2-3
エメラルドグリーンの海は、旅行雑誌の表紙のよう。掌ですくいたくなるような海水の美しさ。小さな島を囲む珊瑚礁。
港から見える砂浜には、間隔を開けてパラソルが立ち並ぶ。
風に揺れるヨットの帆。
蒸気船はマリンビュールの港に停泊した。
「お疲れ様でした」
乗務員が船を下りる客に声をかけていた。
マリーヌはミレンの背中を見ながら南国の地を踏んだ。
「爽やかな風、南の国に来たって感じね」
「では、これから滞在する施設へご案内します」
「うん」
バイスクルタクシー乗り場に来た。
自転車の後ろに座席、その座席には屋根がついている。
ミレンが値段交渉を始めた。
この前は専用の馬車がお出迎えだったのに。マリーヌに不満はないが、ギャップに戸惑いがないと言えば嘘になる。
「交渉成立です。行きましょう」
タクシーは走り出した。と言っても自転車なのでスピードは出ない。
それがかえって、街中の景色を楽しむのに適したスピードだと感じた。道はしっかり舗装されていて、両脇には南国の木々が人口的に植えられている。ヤシの実だろうか、大きな実が高い木の上で実っている。
「やっぱり観光で賑わっているわね」
すれ違う馬車。裕福な観光客はやはり馬車で移動するらしい。
真っ白で毛が細く尖っている馬って?
「馬の形が変じゃない?」
「暑さに強い馬なんですよ。こういった場所に適した品種に改良されているんです」
ドライバーが教えてくれた。
おしゃれでカラフルなシャツが店頭に並ぶショップ。
トロピカルフルーツの店頭販売。売り子の元気な掛け声。
ソフトクリームを食べながら歩くカップルの姿。
「なんかウキウキするね」
「今回は単純にバカンスに来たのではありません。ましてや養女でも令嬢になるわけではありませんので、あまり有頂天にならないほうが」
従順でありながら時に手厳しいのは、レバロンと似ている。マリーヌはちらっとミレンの横顔を見て思った。
「ここでいいかい?」
滞在先に到着したようだ。
高級ホテル? と思わせる外観。全室にバルコニーがあり、島全体が見渡せそう。タクシーのドライバーはミレンから代金を受け取ると、鼻歌を口ずさみながら陽気に去っていった。
レセプションで待つことにした。
貴族の青年かしら? 高貴な雰囲気で歩いている。
え!
ウィンクなんて……。
ドキッとしてしまう。
マリーヌは恥ずかしくなり、背を向けてしまった。
少し歩いてみよう。
これって!!
正面エントランスの反対側を見て驚き!!
プライベートビーチが存在していた。白い砂浜、打ち寄せる波。
全面ガラス貼りの向かう側は、鮮やかなブルーとホワイトの世界。
海洋につながる入り江には船がつながれている。
なんて豪華な。
「ここが富豪や著名人がバカンスで訪れるという長期滞在型施設・アクシアスラグーン」
ミレンの横に立つ女性がいた。マネージャーのような制服姿がこの高級な空間に似合っていた。
「人事を担当するメッサリモールよ。よろしく」
「こちらこそ」
「契約は郵便で済んでいるので、早速、従業員部屋の方へ」
「後はよろしくお願いします」
「行ってしまうの?」
「私は別の用事がありますので、失礼いたします」
ミレンはマリーヌを残して歩き出した。自分の役割のみに忠実なのはクリスチャーらしいのかもしれない。
通路を歩きながら、首を横に縦に振るマリーヌ。
どこを見ても豪華な造りだった。マリーヌはメッサリモールからこの地の説明を聞きながら歩いた。
かつては、神の保護を受け繁栄した王室の領地であったという。いつしか神の存在が消えると、民主化の波で王室は消滅した。ただ、貴族は莫大な財産を隠し持っていたため、民衆との共存共栄の時代となり、その象徴としてエメラルドグリーンの海が富豪や貴族達の憩いの場所となった。
アクシアスラグーンは、そんなハイクラスの人々が契約して利用しているリゾート施設なのだという。
そんな豪華な建物から離れてすぐの場所に来た。
施設の離れに建てられた従業員宿舎。食堂も完備。
廊下を歩くと部屋の扉が並ぶ通路。
「中に入って」
マリーヌの部屋には、25番の数字が刻まれている。
狭いけど、個室だったことで少し安心した。ガラス扉の棚には制服や私服、親切に水着まで用意されていた。
「食事は一日三食が基本だけど、夜勤の人は夜食の準備もできているから」
「わかりました」
「施設での経験はないと言ったわね」
「え、ええ、ハイクラスの方とのお付き合いなら少し」
と言った後、余計なことを口にしたかと後悔した。
「ここでは従業員であることを忘れないで」
と厳しいお言葉。やはりメッサリモールは気分を害したらしい。
「は、はい」
「ベッドメイクからクリーンルームの作法、お食事のサービスまで、しっかり覚えてもらうから」
「よ、よろしくお願いします」
さすが教育係、怖い!
ただ、その後嬉しい一言。
「到着日だけは市内見物やビーチで遊ぶことができる。ここからは一日だけ自由時間よ」
「本当ですか?」
つい、大声になってしまった。
「好きにしたらいいわ」
メッサリモールは無表情で出ていった。
一人、ベッドに腰かけた。
やはり、ビーチに出てみたい。立ち上がった。
短パンにシャツという軽装で外に出た。
施設の南側にあるプライベートビーチ。
出入り口付近には警備員もいるが、半袖シャツという南国に似合う姿で、見回りをしていた。
裸足で歩きたい気分。
波の音。
「眩しい」
照り付ける太陽が、砂浜に反射する。
瞳に映る光景に時が止まった。
え!!
ここは……楽園?
パラソルの下でサングラスの男性。本を読んでいる姿が知的に見える。
小麦色の肌が綺麗、その男性が海に飛び込むと小さく白い波が弾けた。
長髪を束ねてビーチバレーをしているグループ、みんなイケメンで……。
テラスも用意されていて、喫茶になっているようだけど。
お茶をしている男性も優雅で高貴なお方のよう。
ここは男性専用のビーチ? そんなわけない! 男性天国? 意味不明なことが頭をよぎった。なにを考えているんだろう私……。
マリーヌは頭の整理がつかずに佇んでいる。
「こんにちは」
声をかけられた。
「初めて見る顔だね」
「え、ええ」
太陽の輝きと重なって、ハンサムボーイの微笑みにクラッときそう。
「どう? テラスでお茶でも」
また、声をかけられた。
「今度、ヨットで海に出ないかい?」
別のイケメン、ショーヘアーでスポーツマンタイプ。
「このビーチには、綺麗な女性がよく似合う」
金髪で色白の男性、公子みたい!!
な、なんなの? 夢?
美男子に囲まれている。
逆ハーレム?
「し、失礼します」
マリーヌは動揺し、逃げ出してしまった。
施設のロビーまで逃げてきた。あまりのモテぶり、しかも突然の出来事で混乱しまくっている。
みんなエキストラ? 映画の撮影? 詐欺集団?
自分の置かれている立場も、立ち位置がわからない。
建物の中は風通しがよく涼しい。この時代の建築技術で天然の空調が効果を高めている。
同じことを何度も考えてしまう。
イケメンに囲まれ焦ってしまった。なぜあんなにモテたのか? いえ、やはりなにかの陰謀では? 初対面であの誘われ方は普通じゃないよね? 自問自答。色々悩むと喉が渇いた。
ロビーから廊下を抜けていく。カフェがあった。今回は宿泊客ではない。入っていいものだろうか?
メニューの看板とショーケースに商品のサンプル。ソーダ―系ドリンクが美味しそう。喉がゴクリと鳴った。
「どうしたの?」
また、男性の声。
「あ、あなたは!!」
船で出会ったフェルンだった。
隣に立っているショートヘアーでスポーツマンタイプの男性は誰? どう見てもアウトドア―系だけど。
「君は……船で……」
フェルンは覚えていてくれていた。素直に嬉しい。この施設に宿泊?
「私は、明日からここで働くことに」
「ここで?」
もう一人の男性が積極的に会話をしてきた。
「俺はラディダス、海中探検家なんだ」
探検家って、それって職業? マリーヌは思った。
「彼は友人なんだ。立ち話もなんだから、中へ入ろう」
フェルンは、マリーヌとラディアスをカフェに招き入れた。
席に座るとすぐに、別の男性が寄って来た。
「ご一緒してもいいかな?」
「ロッペン」
ラディアスと知り合いのようだった。筋肉質のラディアスに比べると、細身のスタイル。長い手足が特徴のイケメン男子。
「異国の雰囲気が漂う彼女、僕にも紹介してよ」
ロッペンはすでに着席していた。
ラディアスはロッペンを、人魚捕獲師だと紹介した。
人魚捕獲師? それも職業? いずれもうっとりするほど美男子で、不思議な職業の方々だと、マリーヌは着席している男性を順番に観察した。
こんなに美顔の男性がこんなに近くにいるなんて。シチュエーションに戸惑いを隠せない。
今日の私は恋愛運が特別な日なの?
カフェの店員は女性だけど、男性たちは、なぜか、マリーヌにばかり興味を持っているようだった。
店員は注文したドリンクをテーブルに置いて去っていく。その店員もかわいいのに……。
マリーヌは三人の男性に見つめられていた。
なにか話そうか? 間が持たない。逃げられるタイミングが? いえ、この場を去るのはもったいない。
「人魚捕獲師というのは?」
勇気を出して訊ねてみたが、その声は少し震えている。
「俺が説明するよ」
ラディアスが先に言葉を放つ。
「言葉の通り、人魚を捕まえるのが目的でここにいる」
「人魚って、本当に?」
「この地域は、かつて神の支配下にあったからね。神の存在が消えても、様々な現象が目撃されているのは事実」
「人魚がいたとして、捕まえてもいいんですか?」
「人魚には不老不死の力があるとされているから、研究したいという学者も多い」
「人魚と不老不死との関係……」
「そこに神々の伝説がからんできたら、面白いストーリーができあがる」
フェルンが夢を語るように言った。
「僕にも話させてよ」
ロッペンが耐え切れず口を挟むつと、鞄から小さなケースを出した。
「それを見せるのか?」
ラディアスはケース中身を知っているようだ。
マリーヌはケースの中身に興味を持った。
ロッペンは、ケースの中から魚のウロコを取り出し見せる。掌サイズの大きなウロコだった。透明だが、薄いピンク色にも見える。
「それって?」
「人魚のウロコさ」
えーー 本当? 偽物では?
マリーヌは当然疑いの目で見てしまう。
「海中を探索中に一度見たんだ」
「人魚を?」
「泳ぐのが速くて逃げられてしまったけど、その時残していったのがこのウロコ」
「俺も一度見たことがある」
海中探検家のラディアスも同じこと言う
「俺は神が眠るという海底の神殿に興味があって、その探索中に人魚らしき姿を見た」
この人達って……タダモノではない! マリーヌは体験談を頷きながら聞いていた。
ロマン溢れる男達の話は、マリーヌを伝説の世界へと導いた。