第七話 誰そ彼、輝くは天と地と、祓い清め給ふは弓の姫 其の十九
夕暮れ時の帰り道、忠陽と由美子は鞘夏を挟んで、お互い顔を合わせず、下校していた。
鞘夏は立ち止まり、二人に声をかける。
「お二人のお気持ちは嬉しくあります。ですが、私は賀茂家の使用人です。なので、神宮さんとは――」
「いいんだ」
忠陽は鞘夏の言葉を止める。
「忠陽様……」
「鞘夏さんが気を使わなくていいんだ」
由美子は忠陽を顔を見るも、すぐに別の方向を見た。
「神宮さんは鞘夏さんにとって友達なんだ。だから、家とか、そういうのは関係ないよ」
「忠陽様……」
辺りはもう夕暮れ時である。道路から地平線に沈みかかる太陽が見えた。太陽は地平線に沈む時が、最も輝きを増す。
その地平線の彼方の輝きに一つの黒い粒が見え始める。忠陽たちが太陽に近づくに連れて、その粒が段々と人であることを認識する。
鞘夏は足を止め、震えだしていた。
由美子は鞘夏を抱き寄せる。
太陽を背にして佇む男は忠陽たちに近づくに連れて、その妖気が強くなることが分かった。
男の気配から直感的に人間でないことを忠陽は感じ、呪符を取り出す。
「抗うか、小僧……」
忠陽は呪力を高め始める。それを由美子が手で静止した。
由美子は二人の前に出て、妖魔に畏まって、一礼した。
「名のある方と存じ受ける。恐れ多いことですが名を聞かせて頂きたい」
「ほう。貴様、その小僧と違い、礼を知っておるな。名など遠の昔に忘れた」
「ならば何故、この娘を手に掛けようとするのですか?」
「知れたこと。貴様らが畜生を餌とするのと同じだ」
「この娘は我が友人。お見逃しして頂けないでしょうか?」
「貴様ら、人間に一度ならず二度までも邪魔をされた。次はない」
「何故、そうまでして荒ぶる。貴方様はこれまで我々と共に生きてこられたはず――」
妖魔は笑う。
「共に生きてきた? この生き地獄をか? この世界に降り立ち、いくつも日が昇り、日は落ち、この身を貴様ら下等な生き物として生きてきたこの苦しみを……。貴様は何もわかってはいない。この世界こそ地獄よ。向こう側ではすべてが無に等しく、争いのない世界。それが安らかなる浄土」
「ならば、この街から立ち去られよ。あなたの浄土はここにはない。ここは人の世界」
「穢れた世界から抜け出すのならばとうにやっておる。そのための贄に、その娘、よこせーッ!」
妖魔は本性表したように狂暴な咆哮を放つ。その呪力が籠もった咆哮の音圧で周りの壁にヒビが入り、電灯のガラスカバーが破裂する。
忠陽と由美子が怯んだ隙に、妖魔を腕伸ばし、鞘夏を捕まえ、自らの元へ引き寄せた。
その瞬間を狙って、妖魔に燕の形をした式紙にも似た鳥が高速に駆け抜ける。
妖魔の皮膚に切り傷を追わせ、妖魔から鞘夏を引き離した。
その鳥は主人の元へ戻っていった。主人は家の屋根にクタクタと笑いながら立っていた。
「今度は逃さへんぞ。英雄、分かってるな?」
妖魔の後ろから刀を抜く音がした。
妖魔は後ろを向くとギラついた目つきをした八雲が居た。
「またしても、貴様か!」
「大人しく消えろ。ここはお前が居るべき場所じゃない」
妖魔は急には笑い出す。
「お主らの相手は我ではない」
八雲は背後の殺気に気づくも、その処理を伏見に任せた。無数の鳥は八雲の前に集まり、盾となる。盾は七節棍の穂先を弾き、消滅をした。
八雲は伏見の背後にいた青い仮面を付けた忍者らしい男に小柄を投げつける。忍者は回避し、距離を取る。
その間に妖魔は鞘夏を気絶させ、再び拘束しながら、逃げ去った。
八雲は浪人笠の男と相対しながら怒鳴る。
「いけ!」
忠陽と由美子はその言葉に促されるように妖魔を追った。
「姫様!」
声の先には漆戸がおり、指先で妖魔の方向を指し示す。
「爺や、仕留められる!?」
走りながら由美子は聞く
「背後からでは真堂様を傷つけかねません」
「賀茂君!」
由美子は辺りを見回すと忠陽の姿はなかった。
「あれ?」
「足を止めてはなりません。彼は潜んでいます」
由美子は漆戸の言葉を聞いて、自身を納得させ、妖魔を追う。
妖魔のスピードは速く、次から次へと建物を飛び越す。それを見た由美子は自分のスピードでは追いつくことが叶わないと判断した。
「爺や。私のことは構いません。あの妖魔を足止めしなさい」
「かしこまりました」
漆戸のスピードは更には上がり、妖魔のスピードを凌駕した。由美子は止まり、弓を生成し、高い建物に登る。
漆戸は一分で妖魔に追いつき、妖魔の前に立ちはだかる。
「さて、今度はキサマの核を頂く」
妖魔は漆戸の闘志が以前よりも塗り上げられているのを理解し、動きを止め、自らの腕を伸ばし、気絶している鞘夏を盾にした。
その瞬間、妖魔の腕に金切り声を上げて、風が透き通る。
「お見事」
漆戸はそう発すると、妖魔との間合いを詰めた。
妖魔は鞘夏を一旦諦め、自らの腕が切れるの同時に後方へ下がり、漆戸の間合いから離れる。
妖魔が下がったと同時に弦音が鳴り響く。鳴り響いたと同時に妖魔の足元へ矢が着弾し破裂する。妖魔は更に鞘夏との距離を離された。
倒れかかった鞘夏は手品のように何かに支えられたおり、それが忠陽によるものだということが少しずつ見えてきた。
「小僧……」
警戒する漆戸をよそに、忠陽は鞘夏の名前を呼びながら頬を叩く。
「は、陽様……」
意識が戻り、朦朧とながらも主人の名前を呼ぶ鞘夏に、忠陽は安堵する。
「賀茂様。まだ、気を抜いてはなりませぬ」
「そうよ、気を抜いてはいけない。姿と気配を同化できるのは、何もあなただけじゃない」
女の声が聞こえると、声の方から放たれた圧縮した風圧を忠陽は受けてしまった。
「陽、様……」
鞘夏は倒れた忠陽に近づき、忠陽の名前を呼びながら体を力なく揺する。忠陽は女にもらった一撃で気絶していた。
弦音がまた鳴り響いた。今度は矢が二つに分かれた。二つに分かれた矢は女の両側から挟むようにして、追い込む。
女はその矢を鉄扇では払った。払うと同時に、目の前から来る強大な殺気に対して、もう一つの鉄扇を取り出し、風を放つ。
その呪術を漆戸はまともに受けるも、平然と突進する。
女は舌打ちをし、両手の鉄扇で、舞いながら、更に大きな風を作り出す。作り出すと同時に自身は作り出した風の反作用で漆戸との距離を取る。
漆戸はその大きな風で動きを止めた。
「流石は漆黒と呼ばれた男。下手な呪術では効かないわね」
「名を名乗れ。無礼であろう」
漆戸の構えから出る闘志は女から見ると猛虎が具現していた。
女は唾を飲み込む。老齢とはいえ、その気迫は化物じみたものを感じた。
「十二天将が一人、舞姫の那智」
「何が目的だ。何故、妖魔に力を貸す」
「それを教えてあげる義理はないわよ。そこの妖魔、速くその女を連れていきなさい」
妖魔は女の言葉に驚くも、自らの腕を再生させ、鞘夏に近づく。
鞘夏は依然、忠陽の名前を呼び続けていた。
「そうはさせん!」
漆戸が妖魔に向かおうとするが、那智が間に入る。
「貴方のお相手は、私よ。オジサマ」
那智は両手の鉄扇で大きく舞うと、強大な風圧を発生させ、漆戸を吹き飛ばす。吹き飛んだ漆戸を那智は追う。
陽様と呼び続ける鞘夏の目には涙が溜まっていた。
それに関係なく、妖魔は近づき、鞘夏を捕まえようとする。
その瞬間、妖魔の手を掴む手が現れた。忠陽の手だった。
忠陽は妖魔の手を握り潰し、手が青色に染まる。
忠陽は笑みを浮かべいた。
妖魔は痛みに悶絶しながら、後ろに退いた。
「うるせえな。聞こえてんだよ、鞘夏」