第二話 陰の存在 其の三
後日、鞘夏は別のクラスへと移った。この対応には一年生内での下世話な噂が広まったものの、忠陽と鞘夏が学生生活を過ごせるように伏見が動いたらしく、すぐにそういったは噂はなくなり、お互い家庭の事情ということに定着しつつあった。
あの日、帰宅した後に忠陽から鞘夏と話し合い、鞘夏の自立を促した。鞘夏は思ったよりも拒絶していたが、鏡華と説得にあたり、理解をしてもらうまでは至ったが、納得まではいかなかった。だから、今でも昼食は二人で取っているし、下校も二人で帰っている。昼食は教室でとはいかず、屋上で距離をとって、下校も数メートル離れての帰りだった。
一見、おかしな形見えるかもしれない。だけど、これが鞘夏なりに頑張っている最中だと思う。今までの存在を否定され、新しい生き方をしろというのは誰でも受け入れ難い。鞘夏はその中で新しい自分を掴もうと苦しんでいた。
陰陽術の実技の時、伏見は忠陽に話を掛けてきた。
「鞘夏くんの様子はどうかな? 無理はしてないか?」
「顔に出さないですけど、無理はしていると思います」
「そうか。まぁ、昼休みでも少し距離を置いているみたいやし、頑張ってな。何か相談したいことや、異変があったらいつでも来てくれればええ」
「はい。分かりました。って、なんで僕たちを監視しているんですか?」
「君たちに今、課題を出している式紙というのはそういうことに使えるんやで。この学校で僕以上に情報を知っている人間は居らんよ。君には教えられんような、校長や理事長の弱みさえ知っている」
「はは、それはすごいですね」
「だから、頼って貰っても構へんよ」
「それはちょっと辞めておきます」
忠陽はこの教師に借りを作ると返すときに何倍にも返さないと行けないよう気がした。
「鞘夏くんもそうやけど、君の方はどうや?」
「どうって?」
「無理してへんか?」
「無理って……僕にはそういったことはありませんよ」
「そないならええけど、君と鞘夏くんの関係は普通のとは違うような気してな。そやな、呪術的なもんを感じるんや」
「呪術? そういうものがあるんですか?」
「分かりやすく言うと、主従関係というのがソレやな。呪術の基本の一つは呪いや。主従関係っていうのは呪いの一種と同じなんや。だから、気いつけや。呪いを掛ける人間がその呪いを掛けた人間を拘束するように、その逆も然り。君が鞘夏くんに引っ張られることもある」
「僕は彼女と会ったのは、この数ヶ月前ですよ? そんなこと……」
そう言い終える前に、陰陽術のコート側に一人の女子生徒が入ってきた。その態度は気品さの中に少し横暴さが含んでいるようにも思える。神宮由美子、この学校創設以来の生粋のお嬢様だった。
伏見は面倒くさいやつが来たと忠陽には聞こえるように言った。
「何の用や、姫?」
「何よ、その姫、っていうのは!」
「いや、神宮のお姫様には姫と呼んだほうがええかと思って」
「なにそれ、嫌味?」
「嫌味ちゃうがな。その方が君らしいと思うけどな」
「そういう所、血筋なのかしら?」
伏見はどこ吹く風という如く聞き流している。忠陽はこの二人は知り合いなのかと思った。
「僕に用事っていうわけは無いやろ?」
「貴方に用があるのよ。このコート、半分を私達に貸してくれないかしら?」
「教師としてはその話は聞けへんな。教育としては生徒に機会を平等に与えている」
「魔術を専攻している人間は多いのよ。それに比べて、あなた達はたった三人。数の多い私達には平等に与えられるべきじゃあない?」
「この跳ねっ返りが……」
陰陽術を専攻していた誰もが伏見の悪態を聞こえていた。
「今、なんて言ったのよ」
あれほど素晴らしい代表挨拶したご令嬢でも感情的になっていた。それを面倒くさそうしている伏見との関係はどういったものだろうか。
「分かった、分かった。姫には借りもあるしな。でも、タダでは聞けへん。ここは呪術で勝負といこうやないか?」
「いいわ。神宮の名にかけて貴方を負かしてやるわ」
「そんな余計なもんはいらへん。第一、僕が、君に負けるわけない。神宮っていうても、親の、いやご先祖の七光りの君に、負けるわけがないやろう」
ものすごい煽り文句に由美子は肩を震わせながら、だったら勝負しなさいという大声で発した。それは聞きつけた他の教師が何事かと仲裁に入る。
「みんな、ええか。今のも呪術の一種や。相手を挑発するのも呪いの一種や」
飄々と話をすすめる伏見という男、やはり何か得体がしれない。
「姫、僕が相手するのはフェアやないから。ここに居る陰陽術専攻の生徒を選ぶから、ちょっと待っててや」
周りの人間は、誰もが伏見から目を合わせようとはしなかった。由美子の実力は座学を含め、どの生徒も認めるぐらいトップクラス。その人間と呪術勝負というのは避けたかった。
「忠陽くん、君が行きなさい」
「えっ、僕がですか?」
忠陽は戦えないというのをどんな言葉で表しても、伏見は耳を貸そうとはしなかった。
「君は、姫に借りがある。悪いけど相手しったっていな」
借りがあるのは伏見ではないかと思いつつ、忠陽はその勝負を受けることにした。
呪術勝負は相手が参ったと言わせるか、気絶させるかのどちらかだった。ただし、殺傷行為が高い呪術や危険な呪術だと伏見が判断したら、使用した人間が負けである。必然的に呪術の使用は限られ、魔術の方が圧倒的に有利である。魔術の汎用性は陰陽術より優れており、発動時間も速い。
忠陽は由美子と相対し、途轍もなく不安にかられていた。そこまで呪術の得意ではない忠陽が、呪術の名家の由美子に勝つ自信など生まれるはずもなかった。
「はじめ」
伏見のやる気のない号令がかかると同時に、由美子は閃光のような魔力弾を忠陽に当てていた。具合良く宙に浮き、数メートルは後方へと飛ばされていた。誰もがその早撃ちに言葉が出ず、何が起こったのかさえ理解するの必死だった。
「やっぱり、あかんかったか」
伏見が忠陽の元へと近づこうとした時、忠陽はゆっくりと起き上がった。起き上がった少年を見て、伏見は足を止めた。
「あー、くっそ、痛ぇ」
忠陽の様子がさっきとは違った。顔つきも口調も穏やかな忠陽とは正反対だった。
「おい、そこの女! 礼を言うぜ。久しぶりに出てこれた」
「何を言っているの、貴方?」
「まぁ、どうでもいい。こいつは一体どういう状況だ? あのカス、こういう時だけ引きこもりやがって。状況ぐらい説明しやがれ」
「何をブツブツ言っているのよ。ささっと掛かってきなさい!」
「あー、うっせーなぁ! クソアマ!」
忠陽は何もない所に文字を書きはじめ、その文字が光りだし、炎へと変化した。その炎は人を焼き尽くせるほど大きなものとなっていた。
「こりゃ、まずいな」
伏見はその炎に今の由美子が対処できないほどものと直感した。
「おい、クソアマ。こいつをくれてやる」
放り投げた炎は由美子に襲いかかる。由美子は炎の相克する水の魔術を放つも、炎の勢いが強く、相殺できなかった。由美子がさらに水の魔術で押し返そうとした時、それよりも早く由美子の前に札が現れた。札は光り、一瞬にして水が溢れ、炎を押し流した。押し流した水は川が氾濫したかのように勢いよく、忠陽を飲み込み、壁と押し込んだ。水は壁に当たると引き返すことなく、消え始めた。
「姫、大丈夫か?」
伏見の声に由美子は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「一応、お礼を言うべきね」
「貸しにしとくわ」
伏見は札を持ちつつ、ゆっくりと忠陽の側へと近づく。あれだけの水流の受けていたため、忠陽は気を失っていた。だが、伏見はその身体を調べ始めた。異常のないことは確認した後、他の生徒に担架を持ってくるように指示した。
「陰様!」
鞘夏が息を切らして、忠陽の元へ走ってきていた。それからも忠陽の安否を確かめる彼女の言葉に伏見は聞き逃さなかった。
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忠陽が目を覚ますと、無機質な天井が見えた。自分が何故ここにいるのかが判然としない。だが、どうやら自分はベットの上にいることは間違いない。
「お気づきなられましたか?」
声の主を探すように首を振ると、そこには鞘夏がいた。体起こそうとすると、痛みが走った。
「まだ、安静にしてください。お体に触ります」
「大丈夫、すこし痛いだけだから」
鞘夏の手を借りように忠陽は上半身を起こした。
「ここは保健室?」
「はい」
「僕は、どうしてここに居るんだ?」
「覚えて……いらっしゃらないのですか?」
「うん。なんかよく分からないんだ。呪術勝負はしていたことは覚えているけど」
閉じられていたカーテンが開いた。そこから伏見が現れた。
「気いついたか?」
「伏見先生……」
「悪いな。手加減したつもりやけど、やり過ぎたかもしれへん」
「神宮さんがですか? 僕、一体何で気を失ったんだろ……」
「君、覚えてへんのか?」
「ええ、全然」
「そうか。覚えてへんのか。まぁ強いショックを与えたさかい。そうや、鞘夏くん、さくら先生呼んできてくれへんか?」
「ですが……」
「頼む」
鞘夏は忠陽を観るも、忠陽からもお願いされ、しぶしぶ保健室から出た。
「さて、忠陽くん、君にいくつか聞きたいことがある」
鞘夏を出て行かせたときからこうなることは予想していた。
「君、ほんとうに記憶がないんか?」
「ありません。呪術勝負はどうなってんですか?」
「呪術勝負は有耶無耶や。少々厄介なことになっとる」
「どうしてですか?」
「君が姫を殺せるほどの呪術を使うたからや。それで僕が、姫を助けるために水の呪術で君を押し流した」
「僕がですか?」
「ああ、君がや。すごい威力やったでえ。あれには僕も驚いた。君が姫からの魔力弾を受けて、キレたと思ってたんやけどな」
伏見はニコニコと笑っているが、忠陽は実感がなかった。
「君、家ではどの程度呪術を習ってたん?」
「僕は呪術の才能がなかったので、基礎までしか教わってないです。五行でも触りぐらいしか」
「ちゅうことは、君は炎なんてうまく使えんっていうわけか?」
「はい。式付をつかったとしても炎を起こせるぐらいで制御はあまり」
「君、式付なしで空間に印を書きよった。あれは相当なレベルやった」
「えっ?」
「覚えてへんということは無意識に使えたってちゅうことかな? まぁ、いまはその辺はええよ」
自分でも呪術のレベルは分かっている。そんな式付なしで炎を生み出すなんてできるはずがない。忠陽は困惑し始めた。
「最後に、忠陰って名前は知ってるか?」
「誰ですか? その人?」
「そうか。知らんかったらええんや。忠陽くん、今回の件はちょっと口合わせしようか」
伏見は今回の一見は予め、伏見が持っていた式付を使って、炎を出した。そして、神宮由美子を驚かせるために伏見に協力したということにしたいらしい。忠陽自身、今の自分の状況がどの様になっているのかが分かっていなかった。ただ、伏見が言ったことには従ったほうが良さそうだったので口合わせをすることにした。
放課後になり、忠陽は家にまっすぐ帰ることにした。伏見からも今日は寄り道をせず帰宅するようにとの厳命もあったが、自身の中で今日の出来事に整理がついていないこともあった。
「忠……陽様」
鞘夏は心配そうに忠陽の名前を呼ぶ。
「鞘夏さん、心配掛けてごめんね」
「いえ、私こそ何の役にも立てず、申し訳ございません」
「鞘夏さんが謝ることじゃないよ」
鞘夏の様子は明らかにおかしかった。自責の念というのもあるだろうが、いつもの彼女のそういった感情ではなく、何かに怯えているようにも見えた。