第七話 誰そ彼、輝くは天と地と、祓い清め給ふは弓の姫 其の二十
立ち上がる忠陽の顔つきは普段とは違い、不敵に口角を上げ、相手を見下すように妖魔を睨んでいた。
「陰様……」
忠陰は背後に六つの青い炎を立ち昇らせた。青い炎の形態を大きな火球にさせる。
忠陰がその顔を覗かせると、まず三つ火球が放たれる。放たれた火球は妖魔へ走った。
妖魔は手首の痛みを振り払い、火球から逃げるように距離を取る。しかし、火球は妖魔を追尾した。
更には忠陰がもう三つの火球が放ち、妖魔とは別の方向へ走った。
先行で追ってくる火球は空中へと逃げる妖魔を確実に追い詰める。
妖魔は家の塀や屋根を使い、一つずつ消していくが、ちょうど次の家に逃げようとした瞬間に忠陰の待ち受けに遭遇する。
「逃げられるかよ、バーカ」
忠陰は手刀を振り下ろし、風の刃で妖魔の足を切り払った。
妖魔は鳴き叫ぶ。
鞘夏は忠陰を追いつき、後ろに身を潜める。
「おい、鞘夏。コイツがお前を泣かせたのか?」
「はい……」
忠陰は鞘夏の頬を引っ張ったく。鞘夏の頬に青い血がついた。
「てめえは弱んだから、引っ込んでろって、いつも言ってただろ!」
「申し訳ございません」
忠陰は鼻であしらい、妖魔を見る。妖魔は手足を再生させていた。
「おい、化物。てめえ、その身を人間にまで落として、なんで生きてる?」
「キサマに言う必要はない」
「ははーん、おおかた居場所を追われたか? 残念だったな、人間様に追い出されて。所詮、キサマらはただの化物なんだよ」
妖魔は奥歯を強く噛みしめる。
「図星かよ。笑えるな! そんなてめえは消えて当然って訳だ! せいぜい、俺を楽しませろ! それが俺のモノに手を出した報いだ!」
忠陰は笑いながら、無数の火球を作り出し、放った。
「この体、軽いぜ。あのクソ教師の仕業か?」
喜び、猛り狂う忠陰は妖魔の動きを止めると、一瞬にして妖魔に近づき、両手を掴み、握りつぶす。そのまま、妖魔の胸に蹴りをいれ、無理矢理肩から腕を引きちぎった。
妖魔の絶叫が茜色の空に走る。
忠陰は妖魔に歩きながら近づく。夕日で忠陰の顔は見えない。その影で映る像は悪魔に近い。人がこの瞬間をみれば忠陰を妖魔と指すに違いなかった。
忠陰は強者のように笑いながら、妖魔に顔を近づけ、囁く。
「何ビビってんだよ。化物に成れよ。人間をもっと憎め、恨め。どうした? 俺を殺したいんじゃないのか? 欲望のままに従え、お前らはそういう生き物だ」
忠陰はそう言い終えると妖魔の目を薙ぎ払った。
更に妖魔は叫ぶ。忠陰は笑い、その二つ声が地平線に輝く夕闇の境界に飲み込まれる。
妖魔の声がうめき声に変わった。
「やっと、本気になったのかよ……」
うめき声は発狂した音になり、妖魔の姿、形を変える。四つん這いになり、長い尾を一本。体は黒い影に覆われ、毛のように逆立つ。鋭い爪牙はさらに危険性をはらんだものだった。ただ、欲望に身を任せ、うちに荒ぶる憎悪を解き放った化物。
忠陰は狂楽しながら、相手を迎え撃つ。
化物は爪を振り下ろす。すると、空間を割るように、壁と建物を切り裂いた。建物は縦に割れ、その割れ目から崩れ去る。
忠陰は周りにお構いなしに炎を作り出し、化物に放つ。化物はその炎に焼かれ、喚くが、その痛みなど関係なしに忠陰に攻撃をする。
「忠陰様……」
鞘夏は忠陰に恐る恐る手を伸ばすも、その手を胸に引き下げた。
「鞘夏!」
由美子が鞘夏のもとに駆けつける。鞘夏は由美子に背を向ける。
「どうしたの? どこかやられたの?」
「いえ……」
由美子は忠陰と妖魔の戦った後を見る。
「ひどい……」
「私のせいです……」
「違うわ。貴方のせいじゃない」
「私が消えてほしいって願ったから……」
由美子は忠陰の好戦的な顔をを見ると、その顔は忠陽の顔ではなく、もう一人の人格だということを直感した。そして、妖魔の姿、それを見て由美子は心臓が一瞬だけ止まる。化物と成り果てた姿、それが荒魂となった姿だと理解した。
「賀茂君、止めなさい! この街に災いをもたらすつもり!?」
忠陰は手に雷鳴を走らせ、化物を穿つ。穿たれた化物は高電流が体を全身に流れ、その体を揺らした。揺れながら、尾を地面に突き刺す。すると、化物に流れていた雷は尾を通して、地面に流れた。
「キサマ、頭が良いな……」
化物から白い煙が立ち昇る。だが、化物は牙を見せ、構える。
「そうでなくてはな!」
二人が戦っている間に、由美子は弓を引く。
「隼!」
矢は忠陰と化物の間を音速のスピードで割って入る。それによって、両者は由美子へ視線を向ける。
由美子は次の弓を引いていた。
「陣風」
弦音が鳴り響き、急激に吹き荒れる風が生まれ、化物を遠くへと吹き飛ばした。
「このクソアマ! 邪魔すんな!」
忠陰は由美子を睨む。由美子は負けじと睨み返し、忠陰へと近づく。
近づく由美子に忠陰は雷撃を与えようとするも、由美子は弓を引き、雷撃を霧散させた。忠陰は再度、雷撃を作るも、すぐに由美子に霧散させられる。
由美子は忠陰に近づくと、忠陰の頬を思いっきり引っ叩いた。
忠陰は自分が何をされたのか分からず、固まってしまった。
「あなたは一体何をしているの!」
忠陰は頬に手を当てる。
「この街に壊して、何がしたいのよ!」
「このアマ!」
由美子は逆の頬を手の甲で叩いた。あまりの速さと強さに忠陰はよろけた。
「鞘夏を悲しませるな!」
忠陰は由美子に殴りかかろうとすると、宙に浮く感覚に襲われ、そのまま地面に叩きつけられた。
「忠陰様!」
鞘夏が忠陰に近寄り、体を起こそうとする。その介抱を除けて、鞘夏を押し倒す。
忠陰は由美子に襲いかかるも、直線的な動きを由美子にすぐ読まれ、また投げ飛ばされた。再度立ち上がろうとしたとき、鞘夏に腕を掴まれた。
「お止めください! 私はもう無事です」
「離しやがれ!」
忠陰はその手を振りほどこうとする。
「陰様、お願いです。……私の、私の友人を傷つけないでください……」
忠陰は動きを止めた。ゆっくりと鞘夏見ると、鞘夏は視線を外していたが、自分の手を強く握っていることに気がついた。
「お前……」
忠陰は鞘夏を睨みつける。
「俺を裏切るつもりか!」
鞘夏はその言葉で矢が刺さる思いをした。だが、その時の鞘夏はいつもの彼女ではなかった。ただ陰の言葉に怯えつつも、何かを言わんとしていた。
「私は、私は……。――私は、陽くんも、陰くんも裏切るつもりなんてない!」
鞘夏は振り絞る。
「あなた達が、私にとって大切な人であるように、神宮さんは……神宮さんは……こんな私を友達って言ってくれた人のなの。だから……だから……」
鞘夏の目から涙が流れ、嗚咽が混じった。泣きじゃくる少女を忠陰はただ見ていた。
化物のけたたましい鳴き声が聞こえる。
由美子は声の方向を見ると、ゆっくりと涎を垂らしながらこちらへ近づく化物が居た。
「鞘夏、ここから逃げるわよ。兄さんたちのところへ行けば安全だから」
由美子は鞘夏に手を差し出す。その手を忠陽は跳ね除けた。由美子は忠陰を睨むも、忠陰は鞘夏だけを見ていた。
「鞘夏……。今のお前の願いはなんだ?」
鞘夏は泣きながら願った。
「あの化物に、消えて、ほしい……」
「それはもう願っただろう」
「神宮、さんと、仲良く、して、ほしい……」
由美子は眉をひそめる。
「分かった。俺は、お前に泣き止んでほしい」
鞘夏は「うん」と頷き、涙を拭う。
「おい、女。お前の名前は?」
由美子は咄嗟の忠陰の質問に戸惑った。
「名前は何だ?」
「由美子……」
「なら、ゆみだな」
「えっ?」
「子はいらないんだろう?」
「ええ、そうよ」
由美子は忠陰の変わりようが不思議だった。
「ゆみ、化物を殺す。手伝え」
「ダメよ、あのままだと呪いを撒き散らすわ」
「なら、どうする?」
「私が修祓をする」
「そうか、キサマ、巫女だったな」
化物が忠陰の距離に入ったとき、忠陰は背に九つの青い炎を作り出す。
「あの獲物を修祓したいのなら、ささっとやってみせろ。でなければ、俺が始末する」
「言われなくても!」
由美子は矢を生成し、弓に掛け、動き出した。
忠陰は青い炎をまず四つ放つ。炎は動線の残影を残しながら、動き出す。忠影の指に呼応するかのように炎は動き、化物の動きを牽制するかのようだった。
弦音が鳴り響く。由美子が狙いをつけ、放った矢は化物の尾に刺さる。刺さったのを見ると、由美子はその場から離れた。
化物は由美子を狙おうとするも、忠陰がそれをは炎を一つ爆発させ、邪魔する。そして、背中にある炎を化物の牽制に加えた。
由美子は右後ろ足が狙える場所に着くと、すぐに弓を引き、矢を放つ。矢は化物の右後ろ足に刺さる。
それを、左後ろ足、左前足、右前足と次々に矢を刺した。すべてが刺さると詠唱をはじめる。
「祖は至高の神にして天之御中。天地開闢にその身を高天原へと隠す。この世の理に則し、諸々の禍事、罪、穢を祓い給え、清め給え、申すことを聞こし召せと、恐み恐みも白す」
化物はその詠唱に気づき、由美子を狙う。
「てめえの相手は、俺だろうが!」
忠陰は青い炎をすべてぶつけ、化物の動きを止める。
動きを止めると、由美子の前に立ち、呪力で壁を作り、炎を食らっても再度突進する化物を止める。
「かく宣らば、天津神は天の磐門を押し披きて、天の八重雲を伊頭の千別に千別て聞し食さむ」
化物はその力を振り絞り、忠陰を押す。忠陰は負けじと声を上げ、呪力を振り絞る。
「てめえなんぞに負けてたまるか!」
由美子はその眼の前に光景を見ながらも、詠唱を続ける。
「国津神は高山の末、短山の末)に上り坐して、高山の伊穂理、短山)の伊穂理を撥き別けて聞し食さむ」
辺りは陽の光はとうになくなり、夜闇になっていた。それなのに天と地に光が現れる。光は化物に捉えようとした。
化物は最後の力を振り絞り、忠陰を押す。忠陰の足を踏ん張るも、化物の強烈な抵抗に足を引きずる。
その忠陰の背中を支える手が現れた。
鞘夏だった。
鞘夏は自らの手で忠陰の背中を支え、下がらないように一生懸命だった。
その姿を見て、由美子は勝ちを確信する。由美子は続けて、白す。
「かく聞し食してば、罪と云ふ罪は在らじ、遺る罪は在らじと、祓へ給ひ清め給ふ事を、天津神、国津神、八百万の神等共に、聞し食めせと白す」
光は忠陰たちを通り越し、化物を捉える。化物はその光から逃げようと暴れ狂うも、徐々に動きを縛られていく。
由美子は弓を引き始める。
「穢れ、そしてその苦しみから貴方を解放してあげる」
弦が弾かれた。弾かれた音はこの一帯に波のように響き渡る。波は静かなさざ波のように化物の体から黒い何かを引き剥がしていく。化物の体に亀裂が入り、そこからポロポロと上下の光の中に吸い込まれていった。波は揺れ戻り、化物の体から黒いものさらに亀裂をいれる。
化物は大人しくなり、目のところに亀裂が入る。その亀裂から綺麗な澄んだ瞳が出てきた。その瞳は由美子を見ていた。
化物は淡い光と成っていき、上下の光がその淡い光を包み込み、天と地に別れ、消え去った。
光が消え去ると、辺りは真っ暗になり、夜が訪れた。
由美子はその場に座り込む。空を見上げると、月が現れ、由美子たちを照らした。由美子はその光を受けて、一息つく。
「中々のものだった。まさか神宮の祓詞を目の前で見れるとはね」
忠陰は鞘夏に支えながら立っていた。
「その様子だと、まだまだのようだがな……」
「ほんと、口が悪いわね。貴方だって、鞘夏が居なければあの妖魔に負けていたでしょうに……」
「なんだと!? 俺は今からでも構わんぞ」
「望むところよ。貴方には一度借りがあるから」
由美子は立ち上がろうとしたが、思うように立ち上がれない。
「いいぜ……と、言いたいところだが……」
忠陰は鞘夏を見て、鼻で笑い、由美子をもう一度見る。
「生憎、俺はお前ともう戦わない」
由美子は驚く。
「ちょっと、勝ち逃げは止めてよ」
「そんなのどうだっていい。俺は、お前は信用してやる」
「ど、どういうことよ?」
「そのまま通りだよ。鞘夏のことを頼む、こいつは弱い。お前みたいに強くはないんだよ」
「ちょっと……」
「それから、アイツを信用するな。アイツは、どうせお前も裏切る……」
「アイツって誰よ?」
忠陰は立っていられなくなり、その身を鞘夏に預ける。鞘夏は忠陰を支えながら、ゆっくりと地面に座る。
「決まってんだろ? もう一人の俺だ……」
忠陰は目を瞑り始めた。
「賀茂君のこと? ……どうして?」
「アイツは……嫌なことから……逃げる。だから……俺が居る」
「ちょっと、待ちなさいよ。言いたいことを言って! 名前ぐらい教えてなさい!」
「忠……陰……。そう、呼ばれ……てる」
忠陰はそれから鞘夏の中で意識を失う。
「……陰様は、眠られてしまいました」
「もう、なんなのよ、コイツ! 暴れるだけ暴れて、言いたいこと言って、寝るなんて! おかしいと思わない? 鞘夏!」
鞘夏は愛想笑いをした。
「それでも私の大切な人です」
由美子はその愛想笑いが今まで見たことがなかった綺麗な笑顔だと思った。それが月夜に照らされて、綺麗に見えたのか、後になってもわからなかった。
由美子は笑う。
「どうかされましたか?」
「ううん。何でもないわ。鞘夏さんの素敵な笑顔に免じて、忠陰君を許してあげるわ」
「ありがとうございます、ゆみ、さん」