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リハーサルは無事終了した。演出家の意向で本番は2日後に延期になったけど。
言霊に似たセリフは、マーメイドの言葉として発せられた。が、観ていたマリーヌに体の異変はなかった。舞台の上で、フェミリアは物語の主人公としてのマーメイドを演じることができた。
意識を失った時の、あのアクシデントはなんだのだろう?
さらにマリーヌが気になったのは、物語のストーリーだった。マーメイドは愛する男性の正体を知り、その心を掴むことで女神に戻ることができる。
この物語の原案者がフェルンだとしたら、彼はどうして思いついたのだろう。
旅をしているから神話や伝説を見聞きすることは多いとは思う。この土地で囁かれる伝説も物語の基礎となったのかもしれない。
でも、彼はそれだけではないような気がする。マリーヌの視線の先には、舞台の余韻に浸るフェルンの姿があった。
色々謎は多いけど、その前にフェミリアに挨拶に行こう。
マリーヌは、舞台の本番の日を前に、会っておきたいと思った。
楽屋に行ってみた。マネージャーのアスカもいて、お茶を入れてくれた。グリーンアップルをベースにした紅茶。甘酸っぱい香り。
「どう体調は?」
「平気、健康そのもので、前より体も軽くなった」
「そう、よかった」
いつの間にか二人は友達のようになっていた。その雰囲気にアスカも微笑みを見せる。
「お世話になったお礼にお食事でも」
「でも……」
マリーヌは考え込んだ。従業員として雇われている身で、そんな贅沢が許されるのだろうか?
「ぜひ一緒に、支配人には私から話を通しておきますから」
アスカがそう言ってくれたので、マリーヌも承諾した。
レストランで食事だなんて……他のスタッフに悪い気がするけど……。
フェミリアとレストランに入ると、マリーヌが従業員の一人だと知っているスタッフは怪訝な顔をしている。妬みの視線を送る者もいたが、マリーヌは気づかないふりをした。厨房で豪快な炒め料理が始まり、大きな炎が上がった。
客も増え、サービススタッフも忙しなく右へ左へ動く。
久しぶりの豪華な食事だった。舞台俳優と向かい合って食事ができるなんて。
そこへ男性の影。麗しい香り……って、フェルンがルシード公子と現れた。
「この時間にお食事とは奇遇ですね」
久しぶりに見た公子の微笑み、またもマリーヌはドキドキしてしまう。太陽がまぶしい南の島にいても、透き通る白い肌。
「お二人も? お食事?」
フェミリアはルシード公子と初対面ではないらしい。
「舞台を楽しみにしています」
「きっと素晴らしいステージをお見せできると思いますわ」
階級の高い人との会話も自然体で、さすが有名俳優。マリーヌはフェミリアと公子の顔を交互に見た。
「それではまた後程」
「ルシード公子とは演劇のフェスティバルで初めてお会いしたのよ」
二人が別の席に案内された後、フェミリアが言った。
「素敵な方よね」
「マリーヌったら、頬が赤いわよ」
「やだっ」
マリーヌは照れた素振りを見せた。
テーブルには順番にコース料理が運ばれてくる。
やはり海の幸が豊富な料理だった。高級食材に慣れている顧客にも不満のないメニューが用意されている。
二人の会話も演劇から異国の文化など、互いの経験を語り合った。
デザートになった時、フェミリアが言った。
「私の部屋に泊まらない? もっと異国のことを知って感性を磨きたいから」
断る理由はない。
「でも……」
「アスカに言って、支配人に許可をもらうから」
「楽しそうだね」
食事を終え、帰り際フェルンが声をかけてきた。
「公子とも色々と話して、マリーヌのことだけど」
「私のこと?」
「後にしよう。楽しみは後で……プレゼントは差し上げるまでが楽しいのだから」
公子の意味深な言葉。
「また後で」
フェルンと公子は出ていった。
「なんだろう? 気にならない?」
フェミリアが疑問を投げかけるようにマリーヌを見た。
「すごく気になるよね。プレゼントって?」
悪い話ではなさそうだけど、公子の言ったプレゼントという言葉が頭から離れないマリーヌ。
いずれ、わかるはずだから、その時を待とう。
とりあえずマリーヌはフェミリアの部屋に泊まった。
静かな夜、恋愛話に花が咲く。
「俳優と貴族との出会いって、そんなに?」
「結婚に至るケースもあるのよ」
ステージの輝きとは別の場所にもストーリーがあると聞いて、マリーヌは瞳を輝かせた。
「王室の盛大な結婚式の様子を、各大陸のメディアが取り上げて話題になることだって」
「女優から王妃になるなんて、幸せの階段を上がるような運命」
話は尽きない……。
ワインを飲んだせいか、互いに眠くなる。
隣同士のベッドで眠りについた。
深夜になった頃。
ふと、マリーヌは目が覚めた。
あれ? フェミリアの姿が?
どこへ? ……。
マリーヌは着替えて部屋の外に出た。
やはり深夜の館内は静かだ。人の姿はない。
レセプションには夜勤のスタッフが常駐している。フェミリアが来なかったか訊ねてみた。
「外へ出ていかれました」
南の島は夜景が綺麗。特に満点の星空は宝石箱をひっくり返したように美しい。
夜の海を楽しむ客がいないわけではない。フェミリアが通り過ぎても、スタッフは特に気にしなかったようだ。むしろ声をかけないことが礼儀と考えるのがスタッフであろう。
「ただ一つ、なにか呪文のような、舞台のセリフのような言葉を言っていたようで」
呪文? 舞台のセリフ? ……まさか、言霊?
まだなにかしらの魔力のような現象が起こっているのかも? マリーヌは急いでフェミリアの後を追った。
海岸の砂に足跡を発見するマリーヌだった。
フェミリアが一人で夜の海へ? そんなことはない。行くなら自分を誘うはず。
この時のマリーヌに星空を楽しむ余裕はない。周囲を見回した。月光が明るく照らしていた。
あれは!!
岸壁に立つフェミリアの姿があった。
なにかを口ずさんでいるような? まさか海へと飛び込むとか? 憑依? それとも魔法にかかった? とにかく助けないと……。
マリーヌはフェミリアのもとへ走り出した。
『私は愛を求め、時空を彷徨う女神……マーメイドが私自身』
フェミリアの瞳が月光を受け、エメラルドグリーンに変色した。昼間の海面の色と同じだった。なにかと同化し、虚無を抱いたようなフェミリアの姿。それは自分の意識を失っているようにも思える。瞳は一瞬だが、人間とは違う影を映した。
亡霊のような足取りでフェミリアが海の方へ踏み出す。
「フェミリア!! ダメよ!!」
マリーヌはフェミリアを背後から抱きしめた。
ジャポンと遠くの海面で音がした。トビウオ? しぶきが上がる。普通の魚にしては大きい。
海面に尾ひれが見えた。
やはり大きな魚?
月に雲がかかり影になった。姿が微かに海面に浮かぶ。
ん? 髪の長い女性? 上半身は人間に思えた。
「あれがマーメイドだ!!」
いつの間にかフェルンが立っていた。
フェルンが、なぜ? ここに?
海底に沈む影。本当にあれがマーメイド?
影が消えた瞬間、フェミリアの瞳に月光が吸い込まれた。意識が戻ったようだ。
「私……」
「大丈夫?」
「どうして私はここに? フェルンがなぜここに?」
フェミリアはまだ意識が膿漏としているようだった。
「どうしてもマーメイドの……その姿を見たくて、フェミリアの後を追ったんだ。その存在を確かめたくて」
「フェミリアがマーメイドを導いたとでもいうの?」
マリーヌも半分錯乱している。必死で頭を整理しようとする。
「フェミリアがマーメイド役となり、その後の体調の異変で予感したんだ」
「本物のマーメイドの力が働いていると?」
「おそらく、だから僕はあの物語を考えたんだ」
「すべてはマーメイドを導くため?」
「これで確信した。マーメイドはマリンビュールの、この海に存在する」
フェルンの瞳は希望を引き込んだように輝いた。
その先になにが?
マリーヌはフェルンを見つめた。
フェルンはマリーヌと目を合わさずに言った。
「僕がこの時代に生まれたことは間違いではなかった」
遠く海を見つめて言った。
どういう意味だろう?
その夜はこれ以上のことはなく。静かに朝を迎えた。