟のハルキリスと一緒だったら……そんな思いを打ち消しながら、マリーヌは味を噛みしめていた。
メインディッシュが運ばれてきた。養女であるマリーヌへの歓迎の証なのか、メインの肉料理は上品な盛り付けだった。フィレの部分を適度に焼いている。さらに魚料理も、小さく切られソースが添えられている。もちろん、味は今までに経験がないほど舌を喜ばせた。
食のおかげで幸福感があった。
ただ、テーブルの向こう側で、ゴクッゴクッと、音がする。
公爵はポットの液体をがぶ飲みしている。飲料水のようだが、グラスに注がれている深い緑色の液体はなに? 首元から雫が滴り落ちる。これが公爵家の食事作法なの? とマリーヌは表情を曇らせた。
作法はともかく、食事の内容が気になってならない。
その内、デザートの用意ができたようだが、公爵は緑の飲料水を飲んでいるだけだった。甘いものは苦手? 勝手に想像してしまう。飲む度に腹が膨れているよう。その様子を目の前にしても平然と仕事をこなす使用人達も凄いと思う。いや、半分呆れてしまうが。
「ごちそうさま」
「お飲み物でも?」
マリーヌは部屋で温かいものを飲みたいとダイニングを出ることにした。
会話のない食事だった。話なんてできる雰囲気ではない。
マーサと廊下に出ると、シェフ姿の副料理長が歩み寄り声をかけてきた。マーサに紹介された後、すぐに料理についての感想を訊いてきた。もちろん料理についての不満などあるはずはない。むしろ経験のない美味の数々に幸福感を味わった。優れた料理人が揃い、最高の技の証明だと称賛した。
「ありがとうございます。一同これからも作り甲斐があるというものです」
副料理長は白のシェフハットを脱いで、深く頭を下げた。
養女として迎えられたマリーヌの食への評価は、やはり厨房でも気になることだったのだろう。
この日から食関係の使用人の間で、マリーヌの評判は高まることになる。
マリーヌはマーサと部屋に戻った。男性との食事は会話で盛り上がるもの。由緒ある家柄なら、武勇伝の一つや二つ聞かされてもおかしくなかったが。そんな先入観があったためか、寂しい食事でもあった。
誰かと話がしたい。
この屋敷は謎が多い。知りたいことが多くて、今夜は眠れそうにない。目にする使用人達の様子に不自然さはそれほど感じない。新人ばかりということを除けば、みなよく働いていて領主のお屋敷のイメージ通りだ。ただ、公爵のことに関しては理解しがたい点が多い。
ティーカップを用意しているマーサに問いかけた。
「公爵の食事は、いつもあのような?」
「私が知っている限りでは、いつも同じお食事で」
「あれでは体によくないのでは?」
マーサは熱い湯をティーカップに注いで流す。
「今回の茶葉は、こうしてカップを温めるとさらに美味しさが引き立ちます」
ポットの茶葉に湯をかけると香り満ちてきた。ブラックティーのブレンド。
「ご主人様にも色々と事情があるとは思いますが」
温めたティーカップにお茶を注ぎながらマーサは言った。
「お飲みになっているものは、やはりお茶?」
「詳しいことは存じません。私はそういう立場ではありませんから」
「豪華な料理にも口をつけないし」
「ただ、ああしなければ、老いていくと」
「老いていく? どういうこと?」
「わかりません。ただあのお茶のようなものを飲み続けないと衰弱が激しいとの噂は聞いています」
「誰か、事情を知っている人は?」
「あまり深入りなさらなくても」
「けど、私は養女として暮らす以上、知っておきたいこともある」
「グラニールも詳しいことは……グラニールの前の執事で、今は退いて街で暮らすフラールなら過去の出来事に詳しいかもと」
「その人に会うことは?」
「真相究明などといったことが公爵の耳に届くと……」
「街を知りたくて出かけるということにすれば……詳しいことは言わなければ外出も自由にならない?」
「私には判断ができません」
マリーヌは決意した。誰が何と言おうとフラールに会う。
夜に活動するという夜文鳥のつがいが屋敷の庭を飛び回っていた。
月の光が窓から抜けて壁を照らしている。
マリーヌはベッドで天井を見つめた。
どうしても公爵のことが知りたい。あの姿、そして特殊な生活習慣。きっと私がここに導かれた理由もそこにあるはず。運命の歯車は回っている。その先には私が手に入れるべき宝箱があるかも。宝箱を開け、謎を解き明かすことで、新しい恋にも出会えそうな予感もしている。都合のいい解釈だが、自由に未来を描きながら、マリーヌは目を閉じた。
朝食もダイニングで公爵と一緒だった。
朝から野菜と水分だけだなんて。マリーヌはじっと見つめてしまう。その視線を無視するかのように公爵は液体をがぶ飲みした。かわいそう、それ以上に公爵が哀れに思えてきた。
自分の目の前には、ハムやチーズ、パンケーキが並んでいるのに。バターに絡まるはちみつの味。こんなに新鮮で美味しいのに、口にしないなんて。
やはり、詳しい事情を知りたいと思う。
「あの~」
公爵に話しかけてみた。対面はしているが、長いテーブルの向こうにいる。声は届かないのか、夢中で水分を補給している。そうしないと老化が進む? そんなことがあるのだろうか?
「公爵?」
もう一度声を大きくした。
使用人の一人がマリーヌを見て首を横に振った。
今は無理か……。フォークでミニトマトを突いてみた。
食事の後、マリーヌは庭園を散歩した。公爵家の養女となれば、公的な仕事でもあるのではと思うが、 今のところ有力者にご紹介などの動きはない。
かつての公爵家なら事務方も多く在籍し、領内の治安や経済など、様々な職務を担っていたそうだが。
こんな暇な毎日がいつまで続くのかしら?
マリーヌはぼんやりしながら歩いた。
いつも思う。味は絶品なのに食事がつまらないなんて。
高い木に鳥の巣、ヒナが生まれたようで母鳥がせわしなく餌を運んでいた。
日差しが眩しいと感じた時だった。
「空気が澄んでいて気持ちがいいね」
ハッとする。
「ハルキリス様!!」
「ハルキリスでいいよ。僕と君に身分の差はない」
動揺して様と呼んでしまった。また同じことを言われてしまった。
急に現れるんだもの。
澄んだ空気の中で男性の美顔は気持ちが微笑む。
「屋敷の生活には、少しは慣れたかい? 」
「まだまだ、わからないことが。しきたりも覚えないと」
「かたぐるしく考えなくてもいいんだ。歴史はあるけど、厳格な家系ではないから」
優しい。気が休まる……マリーヌは少し体を寄せてみた。
思いやりに感謝したい。
「兄がああなってしまっているので、僕がしっかりしないと」
「公爵って……」
「ん?」
なんでも許されそうな二人だけの空間。
思わず愚痴をこぼしたくなる。が、使用人からお嬢様と呼ばれる者のすることではないと感じた。
「ごめんなさい。訊いてはいけないわね」
「昔は兄もあんな容姿じゃなくて、二人でよく遊んでいたんだけど」
マリーヌは思った。自分のせいで兄弟の間に亀裂が入る行動や言動は慎むべきだと。屋敷の中での真相究明は不可能だと思う。
やはり街へ出て、フラールに会わないと。
「兄があのまま変わらなければ、跡継ぎは僕がどうにかしないと」
ハルキリスの肩に蝶がとまった。彼が天を見上げると、蝶はすぐに飛び立つ。
そんなハルキリスの全身に見惚れてしまう。
跡継ぎ?
今の言葉は、子供のこと? 未来の夫人を求めているとか?
案内係の言葉を思い出した。
公爵の養女といっても、娘として迎えられるわけではない。公爵との血縁もなく、義理の関係でもないとしたら。ハルキリスとも結ばれる可能性もあるということ?
頭の中で映像が流れた。白い教会で結婚式……なんて。
二人きりで寄り添う空間で、マリーヌは妄想を膨らませた。
私がハルキリスの妻になることもありえる。そして世継ぎを産む。
それが最高の愛に出会えるということ?
様々な思いが、頭をよぎった。
ハルキリスはマリーヌの読み取ったのか、
「なに?」
と、瞳を重ねた。
「い、いえ別に……」
ごまかすため、マリーヌは街へ出てみたいと言った。
「僕の馬車を貸してあげるよ」
それは一人で行っておいでという意味なのだろう。
ハルキリスと一緒に街を散策、その途中でフラールにも会う。そんなマリーヌの欲望は打ち消されてしまった。




