ブラック企業で反逆したら魔王に求婚されました
目を開けたら、そこは暗雲が立ち込めていた。
空の色は血のように赤く、稲妻も迸っている。
世にいう地獄のような景色だ。
その地面にどうやら私は寝ているらしい。
身体を起こして頭をかくと、なんか妙に手が硬い。
む、と思って手を見た瞬間、ギョッとした。
腕に鱗が少し生えているだけではなく、肌色は紫。
それで急に自分の体の構造が人間のそれではなく、悪魔、具体的にはサキュバスに近い感じになっていると理解できた。いや、頭に入ってきた、というべきか。
何故か目の前に置かれている鏡を見ると、全身紫のサキュバスがそこにいた。もっとも、よくいるタイプのサキュバスではなく、少し鱗が見え隠れしているが。それが今の自分なのだということも、なんとなくだがすんなりと理解できた。
人間と大きく違うのは、背中に悪魔の羽が生えているし、尻尾まであることだ。尻尾は細く、自分の意志で動かせた。ペチペチと音を立てて地面を叩くと、地面の感触も伝わってくる。
「目が覚めたか、元人間よ」
なんかやたら尊大な声が聞こえた。
鏡がどかされると、そこには玉座に座る龍がいた。
もっとも、頭だけ龍で人間のような手足はしっかりとあるのだが、まぁでかい。とにかくでかい。
見る限りでも身長四mはあるのではないかと思う。
全身に鱗が生え、背中には羽が生えている。
あ、魔王だと直感的にわかった。
ということは私はこの魔王に殺されるのだろうか。
そうとも思ったが特にそんな意志は眼の前の魔王からは感じられない。
むしろ何故か興味深く見入っている、といった雰囲気だ。
何故か、悪くないなと思った。
人間だった頃から人外のキャラというのは好きだったし、今目の前にいるのも存外見た目は悪くない。
それとも人間ではなくなっているからそう感じるのか、というのはわからないが。
「お前、私がお前を食うとでも考えていたか?」
図星だ。
そう思うと、滝のような汗が出てくる。
しかし、魔王はと言うと、愉快そうに高笑いをするだけだ。
「取って食おうとは思わん。だいたいお前はもう魔族だ。魔族は我らの同胞、同胞には我らは寛容だ。食おうなど考えぬ。人間や神ならば話は別だがな」
また魔王が高笑いをした。
思ったより悪い人、と言っていいかは分からないが、そこまで悪感情を私は抱かなかった。
「まだ状況が飲み込めぬ、といった顔をしているな、魔族となった元人間、いや、今の名はイリーナよ」
「イリーナ。それが私の名前ってことですね」
「そうだ。お前は死んで魔族として転生したのだ」
イリーナという名前もすぐさま頭にインプットされた。自分の名前は元からこうだったのではないかとなんとなく錯覚するが……いや、待て。
私は日本でOLとして働いていたはずだ。しかもきちんと人間だった。
なのにさっきしれっと目の前にいる魔王は、私は死んだと言った。
「……何を目を丸くしているのだ?」
「あのー、私死んだってどういうことです?」
「ああ、そのことか。イリーナ、お前の元いた、オフィスだったか、そこが火事になったのを覚えていないか?」
そう言われて考える。
思い出した。
働いていたオフィスで怒鳴り声が聞こえた後突然火事になって……それから……それから?
記憶はきれいさっぱりない。
ということはつまり。
「あの火事で私焼け死んだってことですね?」
「そうだ」
最期が焼死ってのもなんだか嫌だなぁと私は感じた。
いわゆるこれが異世界転生というやつなのだろう。
しかしこういうもののセオリーは人間に転生するのが筋ではないのか。
何故人外の何かに転生したのだ。それがちっともわからない。
「しかし、お前の職場はろくでもなかったな」
そう魔王が言って、思い出した。
人間だった時の職場に対して怒りが込み上げてくるのがよくわかった。
セクハラ、パワハラ、モラハラは上司からされまくり、カスハラもしまくって他人を嫌な顔にさせ、物品盗難や粉飾決算その他諸々のろくでもないことが横行しているという、悪事を挙げればキリがない程の無茶苦茶な職場だった。
いわゆるブラック企業、というやつだ。
給与の良さに惹かれて入ったが、実態はろくでもなく、すぐにでも逃げ出したかったが、何故か逃げ出そうという気力が起きなかった、妙な職場であった気がする。
「あー、ブラック企業に洗脳されてたのかなー」
「洗脳か。間違ってはいないな。我々以外の人外によるものだが」
何か今聞き捨てならないことを魔王が言った気がする。
人外による洗脳? どういうことだ?
「人間が人間を洗脳するんではなく?」
「そうだ。お前たちを扱き使っていた上司連中はほとんどが神の使い魔だ。その者達が発する念によってそこに所属している人間が出たいと思わせる意識を自然となくしていくのだ。万が一自殺者が出た場合は神がその魂を拾い、尖兵として使う。いわゆるブラック企業というのは、神の連中の兵力集めのための窓口に過ぎん」
「で、尖兵となった結果は?」
「様々な世界で神として出張する。そこで崇められれば人間はだいたい自分は徳があるから神になれたのだと思い込む。そうやって神の連中は現地でもどんどん兵力を増やすのだ。自分達もいいようにコマとして使われていることに気づかないうちに、な。我ら魔族はそれを討伐して回り、死んだ者の魂を冥界へと戻すことを目的としているのだ」
話を聞いて悪寒を感じた。やっている事自体はマルチ商法やカルト宗教のそれではないか。
神というがこれでは完全に悪役のそれだ。魔族のほうがよっぽどマシに思える。
だが、ふと感じるのだ。
こうやって義憤を感じるのも、自分が魔族になったバイアスが効いているためではないか、という考えだ。
存在としてはどっちもどっちで自分は洗脳されている、という考えも浮かぶ。
「私も洗脳されていないという保証は?」
「我が嫁にそんなことはしない」
一瞬頭が真っ白になった。
いや、今、聞き間違いでなければ確かにこの魔王我が嫁と言った。
え、私魔王と結婚するの? つかこれプロポーズってやつ?
人間のときには一度もされたことないのに魔族になった途端にこれってどういうことなの?
「我らは自由を望む。神のように手先として働かせて神の意のままに利用するその精神に我々は反逆している。イリーナ、お前の魂はあの企業の中で反逆の意志を感じた。だいたい、お前覚えていないのか? あの会社に火を放ったのは、お前だぞ。しかもお前以外誰も死んでいない」
そう言われて、ようやく思い出した。
確か理不尽に怒鳴られて、お局に殴られ、それでキレた私は休憩室にあったガスの元栓を破壊し、そして叫んだ。
こんな連中くたばってしまえ、と。
それで持っていたライターに火を付けたのだ。
燃え広がったのは一瞬。その後は何も覚えていない。
あの火災を起こしたのは、私だった。
それを思い出した瞬間、地面にへたり込んだ。
自分一人だけ死んだとはいえ、罪深いことをした。無関係の人間を巻き込んだのだ。
「私は……」
「後悔があるのはわかる。全ての人間が、いや魂が汚れも罪も起こさぬまま死ぬことはない。だが、あの洗脳されている状態で、誰も合法でも行動を起こさないことが不自然だと、お前は思わなかったか?」
「確かに……。労基署なりなんなり行けば一発なのに、誰もそれで動かなかった。それに、あの会社に行くと、まるで仕事を『している』ではなく『させられている』ようなそんな気が……まさかそれも」
「だいぶお前も深いところまでやられていたようだな。そうだ、考えさせないようにさせていたのだ。同時にお前が火を放った後、お前の記憶は人間界からは消えている。神はお前を神への反逆者として摘み取ろうとしたが、そのようなことは私が許さない。神より先回りしてお前の魂を回収して、魔族へと転生させたのだ。その反骨心を持つものを神の手先になどさせたくない。同時に、私はそれだけの反骨精神のある者ならば、我が伴侶としてふさわしいと感じたのだ。だから我が嫁よ、共に長い反逆の道を歩まぬか」
そう言われると、何故かスッキリした。
魔族として生きていくならば、それはそれで悪くない。
だいたい話を聞く限りで神が気に食わない。
ならばその神はボコるに限る。
私は立ち上がり、拳を前に突き出した。
「魔王! 上等です! 嫁だろうが何にでもなってやる! 神を徹底的にボコっていきましょう!」
魔王が高笑いをした。
「その意気だ、イリーナ。良かろう。全魔族へと宣言する。イリーナを我が嫁と正式に認め、そして、神への反逆を始める!」
瞬間、大地が揺れた。
歓声? いや、違う。これは、意志がそこら中から集まる、怒号にも似た何かだ。
人間でいたときよりよほど面白いことが起こりそうだ。
私にはそう思えた。
この宣言をきっかけに、魔族と神は戦を始める。
それは、未来永劫続く、果てなき戦いの始まりでもあった。
(了)