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三角日食の日だった。
三つの月が三角形の位置で重なり太陽を隠す。
昼間なのに夜のよう。闇のカーテンで仕切られた世界。住人は慣れていても、森の動物はどよめき、うめき声をあげる。
煙突屋根が影に隠れる頃、街の居酒屋は酒の提供を止め、動物の肉を食べない人も多い。宗教的儀式も様々で、信仰の形式によって踊り、歩き、祭りをする。
窓辺で手を合わせ、祈りを捧げる信心深い人もいた。
マリーヌは食卓で異国の薫り高いお茶を飲みながら、レバロンの言葉に耳を傾けた。
「私が養女に?」
突然の話だったが、それが運命なら素直に従うつもりだ。養女と言っても今回は子供になるということではないらしい。この世界特有の家族関係や習慣があるらしい。詳細は目的の領地に入ってから。相変わらず秘密めいた口調で話すのは案内人の習性なのか?
「わかりました」
と、マリーヌは承諾した。
元々荷物の少ないマリーヌ、衣類と化粧道具くらいを揃えた。
行き先は、エディダス公爵の屋敷、富は十分なので、必要な物はいくらでも購入することができそうだ。いつまでかはわからないが、その屋敷で暮らすことになる。しばしのお別れということで、バレンシアは大陸産高級肉の赤ワイン煮込みなど、料理を奮発してくれた。
不安はある。眠れない夜が明け、出発。
コツコツと硬い地面を打つ馬のヒズメの音。途中舗装されていない道には小石が多い。飛び跳ねる小石。
馬車の車輪の回る音を聞きながら、マリーヌは車内で一人、書物を読んでいた。
これから訪れるエディダス公の歴史が記されている。この世界は神の世界。公爵家も代々神のご加護を受け、長年の繁栄を続けてきた。
領地の農園では、エディス農業という独自の方法で、地域野菜の栽培が行われ、領内の豊かさの要にもなっているという。青菜や根菜、果実に似た野菜。収穫物は、絵でも紹介されている。
さらにページをめくる。
歴代当主の肖像画は、どれも美男で。多少の修正はあるものの、現エディダス公爵のスタイルは期待できるものと思えた。
不安を抱くより前向きに。マリーヌは、まだ見ぬ主人との胸ときめかせる出会いと、屋敷での生活に大いなる夢と期待を抱いてみた。
中継地点の街に入った。東西南北に道がつながり、交通の中心部のようだ。行き交う行商人、観光客、貴族、警察の制服姿で歩く人もいる。
「こちらでご宿泊を」
馬使いに案内され、宿に入った。予約済みのようで、すぐ部屋に通された。ベッドとテーブルのシンプルな室内。一泊だけなので丁度いいのかもしれない。
マリーヌは、やや硬めのベッドで朝を迎えた。
朝食を食べ、外に出る。
馬使いは、雇人専用の宿があるらしく、そこから出迎えてくれた。
出発、馬車は走り出した。
領内に入ると景色も変わる。道も領地の経済力で綺麗に舗装されている。
ヒィーーン
馬の荒い息が聞こえ、馬車が大きく揺れた。
「どうかしました?」
窓から顔を出し、馬車使いに声をかけた。
道に少年が倒れていた。
まさか! 馬車で衝突した?
マリーヌは慌てて馬車を下りた。
「ぶつかってはいませんから」
馬車使いも下りてきた。
少年はゆっくりと起き上がった。
「大丈夫? 怪我はない?」
「うん、僕がぼんやりして歩いていたから」
少年は杖を手で探っている。
マ リーヌは、その杖を拾って少年に手渡した。
「もしかして、目が……」
「生まれた時から僕には景色がないんだ。頭の中では色々と描いているけどね」
と言った少年の表情に暗い影はなかった。
こんな年齢なのに苦労を感じさせないなんて。
マリーヌは気の毒に思い、少年の手を無意識に握った。
「優しんだね」
「馬車で送ってあげる」
「ありがとう。でも……」
「遠慮はいらないわ。エディダス公の屋敷に行く途中だから」
「え? 公爵様のところへ?」
少年は驚いた顔をした。
「公爵様って、知っているの?」
「母さんがお屋敷で奉公しているんだ」
少年の名はリカルド、屋敷の使用人部屋で母と暮らしていた。今は屋敷に戻るところだったという。マリーヌはこんな偶然もあるのかと思った。
「行きましょうか?」
馬車使いは二人が乗り込んだことを確認して馬車を走らせた。
農作業が盛んに行われているだけあって、道を歩く人は背中に籠を背負っている。
田園風景を窓の外に見ながら、マリーヌは少年に語りかけた。
「ずっと、お屋敷に?」
「うん、僕はお屋敷で育ったんだ。母さんは公爵のお気に入りのメイドだからね」
少年は自慢そうに言った。
「それならリカルドも公爵をよく知っているの?」
「この目では外見を見ることはできないけど、噂だけなら」
「公爵って、どんな方なのかな?」
「人柄は素晴らしいって聞いたことがある。きっと外見も内面も素敵な人だと」
やはり、王子様との運命的な出会いのようなストーリーが?
車窓から見る景色を瞳に映しながら、まだ見ぬ公爵と先の未来を想像してみた。
大きな建物が見えてきた。これこそが広い領地を治める公爵家の屋敷なのだと実感。
屋敷の門番が、馬車を停止させた。馬車使いが事情を説明する。マリーヌの顔を見ると、門番は深々とお辞儀をして門を開けた。
なんて大きなお屋敷。
長い通路は、奥の建物まで続いている。使用人や来客だろうか、身なりが様々な人達とすれ違った。小さな街のよう。
やっと入口にたどり着いた。正面から見る造形はやはり王宮をイメージさせる。
連絡が行き届いていたのか、メイドが並んで待っていた。
紫色の絨毯は、なにを意味するのか?
マリーヌはリカルドの手を引いて、馬車を下りた。
「リカルド!!」
たぶんお母さんだ。マリーヌはその女性に視線を向けた。
母は息子を抱き寄せた。
「どうしたの?」
「母さん」
「姿が見えないと思ったら」
「ちょっと冒険に」
「困った子だねぇ」
と頭を撫でる。
親子の会話にほっとするマリーヌだったが、すぐに使用人達の視線を受け、身が引き締まった。養女として迎えられた人物を、使用人達はどう見るのだろうか?
表情には出さなくても、みなマリーヌの容姿からじっくりと探りを入れているようだった。歴史の長い屋敷にしては、使用人の年齢層が若い。
リカルドの母はマーサと名のり、マリーヌを屋敷の部屋へ案内した。数えきれないほどの客室がある。廊下には定番の絵画、そして花瓶の花が豪華だった。各国から集められたような調度品の数々。
マリーヌはマーサにリカルドとの偶然の出会いを話すと、マーサは母として息子の教育方針を口にした。
「産まれてすぐに目の障害がわかって、亡くなった父親もその時は、とても悲しんでいました」
「でもあんなに明るくて」
「目が不自由ということで家に閉じこもっていてはと、自由に外へ出させることにしているんです」
「人と触れ合うことも大事ですよね」
「おかげで卑屈にならずに、困難にも負けない子に育っています」
実はマーサ自身も幼少期に両親を失い祖父母に育てられていた。生まれた国は内戦状態で、父は政府側の兵士として反政府軍と戦っていた。
やがて、反政府軍が実権を掌握し、反勢力とみなされた父は処刑、母は投獄後死亡した。
マーサは祖父母と隣国へ逃げ成長し、薬剤師だった男と結婚した。夫はリカルドが産まれるとすぐ、薬剤の作用が原因で亡くなる。リカルドの目を治す薬を開発している最中のことだった。いくつもの困難を乗り越え、マーサは、この国で働いている。
母の強さ、人間力なるものをマリーヌはマーサから感じ取った。マーサは屋敷内で強い味方になってくれると期待した。
「こちらです」
マーサの背中を追うように、マリーヌは部屋に向かった。
ここには赤紫色の絨毯が。マリーヌが表面の艶やかな絨毯に足をのせた時だった。通路の向こうで扉が開いた。
プリンス? 思わずうっとり見惚れてしまう男性の顔。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
緊張してしまう。
「エディダス公爵の弟君、ハルキリス様ですよ」
マーサが、マリーヌの耳元で小さく言った。
弟……なんて素敵な……。
足音を連れて近づいてきた。足が長い、スマートな歩き方で、モデルのよう。
うっとり~
距離が近い。
なぜか指先が震えた。私のメイク大丈夫かな? 余計なことに気が回る。
「私は……」
「知っているよ。ようこそわが家へ」
口元がキラリと光る感じ。ドキドキが止まらない。マリーヌは胸を抑えた。
「これから公爵の元へお連れ致します」
マーサが親しそうに言った。
「兄も楽しみにしていると思う」
と微笑む。美男子の微笑み二重奏にクラクラッとする。
マリーヌは返す言葉が見つからない。息がかかりそうな距離で、このシチュエーションは罪だ!!
礼をしてマーサと歩き出した。
「また会おうね」
ハルキリスは柔らかな笑顔で手を振った。
メイドにも人気で、みなハルキリスの側役を熱望しているのだとマーサは教えてくれた。
歩きながら考えた。
弟君があれほどうっとりする外見だとすれば、実兄であるエディダス公爵もかなりの容姿端麗で……。
マリーヌはニヤニヤしてしまった。
「どうかなさいました?」
「い、いえ」
ごまかしたけど、マーサはマリーヌの心を読んだようだった。
「公爵に会えるのが楽しみになりました」
そんなマリーヌの正直な言葉にマーサは一瞬表情を曇らせた。