警戒される街
いつものように窓から差し込む柔らかな光によって静かに照らされた生徒会室。そのあたたかな日差しとは反対に、今日の雰囲気は一段と重苦かった。
生徒会長用の机にはいくつもの書類が積み重なっており、それを睨むように眺めるルーカス・アクアフォレストの表情はひどく険しい。その傍らに立つユリウス・ファーマーは皇子の機嫌を損ねると知っていても、この件で口を閉ざすことはなく、普段通りの無表情で報告書を差し出しながら言葉を続ける。
「例の通り魔事件だが、昨夜も1人襲われたらしい」
「またか!?警邏隊はいったい何をやっているんだ!この私が学園にいるのに、そのすぐ外でこんな事件が起こるなんて……!」
不安と恐怖、そんなものよりも怒りの感情を抑えきれずにダンッと机を拳で殴りつけたルーカス。
この事件の被害自体の数はそれほど多くはないが、襲われた者の被害状況が深刻だ。まるで恨みがある者の犯行と同様の残酷さがある。そのくせ被害者達にはこれといった共通点は見つからないというのだからおかしな話。
金品を目的としたものでもないことは現場の状況からも明らかだった。被害者が魔法で記憶を消されている可能性も考慮して、その家族にも念の為に確認したが、これといって盗まれたものは無いという。
高齢者を狙った悪質な犯行。動機は不明、魔力痕も一切無く、フードを被っていたとかで人相も不明で打つ手がない。
犯行時刻も、夜に昼間にとバラバラであるため、外出の際は常に緊張感がつきまとう事態。緊急時の場合を除き、1人での外出は控えるように住民への警戒を呼びかけるのはもちろん、商人には身を守るための護符の製作を増やすように命じた。警邏隊を中心に任意の人々による見回りの強化もし、できうるだけの対策をとっていてもなお、犯人は捕まらない。
手がかりとなるのは比較的背が高く、若め男の声だったという被害者の証言のみ。そして身体強化魔術を使う見回り隊から逃げられるだけの身体能力の持ち主である点か。
皇族が学園への在学中、普段は代官が管理してくれる周辺一帯の土地を任せられるのは実践的な学習の一環でもある。
ルーカス皇子としても自身の統治する場で事件を起きるのも問題だが、それを解決できなければ資質問題に繋がり兼ねないのだ。だからこそ余計に焦りの色が浮かぶのだろう。
「警邏隊も見回りの強化をしているが、なかなか……。ただ犯行動機は被害者からの証言から、魔法の使えない者に対する怨恨の可能性が見えてきた」
「んん?まってくれユリウス。魔法の使えない者への恨みだと?魔力至上主義者達のような嫌悪や差別によるものではなくか??」
「あぁ、被害者の1人が[テメェらのような“無能”がオレサマを馬鹿にすんじゃねぇ!!]というような言葉で怒鳴られたのだそうだ。幸い、その被害者の御婦人は常に護符を身につけていたとのことで大事には至らなかった。お前の指示で近隣住民達にも警戒を促していたからな」
「つまり、自発魔力で護符を発動させられる程度には魔力があったということか?」
「あぁ。にも関わらず“無能”と蔑まれ襲われたんだ。護符があったとはいえ精神的苦痛は計り知れない。なにせ護符も万能ではないからな。いつ保護結界の効力が切れるかもわからない中、何度も斬りつけられたならば、その恐怖は早々拭えないだろう」
「それはそうだろうな。被害者には匿名で花束を送ろう。犯人は必ず捕まえるとメッセージも添えてくれ。少しでも慰めになればよいのだが……」
「わかった。手配しよう」
「頼む。そうなるとやはり気になるのは犯行動機だな。まさかだが魔力無しの『白』と老人の白髪を勘違いして……」
ルーカスが考え込むようにぶつぶつと呟くうち、何かが琴線に触れたらしいユリウスが難しい顔をする。
「どうした?そんなに険しい顔をして」
「あぁ、すまない。通り魔事件のそれとは別件ではあるんだが、嫌に気がかりかことがあってな」
「話せ。推測だろうが濡れ衣だろうが構うものか。冤罪にだけはしなければいい」
「そうだな」
ルーカスの言っていることは最もだと、ユリウスも肯定の意を示す。推論、憶測、考察、多くの可能性を考え、それを地道に潰していくからこそ最良の結果を得ることができるのだ。
「フラナガン家の三男のことは覚えているか?」
「もちろん。前代未聞の爆発騒ぎを犯して学園を追放された……っ!?!?」
まさか!?と、声に出さなくとも顔に現れまくった皇子の心情に、コクリと神妙な顔で頷く。
「監視の目を欺いて逃走していた。と」
「みィーつけタ」
「っ!?お下がりください!!」
深く被ったフードの裾はボロボロ、靴も泥で汚れていて、お世辞にも身なりが良いとは言えない。ユラユラとして不穏な足取り、その男の声音には狂気じみたものが宿っていた。
放たれた殺意の矛先が向かわぬように、咄嗟にお嬢様を自らの背に守り庇うのは、彼女の護衛騎士として当たり前のこと。
お嬢様自身もすかさず魔法障壁を展開する様は流石の一言。
本来、お嬢様へ向けられた攻撃であれば全自動でも対処するように指定している保護魔術のひとつ。それが発動しなかったとなれば狙いは間違いなくオレになるのだろう。
できればお嬢様には安全な場所にいてもらいたいところだが、それを聞いてくれる方ではないことはよぉく存じているため、何も言わない。
奴の手にある凶器はサバイバルナイフ。手入れのろくにされていないそれに付着した赤黒いナニカ。獣か何かの血であることを願いたいが、この状況ではそうでない可能性が高すぎる。
「何者だ。これ以上近づくというのならば斬る!」
表情は見えない。だが、唯一見える口元が薄ら笑いを浮かべているのだけはわかった。にやぁりと口角を上げながら、一歩一歩確実に間合いを詰めてくる輩に先制の意を込めて声を張る。
剣先を真っ直ぐに向けつつ、震えるように小刻みに揺らす。この儚げとも取られる見た目とも相まって、油断を誘うことくらい恥でもない。
相手には恐怖に怯えての行動と取れるだろう。もしくは真剣の重みに怯んでいるか。オレのように若い人間が実戦を経験していることが珍しいのだから。
本来の目的は大声を上げることでこの場の異様さを周囲に知らしめるためだ。見回りをしているという警邏隊に気づいてもらえれば尚良し。
「ハンッ、んなモノ恐くもねェーよ!!」
吐き捨てるような台詞。バサリと乱暴に取り払われたフード。その中から現れたニンジンのような色の髪。頬を痩けさせ、まぶたが落ち窪んだギラギラしい雰囲気の男の顔。その強い恨みの感情はどちらに向けられたものか。
これで瘴気にまみれていればリビングデッドの類ではないかと判断できそうなほどの毒々しさ。
「この顔に見覚えくらいあるだろう?なぁ!!!!」
「(誰だ……?)」
疑問符の後の一瞬の戸惑い。どこかで見たような気がするが、全く思い出せない。ポーカーフェイスのつもりがつい顔に出てしまったのだろう。相手の激昂を誘ってしまったのは失態。
ガキンッと振り下ろされたサバイバルナイフを己の剣で防ぐ。肉体強化により底上げされた瞬発力を、自らも身体能力強化の魔術を使うことで応戦する。パキリと魔力石がひとつ砕けたが、想定内だ。
「覚えてねェってか!?馬鹿にしやがって!!!」
そうは言われても、他人の顔を覚えるのは苦手だ。オレの仕事は護衛騎士であって社交は門外漢だと言い訳させてもらおう。
お嬢様ならもしかしたら……だが、相手の正体などどうでもいい。名のある家の者だろうと、襲撃者である時点で情は無用だ。