第八話 朝曇 身を焦がし 下心を知る 陽射しかな 其の十三
昼が過ぎ、鞘夏を探すも見つからなかった。フミに聞くも、今日は仕事を休ませているということだった。
忠陽は鞘夏の部屋の前まで行く。扉の前でノックしようとすると、心臓の音が跳ね上がり、ノックするのを止めた。鞘夏まであと一歩なのに、昨日の光景が鮮明に浮かび上がる。忠陽は自分に彼女に謝りに来たのではないかと言い聞かせ、手を無理やり動かす。
鞘夏の部屋の扉をノックするも返事がなかった。忠陽は中に入ることを告げ、扉のノブを回すと、鍵がかかっておらず、簡単に開いた。しかし、中には誰も居なかった。
その後、家中を探しても鞘夏は居なかった。忠陽はサロンに行き、麻美に鞘夏の居場所を尋ねると、今日は一日、外出をさせていると言った。夜には帰ってくるようには伝えているから、戻ってきたら話しなさいと付け加えられた。
恐らく、このことも母の想定済みなのかもしれないと思うと、忠陽は少し母に腹が立つ。
「あの子にも、貴方にも必要な時間よ」
そう言われると、大人しく引き下がることしかできなかった。
忠陽はフミに鞘夏が戻ってきたら教えてくれと言い、自室で待つことにした。
自室に待って、課題の残りに手をつけるも、鞘夏のことを思うと集中できない。時計を見ると、まだフミに言って、十分も経っていなかった。その時間の遅さに忠陽は愕然とした。
部屋の扉をノックする音がした。
忠陽は椅子から立ち上がると、フミの声がした。
「坊っちゃん、少しよろしいでしょうか?」
忠陽は大きな息を吐き、肩を落とした。
「どうしたんだい、フミさん?」
失礼しますと中に入ってきたフミは怪訝そうな顔をしていた。
「坊っちゃん、坊っちゃんにお友達と名乗る者が来ております……」
「ヒロくん?」
「いえ、私も初めて見る人です」
「誰だろう?」
「天谷から来たと言っていましたが、どうも訛が京訛でして、先日の先生みたいな……」
「先生じゃないんでしょう?」
「はい。だというのに、遠慮がないと言うか、ズカズカと中に入り、客間に居座ってしまいました」
忠陽が思い浮かべた人物はそういうことはするだろうが、京訛で話さない。
「わかった。とりあえず会ってみるよ」
「ありがとうございます。お茶はどう致しますか?」
「いや、いらない。そんな失礼な客には帰ってもらうよ」
「はい……」
「でも、フミさん。どうして中に入ることを許したですか?」
「それが私も分からないです。気がついたら……」
忠陽はそれで頭が晴れ、目つきが変わる。
「坊っちゃん? どうか致しましたか?」
「フミさん、今日、鏡華は居るの?」
「いえ、お出かけをしております」
「今から神宮さんに電話して、すぐに母さんと一緒に神宮さんの所へ行くんだ。鞘夏さんも一緒に……」
「坊っちゃん……」
「早く!」
その気迫に圧倒され、フミはすぐに部屋から出ていった。
忠陽はキャリーバックに入れた呪符と守り刀を取り出し、客間へと向かった。
*
フミは忠陽に言われた通り、居間の近くにある電話に行き、電話帳を取り出し、昔、神宮家の使用人宛に電話していた番号を見つけた。それをフミは丁寧に入れていく。
呼び出し音が鳴ると、息を呑みながら待っていた。
「はい、神宮です」
電話に出たのは一度会ったことのある使用人だった。
「あー、あの、私、賀茂家の使用人のフミと申します」
「あら、フミさん。お元気でしたか?」
「えっ、はい。す、すいません。神宮由美子様は居られますか?」
「由美子様ですか? 急に突然どうしたの?」
「坊っちゃん、忠陽様から言伝がありまして……」
「ごめんなさい。今、お電話されているのは使用人室ですから、そういったお電話は……」
「そこを何とかお願い致します……」
「……分かったわ。でも、フミさん。今、由美子様はお務めをなされておりまして、帰ってくるのは夜です。言伝をお預かりいたしますが……。フミさん、何かあったの?」
「私もよくわからないのですが、忠陽様が今からそちらにご厄介になるようにと仰っていまして。私が何か良からぬ者を通したみたいで……」
「……。フミさん、落ち着いて。奥様にこのことをお話致します。少しお待ちになって」
電話の先で受話器が置かれると、フミはそこでやっと深呼吸をすることができた。
その慌ただしい様子を見に来たのか、麻美が顔を覗かせた。
「どうしたの、フミ?」
電話を捨てて、フミは麻美に抱きつく。
「お、お、奥様。坊っちゃんから、坊っちゃんから……」
その様子を見て、麻美はフミを落ちかせようとした。
「フミ、落ち着きなさい。まずは深呼吸して」
麻美は自ら深呼吸しながら、フミに同じことをするように促す。フミは同じように深呼吸をする。
「はい、ありがとう。で、何があったの?」
「私が変な客を屋敷内に入れたみたいで、坊っちゃんから神宮様のところに逃げるようにと!」
「あら、それは大変ね……」
「奥様!」
「分かってるわ。でも、電話をしているのに手を放しては相手に失礼よ。誰に電話しているの?」
「神宮様です」
「そう。なら、私に代わりなさい」
「ですが……」
受話器からはもしもしと言う声が聞こえてきた。
「フミ、代わりなさい」
フミは恐る恐る受話器を麻美に渡す。
受話器から盛大な声でもしもしと言う声が聞こえる。麻美はその受話器を耳に付け、鼓膜が破れそうなくらいの音量が入ってきた。
「もしもし!」
「聞こえているわ……。そんなに怒鳴らなくても良いじゃない……」
「麻美……」
「もう相変わらずなんだから、寿子は」
「何言っているの!? そっちは大丈夫なの!?」
「大丈夫よ。まだ、何も起きてないもの」
「良からぬ輩が侵入しているのでしょう? 今すぐそっちにこちらの人間を向かわせるから」
「そんな事しなくていいわ。忠陽さんならやってくれるわよ」
「何言ってるの! どうして貴方は、変なときにそう楽観的なのよ!」
「寿子。これは私達の問題よ。貴方に力を借りるまでもないわ……」
「バカアァァァァl!」
受話器が壊れそうなくらいの音量が鳴り響いたため、麻美は電話を遠ざけた。
「何よ、その強がり! アンタはいつもそう! 助けて欲しい時は助けてって言えばいいのよ! その性格、アンタの旦那と結婚してからさらに磨きがかかったわね! あの根暗な性格がアンタの性格を増長させたに決まってる! いい、アンタになんて言われようと私が行くから! ふざけるな、このスカポンタン!」
受話器が壊れるような音がなり、終話音がかすかに聞こえていた。
「あの……奥様……」
フミは申し訳無さそうにしていた。
「いいのよ、フミ。あれは言っても治らない不治の病よ」
「ですが……」
「それに、まだ何も起こっていないわ。忠陽さんが上手くやってるのよ」
「はい……」
「だけど、お客様におもてなしは必要よね。ちょうど良いわ、良いお塩があったわね。それを持って、相手が出てくるのを待っていましょう」
「奥様!」
「フミ、こういうときでも余裕は必要よ。もしものときにね」
「奥様……」




