最初の講義
寮での生活は、想像していたよりも難しいものでもなかった。それは事前に身の回りを世話をしてくれていた侍女がいなくても、自分でできるように準備しておいたことが理由としてあげられるだろう。
たとえば、今までであれば背中にファスナーのついたワンピースを着ていたところを、ブラウスとロングスカートにしたり。オーバースカートで手軽に華やかさをプラスしたり。学園指定のローブが淡い水色なので、瑠璃紺のベストを着ることでスッキリした印象を演出したり。メイクの仕方や直し方、髪のまとめ方だって練習したわ。みすぼらしい姿になんて見せられるわけがないのだから当たり前でしょう?
他の学生をお手伝いとして雇おうとする人もいるみたいだけど、わたくしには不要だわ。
「どうかしら?」
「とてもよくお似合いです。スタイルが良くて羨ましいですわ」
「ありがとうございます。セレナ様も素敵だわ。リボンの色をローブに合わせたのですね」
「ふふ、ありがとうございます」
採寸をしたり、衣装合わせをしたことはあれど、それは家の者や馴染の店の者の前での話。最初から最後まで全てを自分自身で身支度をするのもまだまだ2度目ということもあって、どうしても他者の忌憚の無い意見が欲しくなる。
きっとそれは同室になった彼女も同様。
赤みのある茶髪にサファイアのような瞳の彼女は、緩やかなウェーブをえがく髪につけられたリボンのカチューシャが可愛らしい。
──セレナと申します。家名は省略させてくださいな
そんな風にサラリと挨拶をしてくれた彼女からは『黒』に対する忌避感を感じられなかった。
ふんわりと表現するのが適切な笑顔、和やかさの中にしっかりとした芯のある誠実さを見せてくれたセレナ様。彼女と同室だというのなら、特に問題なく過ごせそうで一安心。
これでも少し心配だったの。家格と魔力の差があまり無いように配慮はなされても、最終的にはランダムに振り分けられると聞いていたから。家が敵対しているような相手ならばともかくとして、何かしたわけでもないのに怯えられ続けるって疲れるもの。あまりにも酷いようなら部屋変えの打診も検討しなければならないと思っていたくらい。
残念ながらクラスは一緒ではないようだけれど、そのくらいの距離感が理想的なのかもしれないわ。
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入学式の翌日からはじまる講義。その記念すべき最初は──なんて勿体つけたような言い方をしたところで、この光景が変わるわけではないわね。
今日はまだ講義というよりは学年約150人を大講義室に集めてのオリエンテーション。
これからお世話になる先生方の紹介からはじまり、次に各教科の概要、選択科目等ではどのようなことを学べるのかの説明がなされた。
そのすべてを、わたくしは一番後ろの席で眺めるように見ていた。不真面目だなんて言われると困ってしまうけれど、よく考えてほしいの。怖いものは見えなければ無いものと同じだということを。わざわざ他者の視界に入って煩わしい思いをしたくないとも言うわね。
「選択授業ねぇ。リオネルは剣術の一択でしょう?」
「ああ、いえ。オレは魔法道具の方にしようかと」
「あら、そうなの?」
「お嬢様も魔法道具ですよね?」
「そうだけど……そこまでわたくしに合わせなくても良いのよ?講義時間は被ってはいないわ」
「ありがとうございます。ですが、ここで学ぶことは無いので必要ありません。鍛錬であれば1人でもできます」
「……もしも受けたい講義を我慢して傍にいるのだと言うのなら、あなたを生徒として入学させた意味がないことも理解しているのでしょう?」
「もちろん」
「それならいいのだけど」
あまりにもはっきりとした物言い。釈然としないなにかを感じはするけれど、それ以上言及することをやめた。とくに嘘があるようにも見受けられなかったから。
後にこの何気ない会話が、厄介な騒動の火種になると気付けなかったことを、わたくしは後悔することになる。
「では学生章を配布する!呼ばれた者から速やかに来るように」
少しの休憩を挟み、進行役の先生から告げられた言葉に多くの生徒がざわめき、男女問わず浮き足立っているのがわかる。
それもそのはず、学生章とは総合魔導学園『セレスブライト』の学生である証であり、使用されている透明な魔石を自身の魔力で染めるため世界に1つだけのものともいえる。魔力にはヒトそれぞれ固有の色と波長があり、似た色合いの魔石ができても、その模様までは決して同じになることはない。
学園指定のローブにつける飾りボタンになっており、誰が言い始めたのかはわからないけれど、心臓や心を意味するものとして、卒業式の日にこの学生章を贈ることで相手に永遠を誓うなんていうロマンチックなアイテムでもある。家を絡めなくて良い学生時代だからこその友情や、身分違い故の秘匿された恋を示すものでもあった。
いくら紳士たれ、淑女たれと教えられていても、こういうのは好きな人は好きなもの。わたくし自身も憧れる気持ちが無いとはいえない。
名前を呼ばれ立ち上がり、壇上へと赴く。
遮魔布と呼ばれる魔力を遮断する布で包まれた中から、ひとつを手に取り魔法陣の中へと入る。
布から取り出した魔石に、指先からポタリと血を1滴垂らすと反応がはじまる。わたくしの場合は黒い炎だったため、見てしまった女生徒から引きつったような悲鳴があがった。
ここで驚いて取り落とすようなことがあればやり直しとなってしまうが、そんな失態は犯さない。
しばらくしてぶわりと溢れていた反応が収まると、光の加減でほんのり緋色を宿してはいるものの予想通りに黒く染まった魔石。まるでマグマからできたといわれるオブシディアンの様で、あまりにもわたくしらしくて、ついくふりとわらってしまった。
最後に特殊な薬液加工で色を固定してもらえば、わたくしだけの色をもった学生章の完成。
リオンの方も、魔法が使えなくても血に宿る微量の魔力は正しく反応してくれたらしい。カルセドニーのようにほんのり青みがかった半透明に染まった綺麗な魔石になっていた。
わたくしもいずれこの魔石を交換することができたりするのかしら?そう思う反面、リオンのそれが誰にも渡らないでほしいと願ってしまうの。ふふ、意地悪ね