『白』という罪過
オレにとってロゼは──ローザマリア・ナイトレイという人間は、何者にも代え難い存在だ。
脳裏に焼き付いた最初の記憶にある夜空に浮かぶ紅い月のような瞳を持った女の子。だからお嬢様とはじめて出会ったときのこともよく覚えてる。旦那様に連れられたオレを見て、「もしかしてあなたまけんのせーれーさんね!」とキラキラの笑顔が向けられたんだ。
『水』の家門の分家、それも末端も末端で遠縁と呼ぶのも烏滸がましいほどで、強い魔法を使える魔力も無ければ金もない。ナイナイ尽くしのくせに見栄だけはある、それがオレの生家だった。つまり、一応はオレも貴族の血筋。だからホントはオレにも貴族姓ってやつがあるわけなのだが、興味は無い。
奴らは『白』でも女であれば子供を産む道具として高位貴族に売れたかもしれないのに、男のお前は穀潰しだの何だのと言い捨てて、まともな食事も与えてはくれなかった。幸いと言っていいかはわからないが、無賃金で働く奴隷を殺す気は無かったようで、ギリギリのとこでなんとか生きていられた程度。栄養失調でガリガリで、まるでスラムのガキのように飢えた目をしていた子供。それが昔のオレだった。
あれは10年以上前の冬の日。ただでさえ不作の年に魔獣による被害が多発した。領民では対処できないほどの大型の魔獣。そこで魔獣退治にと現れたのが旦那様が率いるラズライト騎士団だった。
幼いながらもその凛とした姿に憧れて、こんな場所にいるよりも彼らについて行きたいと思ったのがオレの転機。
手伝いでもなんでもするからと仲間にしてほしいと直談判した。今だから思う。だいぶ命知らずだったな……って
でも後悔はしていない。そうしなければオレはあのまま、生きる理由も何も得られない“無能”なまま死んでた。
あの時、オレを拾い上げてくれたのが旦那様──アルヴィス・ナイトレイ。
このアクアフォレストにおいて“最優”と名高いラズライト騎士団を有する『水』の家門の若き当主。
そして水属性の魔剣の中でも最強と謳われる『氷晶剣』の使い手。
その『氷晶剣』が名前の通り透明感のある美しい魔剣であり、それと似た色を持つオレが旦那様の横にいるのを見た幼いお嬢様の思い込み。力のある魔剣には精霊が宿るという御伽噺を信じた、とても可愛いらしい勘違いから生まれたキラキラの幻想。そんな邂逅だった。
『白』のオレとは真逆の『黒』
何色も持たない『白』
全ての色を持つ『黒』
異端の両極
魔法が全てのこの世界で、魔力無しの象徴たる銀髪を、剣のようだと大輪の花のような笑顔で咲ってくれたロゼ。世界に疎まれたオレの『色』を綺麗だと言ってくれた可愛い人。差し伸べられた手に重ねた右手はオレの運命だった。
その日は確か皇子や皇女と同じくらいの年齢の貴族子女が招かれてのお茶会で、はじめての皇宮に緊張と期待でキラキラと輝いていたロゼ。皇都のお屋敷で留守番のオレに「どれくらい素敵なところだったか教えてあげるわね!」とくだされた一方的な約束が果たされることはなかった。
険しい顔の旦那様の腕に抱かれて、はらはらと静かに涙を流して帰ってきたロゼ。御付きで行った人たちの誰も何があったのか教えてくれず、ただその場所でお嬢様が酷く傷つけられたことだけが知れた。
何でも無いのだと痛々しい笑顔を浮かべるロゼ。それがはじめて見たお嬢様の嘘つきの仮面。
何もできない自分が悔しくて、優しいお嬢様を護れる力が欲しくて、またキラキラの笑顔のロゼが見たくて、はじめて出逢ったときの勘違いを本物にするために鍛錬を繰り返した。
最初は止めるばかりだった兄姉のような騎士団の仲間達は、オレの覚悟を知ってからはとても頼もしい協力者だった。
剣ごと吹き飛ばされても立ち上がって、剣だけを弾き飛ばされても粘り強く。蹴り飛ばされても起き上がったし、がむしゃらに素振りをしていたら手の豆が潰れて何も持てなくなったこともある。
真剣勝負でやり過ぎてボロボロになったオレを、泣きそうな顔で治療をしてくれたお嬢様には申し訳ない気持ちもあったが、やめてとは言われなかった。オレの夢を応援して、その努力に見合うくらいの立派なレディになるのだと笑みを浮かべていた。でも、それはオレの見たいキラキラじゃなかった。
作り笑いはダメだ。本物が良い。
何度も、何度も、血反吐を吐くほどの努力をした。
動機は不純、それでもそれがオレの真実だった。
この学園に通わせてもらえてるのだって、全ては旦那様のご厚意からだ。どうしてこれほどよくしてもらえてるのかはいまだによくわからない。もしかしたら今は亡き奥様──お嬢様の母親がオレと同じ『白』だったのも無関係ではないのかもしれないが、それだけが理由とも思えない。まぁ、全ては旦那様が溺愛するお嬢様のためと思えば納得もしてたりする。
そう、溺愛だ。過保護を通り越してるとさえ思う。
幸か不幸か、愛情表現が不器用で口下手だからお嬢様本人にはほとんどまったく伝わっていないが……
旦那様から騎士としての叙任を受けた時、オレの剣はお嬢様へと捧げられた。おかげで名実ともに“ロゼの剣”を名乗れる。
本来なら学園卒業後にでも良かったところを、オレがお嬢様の護衛騎士としていられるようにわざわざ入学前に儀式をさせてくれたんだ。ただの従者であったなら、きっと生徒ではなく聴講生としてしか学園にはいられなかった。それが実情
この身に魔力が無いのは事実だが、完全に魔術が使えないわけではない。例えば水属性の人間であっても、他属性を有する魔法石、もしくは他属性の魔力を込めた魔石を使えば、水属性の魔術でなくとも発動する。オレの場合は属性という指向性を持たないクズ魔石があれば魔術は使える。
身も蓋もないことを言えば、使える魔法は生まれ持った才能だけど、使える魔術は財力次第ってわけ。
まぁ、お嬢様ほど規格外の魔力を持った人の傍では、子供用の水鉄砲と荘厳な滝くらいの差があるんだが……
そんなんだからオレが使う魔術は基本的に身体能力強化なんかの身体の内側に作用する魔術だけ
飛行術は箒に魔力を流すという性質上、身体の内側ではなく外界に作用させ続ける必要がある。基礎科目の1つではあるが、魔力の無いオレは免除。クズ魔石があればやれないこともないんだろうが、もしもはある。流石に危険だと判断された。代わりに騎士コースの生徒達と共に走り込み。
バテているとはいかないまでも呼吸の乱れた周囲の1年生達。教師やお嬢様の目から離れたところでは「君はこの学園に相応しくない」「“無能”のくせに」「お前なんか役に立つのか?」「あまりの辛さに泣き出すなよ」「剣なんかより肉盾になる練習してた方がよくないか?」と、ずいぶん色々なことを豪語してくれていたが、コイツラ案外大した事ないんだな。口先だけの木偶
護衛騎士として選ばれた以上、この程度で息を切らしていたら話にならない。数人がオレを信じられないような目で見ているが、それはどんな意味でだろうな?
『白』で“無能”のオレが平然としているからか?あるいは見た目にわかるほどの筋肉がないのにスタミナがあるからか?悪かったな。
『白』=魔力無し=魔法が使えない。だから“無能”
そんな凝り固まった思想、固定観念や偏見と呼ばれるものの類。魔法が使えなくても、身体を鍛えちゃいけないなんて決まりは無いのにな。
まぁ、そういう思考すらも奪うのが今の社会の在り方だ。思想はそう簡単には変わらない。
ふと、どこかから聞こえてきた誰かの悲鳴。すかさず目視でお嬢様の位置を確認する。こういう時、唯1人の黒髪は見つけやすくて助かる。誰かが箒を暴走させたみたいだが、お嬢様が関与していないならオレにも関係ない。そう思って次に指示されていた腕立て伏せを行おうと掌を地面につけた時、目の前に影ができる。
「おい、お前!そこの白いの!!このオレサマを無視してんじゃねーぞ!!」
突然の怒鳴り声。こういう輩は無視してもしなくても面倒臭い。ちらっと視線を向ければ、数人の男達を引き連れたガタイの良いニンジンみたいな髪色の男。
「『白』のくせにこの学園にいるなんて、いつからここは“無能”にまでボランティアするようになったんだろうなァ?」
「…………」
「息が上がってないところを見ると少しはやるらしいが、ここは魔法が使えないヤツがいるところじゃねェんだよ。あの“災厄の化身”にどうやって取り入ったのかは知らないが、結局は顔だろ?そのお綺麗な面ァ傷つけられたくなきゃさっさとこの学園から失せやがれ!」
嘲笑うかのように吐き捨てられた言葉、同調する周囲。言い切った!とばかりの自慢気なその態度。
まるで定番、お決まりの台詞に、わざとらしくため息をひとつ。ぱんぱんと手に着いた土を払って対峙する。
オレのことだけでなくお嬢様まで馬鹿にされるなら、黙っていられるわけもない。
平穏な学園生活なんて夢のまた夢。せめて正当防衛が成り立つようにニンジン頭を煽って手を出させるかと口を開いた瞬間、足元に木刀が投げられた。
なるほど……最初からその気だったわけか。それならそれで受けて立とう。
「ヘッ。文句があるならかかってこいよ!!どうせ何もできないんだろうけどな!」
まだオレが木刀を拾っていないにも関わらず、先手必勝とばかりに振り下ろされた模造刀。騎士道精神が聞いて呆れる。
すかさず身を屈めて足払いをかけ、盛大に転がす。立ち上がろうとしたってもう遅い。拾った木刀を喉元に突きつければ、勝負有りだ。
「まだやるか?せめて喧嘩を売る相手の実力くらい把握しておくんだな」
力の差は歴然。これ以上続けても無意味でしか無い。
静まりかえる周囲、先ほどまでの嘲りの視線は驚愕へと変わっていた。
軽く見回してから木刀を投げ返したのは、慢心していたわけでも、警戒を怠ったわけでもない。ただ相手もまた騎士を目指す人間だからと、その精神性を過信してしまっていた。
「ふっざけんなよ!!!」
瞬間、怒号と共に放たれた熱を帯びた魔力の波。周囲へと浮かぶオレンジ色の構築式。
ヤバいと思った時にはもう、既にドォオンと鳴り響く爆発音に飲まれていた。