第九話 彼の地は彼杵、始まりの場所
序
秋津島空港は海辺の埋立地に作った狭い空港である。そのため、国際線はなく、国内のみのハブ空港として機能している。
首都の京の近くだというのに国内線しかないのは、皇王のお住まいであらせられる御所の頭上を航行するのが畏れ多いという理由もあるが、一番はこの国の体質であった。
大和皇国は海洋国家であるが、歴史上で他国との交流が閉鎖的な国であった。数百年前までは他国の交流を制限しており、また国内の島を渡る、他領主の領地に入る場合でも関所が設けられていた。この独特な閉鎖文化は地域の治安維持としての機能があり、異物を排除するとともに陰湿ないじめを助長させるものであった。その体質が異国人を京に直接降り立つことを拒絶していた。
忠陽と鞘夏は賀茂本邸から空港に着くと、搭乗手続きを行い、手荷物を預けた。検査場での危険物検査を受けて、通路に出ると、チケットに書いている十八番搭乗口へと向かう。搭乗ロ口ビーに着くと、二十席ぐらい並ぶ椅子が四列ぐらいあった。忠陽と鞘夏はそこで搭乗案内が来るまで座って待っていた。
これまでの道中、忠陽は鞘夏と会話らしい会話ができていなかった。「はい」か「いいえ」しかなく、忠陽の中では鞘夏との距離感があの夏祭り以前よりも遠い存在に感じた。
夏祭り、忠陽は鞘夏の唇を強引に奪ってしまった。忠陽は自分の心のままに鞘夏を求めてしまい、そして泣かせてしまった。その光景が今でも鮮明に残っていおり、彼女の顔を見るたびにあのときの顔が差し込んでくる。普段通りの彼女の顔に戻り、その無表情な綺麗な顔を見ると、忠陽の心の片隅には黒いドロドロと流れる何かが生まれる。しかし、忠陽は鞘夏の前で顔色を変えることはせず、それを詮索しないでどこかで追いやってしまう。
忠陽は折りを見て、言葉を掛けようとするも、実際に鞘夏を見ると、視線が唇にいき、あの夜の感触を思い出す。そうして、忠陽は顔を赤くし、話しかけるのを躊躇ってしまう。
時間は刻々と時過ぎる。
「陽様、喉はお乾きではありませんか?」
「えっ!? あっ、うん……」
不意をつかれ、忠陽は曖昧な返事をしてしまった。
「私が飲み物を買って参ります。何かご所望はありますか?」
「えっ! ……あー、お、お茶でいいよ……」
「畏まりました」
鞘夏は立ち上がり、ロビーの近くにある販売店の方へ歩いていった。
忠陽はため息をつく。無駄に意識し、まともに話せていない。家を出るとき、彼女が玄関の前にいたのがどんなに嬉しかった。その思いを率直にいうのが恥ずかしく、情けない。
情けなさを感じると、自然とまた、ため息をつく。
「なに、ため息ついてるのよ」
キャリーケースを引きながら、由美子が忠陽に近づく。
「あ、こんにちは、神宮さん」
「こんにちは、賀茂君。鞘夏は?」
「えっと……今、飲み物を買ってきて貰ってる……」
由美子は眉間にシワを寄せる。
「普通、そこは貴方が買ってくるものじゃない?」
「あ……そうだよ…ね……」
忠陽はため息をつく。
「なによ、行く前から? 何かあったの?」
「まあ、色々ね」
「もしかして、六道の奴らがあの後来たの?」
「違うよ。僕が情けないなと思って……」
「そんなの今に始まったことじゃないでしょう? そこが貴方らしいところじゃない」
「神宮さん、僕にトドメを刺さないでくれる?」
「そうね。貴方みたいなヘタレにかける言葉をもっと考えるべきだったわ」
「それ、わざとだよね?」
由美子は可愛らしく笑っていた。
忠陽はため息をつく。
由美子は忠陽の隣に座る
「なにか悩みごとがあるなら言いなさいよ。貴方が立てないくらいには助言を与えてあげるわ」
「神宮さんみたいなお嬢様には僕みたいな庶民の悩みは分からないさ」
「そう。残念だわ。せっかく、お嬢様の私が聞いてあげるのに」
「それも、わざとだよね?」
由美子はまた可愛らしく笑っていた。
忠陽はもの言いたげな目をしていた。
「ゆみ……さん……」
売店からお茶を買ってきた鞘夏は由美子に驚いていた。
「ごきげんよう、鞘夏」
由美子は手を振りながら笑顔で挨拶する。
鞘夏は会釈をして、忠陽を由美子と挟む形で反対の席に座る。
「昨日は、どうしたの? 家に居なかったみたいだけど」
「えっと……」
由美子の問いに鞘夏は焦っていた。
「どうかした?」
「いえ、その、散歩を……」
「散歩?」
「はい。たまには散歩をするといいと奥様が……」
「そう、なんだ……」
由美子は鞘夏が目を逸らしていることに気づいた。
鞘夏は慌ただしく、忠陽にお茶を渡す。
「神宮さん、今日は漆戸さんは?」
「居ないわよ」
「えっ! じゃあ、今日は一人で来たの!?」
「そうよ。私だって一人でここに来れるわよ」
「いや、でも、危ない人に攫われたりとか、襲われたりしたら、目も当てられないよ」
「どうせ、この前みたいに私が搭乗するまでに見張ってるわよ。それに飛行機もあらかた調べてるでしょうね」
「でも、あっちでは誰が護衛するの?」
「大丈夫よ、兄さんも居るし。それに彼杵は、京や天谷なんかより安全だから……」
由美子は急に言葉を止め、複雑な顔をしていた。
「神宮さん?」
「えっ?」
「どうかした?」
「ううん。なんでもないわ」
「彼杵は神無さんが育った場所なんだよね?」
「そうよ。でも、一条が開発したから昔の面影はないわ。それに兄さんが住んでた暁の里は森の奥だし、今でも一族以外で入れる人は限られてる」
「そうなんだ……」
「行っても、何もないわ。……何も」
由美子は遠い目でロビーから見える空の景色を見ていた。
搭乗のアナウンスが流れる。
三人は各々荷物を取り、飛行機へと乗り込む。
由美子と鞘夏に続く形で忠陽は搭乗し、座席の前で忠陽は由美子の策略に気づいた。
由美子は鞘夏を窓側の席に押し込め、忠陽を通路側に追いやり、自分はその間に入る。
それに気づいた由美子は小悪魔のような顔をしていた。
「どうしたの、賀茂くん?」
「別に。案外、神宮さんは人が悪いと思っただけさ」
忠陽はムッとした顔をしていた。
「あら、知らなかった? 私、貴方には意地悪だから」
「そうかい。それは僕を信頼してくれてると思っておくよ」
「苦しゅうない」
「僕は君の使用人じゃない」
忠陽は由美子の頭に優しくチョップを入れる。
「痛い! 鞘夏ぁ、賀茂くんが叩いたぁ〜」
由美子は鞘夏に甘えていた。
鞘夏は二人のやり取りに苦笑いしていた。