第九話 演習 一日目 その十
第四演習場の控室、忠陽は奏の治癒術を受けていた。頬にほんのりと優しい気持ちが入り込む。
「にしても、必要以上にヤラれたわね。あなた、二佐に恨み買うことでもしたの?」
「今日、初めて会ったんですよ? そんなのないですよ……」
忠陽はため息をつく。
「そんな落ち込むな。嫌でもあと六日はここに居なきゃいけないんだからな」
八雲が意地悪そうに笑う。
「それ、どんな拷問ですか……」
「今日始めて会ったんだったら、貴方に期待しているということね。良かったわねー。二佐って、興味ない人には何もしないから」
奏も意地悪そうな笑顔だった。
「僕はどっちかというと、関わりたくないんですけど」
「ごめんね、賀茂君……」
由美子は鞘夏と一緒に心配そうな顔をしていた。
「神宮さんが謝ることはないよ」
「そうそう。ここは九郎が余計なことを言わなければ良かったんだよ」
「九郎って先々代の漆黒?」
奏の問に八雲は頷く。
「それはまた大変な人に目をつけられたわね」
「その漆黒って何なんですか? 確かこの前、先生も言っていたよな……」
忠陽は八雲に聞いた。
「漆黒っていうのはウチでの役職みたいなもんだよ」
「あんた、説明下手ねー」
奏は呆れていた。
「漆黒というのは、祖父が爺やにつけた異名なの。それから、現当主の護衛担当筆頭を漆黒、戦闘担当筆頭を紅蓮としたの」
「さすが、妹ちゃん。そこの放蕩息子とは違うわ」
八雲は奏の言葉に不貞腐れた。
「現在、漆黒は空席なのよね?」
奏は由美子に質問をしていた。由美子は八雲を見ると、八雲は頷いていた。
「ええ。爺やの跡を継いだのは良子さんなんだけど、良子さんは祖父と喧嘩をして、神宮家を離れてしまったから」
「いいんだよ。あの陰険爺と一緒に居たら、性根まで腐っちまう」
「兄さん!」
忠陽はその光景を見て、笑っていた。
「まあ、どこの家にも何かしらの問題はあるってことよ。はい、治療は終わったわよ」
「ありがとうございます。治癒術も使えるんですね」
「ちょっとだけね。うちの隊の連中って、隊長に似て戦うことしか頭がないから自然とね」
「なんだよそれ。あんまり良い気がしないな」
「そう? そう受け取って貰えたなら嬉しいわ」
奏は八雲に満面な笑顔を向けていた。
八雲はその笑顔に焦っていた。
「あなたは月影よね? その、あの女と、親戚か、なにかなの?」
由美子は八雲と奏を交互に見ながら聞いた。
「あの女? あの女って、母さんのこと?」
「母さん? あの女って、誰かと結婚したの? え、でも、アイツ、いつ子供を産んだの? たしか兄さんと同じぐらい歳だったはずじゃあ……」
由美子は狼狽していた。
「ゆみ、何考えんだよ。妹だよ」
「妹?」
奏はようやく意味が分かり、ニンマリと笑う。
「あなた、面白いことを言うのね」
「ご、ごめんなさい。あなたを暁の里で見たことがなかったから……」
「ああ、その時は私、六道にいたから。だから、辰巳さんと知り合いってわけ」
「そ、そうなんだ」
「確かに、あなたの言う通りアイツの妹よ。文句ある?」
「別に文句はないけど、なんというか、そう見えないというか……」
「皆からそう言われるわ。私もアイツなんかと一緒にされた困るし」
「アイツ……今何をしてるの?」
「旅よ。くだらない旅をしてるのよ。……アイツはね、自分が悲劇のお姫様だとでも思ってるのよ」
「おい、奏」
「煩い! どう言おうと私の勝手でしょう!?」
奏は八雲を睨む。二人は言葉にはしなかったが、お互いに何か言い合いをしているようだった。
奏は不機嫌のまま、控室から出ていこうとすると、扉の前で伏見と鉢合わせる。
「どないしたんや?」
奏に声を掛ける伏見の声はいつもより優しいことに藤は気づいた。
「別に……何もない」
伏見は奏の頭に手を置いた。
「そうか……」
奏は伏見の手を弾いて、そのまま部屋から出ていった。
伏見は八雲を見た。
「八雲」
「俺は何もしてねえよ!」
伏見は由美子を見ると、後ろめたそうに視線を逸らすのが分かった。
「今度、奏ちゃんをイジメとったら、容赦せいへんで」
「か、片腕の男に負けるつもりはないぜ」
八雲は虚勢を張っていた。
「何言うとんのや。神宮の後ろ盾がない状態で、社会的に生きていけると、思うなや」
伏見から凄まじい殺気みたいなものを全員が感じた。だが、伏見の顔は爽やかな顔をしていた。
伏見が本気で怒った時は爽やかな笑顔になるのだとその場にいる全員が初めて知った。
「よ、よう、ボン。もう大丈夫なのか?」
「え、あ、うん。さっき月影さんに治癒術をしてもらってからね。流石だね、ぼ、僕も見習わないと、あははは」
「あんた、本当に大丈夫なの? あの女、結構しつこかったし、容赦なかったし……」
朝子が忠陽に近づく。
「大丈夫、と言うと嘘になるけど……」
忠陽は周りを見て、自然と笑顔になっていた。
「やれることはやってみるよ」
「あんたがそう言うなら、それ以上は言わないわ」
朝子は引き下がった。
「今日は、あと演習のみや。頑張りい」
「伏見先生、賀茂君は見学とはいかないんですか?」
「そりゃ、あの女次第やろう。八雲、どないや?」
「休ませるなら、もう止めさせてるよ。もう分かってんだろう? 良子さんの性格……。完全にお前らを追い詰める気だぜ」
忠陽たちはげんなりとした気分になった。
「大体、アイツのやり方、酷すぎよ。あんた達、兄妹で何とか言いなさいよ!」
朝子は八雲と由美子に強く当たる。
「私達の言葉を聞いてくれるなら、とっくにやってるわよ!」
由美子は朝子に反発した。
「止めや。そんなことで喧嘩すな……」
伏見は忠陽に近づく。
「忠陽くん、いけるか?」
忠陽は伏見の目を見た。サングラス越しでも見えるその眼差しが心配な目をしていて、安堵する。
「トーナメント戦の呪具のため、なんですよね?」
伏見は少し笑い、いつもの調子で肯定した。
「僕だけじゃない。皆だって嫌な思いをしてるんです。頑張ります」
「賀茂君……」
藤は心配そうな顔で忠陽を見ていた。