不可思議な少女
「ぶつかりそうになってすみませんでしたー!!」
脱兎の如く逃げ出した。そんな表現が適切で、大きな声はうわんうわんと廊下に反響した。パタパタとはためかせた淡い黄色のローブは2年生の証。つまりは一応先輩に当たるのでしょうけど、低めの身長も相まってお可愛いらしい方という印象を抱かせた。
引き止める間もなく、ぴゃーっと効果音がつきそうなイメージはまるで小動物ね。
「何だったのかしら?」
「さぁ?」
思わずリオンと目を合わせたら、あまりにもそっけない返事。他人に興味が無さすぎだわ。わたくしもあまりヒトのことは言えないけれど……
「まぁいいわ。はやく救護室に行きましょう」
「シアさんが使用記録は残しておきなさいって言ってたからですよね?」
「そう。それよ」
あんなことがあったのだから抗議をするにしても被害状況の記録は必須となる。
どうしたって『白』に対する差別は無くならない。日記だけでは主観的で証拠としては不十分だと言う者もいるだろうけれど、そこに第三者も介入する公的な物があれば話は別。何かあったら客観的な裏付けにもなる証拠を残しておくべきなのだと、繰り返し言っていたのはわたくしの専属侍女──シアだった。彼女は過保護で心配性なところがあるけど、だからといってその言葉が役に立つことが多いのも事実なのよね。
特に急ぐこともなく普段のペースで歩き、着いた救護室。扉をノックをすればパタパタと忙しない足音、次いで聞こえてきた声は先程のぶつかりそうになった彼女のもの。
扉を開けてくれたのは良いけど、わたくし達を見てガチンと固まってしまった小さな先輩を横目に、室内に置かれたソファにリオンを座らせる。
常駐しているはずの医師は不在だと聞いてため息ひとつ。仕事に私情を持ち出してくるような人間かどうかを確認したかったけど当てが外れたわね。
ふとぴるぴると震えているらしい先輩を見やる。いちいちそんなにビクビクしなくても何もしたりはしないのに……わたくしが『黒』だから怯えてるにしてはやっぱり妙なのよね。
リオンに入室記録を書かせている間に、小さな先輩に消毒液の場所を聞く。魔法で治すのは簡単だけれど、この程度の傷には魔法薬も必要無い。便利なものも頼りすぎれば毒となる。
今回は心配させたお仕置きも込みなのは言わなくてもわかるわよね?
不満そうな顔をしたってダメよ。反省なさい。
わたくしがリオンの傷に消毒をしようとソファの前にかがもうとすれば、「あ!あたしがやりますよ!!!!」とさっきまでの態度は何だったのかと思うほどの勢い。まるで仕事をとられまいとする使用人の如く。あわあわと恐縮しきっていたくせに、責任感はしっかりとあるようで、飛びつくような豪快さに思わずくふりと笑みが浮かぶ。その様子には『白』への偏見や忌避感などというものは一切無く、ただの怪我人に対する純粋な心配があった。
侯爵令嬢としてなら彼女に任せても良かったのだけど、断らせてもらったわ。シュンとする様はよりいっそう小動物じみていたけど、だからといってほだされてもあげない。
リオンはこのわたくしの護衛騎士なのだもの。リオンの敵はわたくしの敵。リオンが剣を抜くのはわたくしのためで、その戦いはわたくしの敵を排除するためと決まっている。
つまりわたくしのためについた傷なのだから、わたくしが治療を施すのは真理なの。誰にも邪魔はさせないわ。
これはまだ幼かったわたくしの独占欲、子供同士の小さな約束。
その身を挺してわたくしを守ってくれるリオン。そのリオンを護るのはわたくしの魔法だと決めたの。
••✼••┈┈┈••✼••┈┈┈••✼••
茜色の空にぽつんと煌めく一番星がふと目について、寮へと戻る足が止まる。
「どうかしました?」
「……いま思い出したのだけど、先程の先輩の『色』を覚えていて?」
「少々珍しい金髪だったかと」
「それなら、皇子殿下が傍に置くようになったと噂の光属性持ちの女生徒の特徴は覚えているかしら?」
「あー、そういやそんなこと……金髪に水色でしたっけ?」
「えぇ。鮮やかな金色の髪にアクアブルーの瞳だったはずよ」
「……つまり彼女が?」
「そうだと思うわ。だからわたくし達のことを知っていたのかもしれないわね」
「お嬢様はその皇子サマと並ぶ次期皇妃候補ですもんねぇ」
不本意なことにね。こればかりは言葉には出さないけれど顔には出す。
皇家が欲してるのはわたくしの溢れる魔力のみ。そして魔力が多い人間は子供を成しにくく、『黒』であるわたくしは世継ぎに関して期待すらされていないのだから、愛だの恋だのは関係ない。
父の姉──わたくしにとっては伯母でもあるアイリスおばさまもそう。あの方は現皇帝レイナルド陛下の皇妃として蒼妃の名を賜っているが、ご本人の魔力が強すぎる故に御子に恵まれていない事実がある。
今さら候補者の1人2人増えたところで、わたくしの立場は揺らぎはしない。
古の時代より護り継がれてきた、“大いなる厄災”と呼ばれた黒きドラゴンの眠る封印。その強大な力を封じ込めるための魔法の維持には当然のように多くの魔力が必要となる。だからこそ初代皇帝に仕えたという3人の女性に準えて、代々3人の女性が皇妃として選ばれてきた。
ペリドット宮、碧妃──オーレリア様はルーカス皇子の母君。
エメラルド宮、翠妃──ソフィア様は皇女様を1人お生みになった後、女神様の下へと旅立たれたという。
そしてサファイア宮、蒼妃──アイリス様は後宮の女達のまとめ役であり事実上の第一妃、他国でいう皇后のようなもの。
そんなおばさまがソフィア様の遺された皇女様の後見となったことで、後継者争いが激化することを畏れて姪であるわたくしがルーカス皇子の皇妃候補に名を連ねている“裏”も実はあったりする。
皇妃の生まれがどの家門の者であっても、封印を担えるだけの豊富な魔力が無ければ意味がない。
豊穣の力とも言える木属性の魔法を使える血筋を絶対視し、保守的であったからこそ現在は爵位を伯爵に落とし、徐々に衰退しつつある『木』の家門。
対して我が『水』の家門は実力主義を謳い、あらゆる属性を取り入れてきた末に今の地位を維持できているのだから皮肉な話よね。
『紺』であるお父様が『白』だったお母様を迎えたのだって、濃くなりすぎた魔力色を薄めるためだったと聞いている。その結果『黒』が生まれたというのだからままならない。
そういう面では、魔力量を重視する皇家もまた比較的実力主義に近いのでしょうけれど、光の女神様を信仰する影響で多少金色至上主義的なところがあるのは否めない。まして稀有な光属性の持ち主ともなれば、どこかの家の養女にでも迎えてもらいさえすれば元が平民の孤児であっても後宮入りは難しいことでもない。
「いよいよライバル出現ってやつですね」
「誰に言ってるの」
「おやおや、眼中に無いとはさすがです」
ふはっと吹き出すように笑いつつも、感心を示してくるリオンにため息ひとつ。
まったくもってわざとらしい……わかっていて言っているのだから、本当に質が悪いわ。彼女がわたくしの好敵手になんてなるわけがないのにね。
高慢に、尊大に、傲慢に、他者を見下すような笑みはひどく簡単。わたくしがわたくしである限り、自らの手で誰かを蹴落とす必要も無いわ。ナイトレイ侯爵家の娘であるわたくしの持てる者としてのプライドは高くあるべきなのだから。
「でも、それにしては少し反応がおかしかったようだけれど」
「あれはたぶんお嬢様が怖かったのでは?」
「失礼ね。怖がられるようなことは何もしてないわよ」
「何もしてなくても、とてもこわぁいお顔をされてたではありませんか」
「あら、それを言うならあなただって彼女のことを睨んでいたわ」
「すみません。この顔は生まれつきです」
ほんっとにもう……それは少しズルくないかしら?そんなにもキリッとした顔で言われると返答に困ってしまうわ。