第七話 誰そ彼、輝くは天と地と、祓い清め給ふは弓の姫 其の三
忠陽は昼休みに、由美子を放課後の鍛錬に誘っていた。由美子は嫌な顔はしても、引き受けてくれた。
断られると思っていた忠陽は呆気にとられていた。その顔を見て、由美子は問題があるのかと問うた。
忠陽は笑いながらあれやこれやで誤魔化したが、由美子はこちら本当の目的を読んでいるようにも見えた。
忠陽達の本当の目的は、由美子に神無のことを聞くことだった。
由美子は神無のことを兄さんと呼んでいた。涙も流していた。由美子には大切な存在であろうことはわかるが、それでも二人は神無にまた会いたいという気持ちが強かった。
伏見には絶対に止められることは分かっているが、あのとき、神無の強さが憧憬の念を強くする。
だが、それとこれとは別に二人は迷ってもいた。それはいつも勝ち気な由美子が、あの時だけ、涙を見せていたことだ。
「あいつが来たら、お前から聞けよ」
「こういう事は大地くんが適任だよ」
「いや、お前が聞けって」
「大地くんこそ」
二人は譲り合っていた。
そこへ由美子が来た。由美子は二人が自分に対して余所余所しい態度を見て、せせら笑う。
「あら、今日は二人共大人しいのね?」
「別に、そんなんじゃねえよ」
「あのさ、大地くんが話があるって!」
忠陽の裏切りとも取れる奇襲攻撃に、大地は声を出して怒ったが、その困りようを由美子は逃さなかった。
「なによ、話って? さっさと言いなさい」
大地はバツが悪そうにしながら聞いた。
「あのよ……この前、港でさ……泣いてただろ?」
由美子は俯き、そして体を震わせながら、後ろを向いた。
「あっ、いや……話したくないならいいんだぜ。……お前にも……色々とあるって分かったし。……だけどよ、俺らだってー」
「ひどい」
震えた小さな声はそう呟く。
大地は慌て始め、忠陽の助けを求めるが、忠陽はそっぽを向いた。
「あー、なんだ。悪かったよ、お前の気持ちも考えないで聞いて……」
由美子は小刻みに震えていた。
「いや、ほんとうに悪かった!」
大地は膝を地面につき、土下座をした。それでも由美子はこちらを向こうとはしない。
忠陽はその異変に気がついた。肩は泣いているのではなく、笑っているようだった。それに感づいた忠陽は由美子の正面に回り込む。
そこには、忍び笑いをする意地の悪い由美子がいた。
「神宮さん!」
由美子は大声で笑う。
「こんな三文芝居で土下座なんて、笑えるわ」
大地は立ち上がり、由美子の胸ぐらを掴もうとしたとき、由美子は大地の呼吸に合わせ、手を取り、受け身が取れるように投げた。
受け身を取れたとはいえ、悶絶する大地に由美子は勝ち気に言う。
「私を甘く見ないでくれる。あなたたちに同情されるほど弱くはないわよ!」
「上等じゃねえか、このクソアマ! こっちが優しくしてやれば図に乗りやがって。今すぐ、俺と戦え!」
「いいわよ、コテンパンにしてあげる!」
見えない闘志が二人の間でバチバチと火花を散らす。
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八雲は翼志館高校に着くと、その頃には放課後だった。その時間帯での訪問は生徒たちの目を引いた。
扉から出てきた顔のいい八雲が、清楚な雰囲気で、はにかんだ笑顔を女子生徒に向けたたため、大抵の女子生徒は魅了された。
八雲は、助手席から荷物と忠臣から貰ったチーズ饅頭を手に取った。
「今日はもういい。明日、そっちに出向くと連隊長殿に伝えてくれ」
運転手は分かりましたと答え、車を動かし、学校の出口へと向かた。
八雲は女子生徒の視線を集めながら、外来入り口から校舎の中に入った。訪問者リストに名前を書き、用務員から理事長室の行き方を教えてもらった。
廊下に出たとき、八雲は鞘夏とすれ違った。
八雲は鞘夏の長い髪に引かれるように彼女の顔を追った。その顔をはっきりと見たくて、声をかけていた。
「君。えーと、理事長室はどこか知ってる?」
鞘夏は足を止め、振り返った。鞘夏の顔を見て、八雲はなぜか安堵した。
「理事長室でしたら、二階の職員室の奥にあります」
鞘夏はお辞儀をして、動こうとしたとき、八雲にまた呼び止められていた。
「ああ、ちょっと待って。何か……その……悩み事とか、ないか?」
鞘夏は目を細める。
「何ですか?」
「いや、困ってないかなって……」
「そういった話は結構です。失礼します」
鞘夏はまたお辞儀をして、その場を去った。
八雲は軟派といったものをすることはあまりない。任務上であれば情報収集のために行う。自然と出た言葉に自身でも驚いた。
八雲の心の中に浮かぶのは、幼馴染だった。その顔は笑顔ではなく、虚ろな表情であった。それが鞘夏と似ていた。
疲れているのかと思い、階段に差し掛かると、白髪、隻腕のサングラスをかけた男がヘラヘラとした顔を見た。
「うちの生徒を口説かんといてほしいなぁ」
八雲はその顔を見て、一瞬誰か分からなかった。だか、その雰囲気とヘラヘラとした表情に子供の頃嫌がらせを受けた覚えを思い出す。
「別にそんなじゃねーよ。ただ……」
「ただ?」
「ゆんに似ってたんだよ」
伏見は吹き出し、笑う。
「なんで笑うんだよ!」
八雲は伏見に突っかかる。
「相変わらずやと思ってな。理事長がお待ちや。付いてき」
「うるせ……」
伏見に理事長室へと連れられ、中に入ると眼鏡を掛けた初老であろう老女がソファーに座って待っていた。彼女は立ち上がり、ようこそと手を差し伸べる。
老女の動きは全ての動作に一つ一つ丁寧であって、気品というものを感じる。
「お久しぶりですね。私がこの学校の理事長をしています櫻井と申します」
「えーと……」
八雲は櫻井の手を握りながら、戸惑った。
「ふふふ。貴方とあったのは十年以上前のことよ。貴方はこんなに小さかったから覚えてないわよね。妹さんだって、貴方にしがみついて離れない年でしたから」
櫻井は八雲の手を離し、自分の胸の下ぐらいに手ぶりしていた。
「すいません。社交界であった人はあんまり覚えてないんです」
「まあ、大胆ね。昔のお父様にそっくり」
櫻井は口元を隠しながら笑みを浮かべた。しかし、その笑みは優しく、嫌味がない。
「さっきも、賀茂呪術統括部長にオヤ、父に似ていると言われましたよ」
「忠臣君? 貴方のお父様と色々ヤンチャしていたのよ。社交界でも有名だったから」
ふふふと笑いながら、櫻井は八雲に座ってと言う。伏見は出口の扉に体重を掛けながら立っていた。
「さて、何から話そうかしら」
「その前に、賀茂呪術統括部長からのお土産です」
八雲はチーズ饅頭が入った箱を出し、中を開けた。
「あら、こんなにも? いいのかしら……」
「ええ。自分では食べきれませんし。あっ、一個だけ頂きます」
八雲は一個取り出す。すると、櫻井はこれまでにない笑みを浮かべる。
「そう。忠臣君も相変わらずね」
「お喋りな人だと思ったのですが、中々に……」
「今度は私からお礼を差し上げときます。伏見君、私の分は取りましたから、中身はあなたの愛弟子に差し上げて。それ以外は貴方にあげるわ」
「中身が大事でしょうに」
伏見はクタクタと笑いながら、櫻井に近寄り、箱を受け取った。
「あんたに愛弟子なんて居たんだな」
「ええ、五人も。多分、あと一人は増えるかも」
「理事長、僕は弟子はとってませんよ」
「そう? それにしては昔の貴方だったら考えられないわよ。ちなみに貴方の妹さんも数に入ってるわ」
茶目っ気のある笑顔で八雲に言った。
「へー。あいつがね」
「僕は弟子として取ったつもりはないで」
「あいつは、お前たちには噛み付くぞ」
「もう、何度も噛まれてるわ」
伏見はそう言うと元の位置に戻った。
櫻井と八雲は笑っていた。
「そいや、こいつ、さっき鞘夏くんと会うて、ナンパしよりましたわ」
「あら? お目が高いわね。でも、うちの生徒に手を出したらダメよ」
「自分はこれでも大人です。そのぐらいの常識はありますよ」
「なにか困ったことはないかって口説いとりましたよ」
「なあに? そんなに気になるの?」
「気になるというか、幼馴染に似ているんですよ」
櫻井は用意していたお茶を注ぎ始めた。
「そう……。どういう所が?」
先程まで見せていた櫻井の明るい笑顔に影が落ちたように見えた。
「ちょっと、虚ろな感じが……」
「虚ろね……」
「静流姉さんの娘ですよ」
八雲は伏見を睨んだ。
お茶を二人分注ぎ終わると、一つを八雲に差し出す。八雲はそれに手をつけた。
「静流ちゃんの娘さん、確か二人居たわよね?」
「ええ、長女の方です」
櫻井は考え込んだ。
「昔一度だけ、静流ちゃんの店で会ったことがあるわね。でも、顔が、思い出せないのよ。今は、何をしてるの?」
「旅に……出てます。宛のない」
八雲はお茶を見ながら答えた。
「どういうこと?」
「あいつは、昔を取り戻したいですよ。取り戻すために、世界を回ってます」
伏見は外を見ていた。
「そう、大変なのね」
櫻井はお椀に口をつけ、一口含む。そして、立ち上がり、机の奥にある窓ガラスから外を見る。
「大変なのは、どこも一緒ね、伏見くん」
「ま、僕は楽させて貰いますわ」
櫻井は小さく笑い、それはできないわと言う。
「遠矢二尉。今回、無理に来てもらったのは、そろそろ私達だけでは、手に負えないと思ったからです」
八雲はお茶を飲み、口を開く。
「手に負えないとは?」
「今回の港湾事件の現場は見て頂きましたか?」
「いえ。……でも、見なくても分かります」
八雲はもう一度お茶を飲む。
「これでも伏見君なら、どんな悪いやつでも対応できると、私は思ってるの。でも、今回の一件で私が分かったことは、私の想像を遥かに超えて、計画は進行してる可能性がある」
「計画?」
「ええ、天岩戸計画。私も詳細は知らないわ、でも、そう呼ばれていたわ」
八雲の顔つきが変わり始めた。
「それで、自分たちに何をしろと? 港湾事件は俺の知っている奴がやったんだろう、伏見? そんなことで軍が動く理由はないはずだ」
「伏見君……」
伏見は口を開いた。
「港湾事件は君のご想像通りや。問題はもう一つの方や。天岩戸計画はおよそこの島を使った呪術儀式のことを指してると思う」
「どうしてそう思う?」
「呪術統括部に行ったとき、セントラルビルを見たはずや。あそこはこの島の中央に位置し、龍脈に楔を打っている。その目的はこの島が恩恵受けているように、呪術的にもそれを得られる。そして、あそこにはいくつかの結界が厳重に張られていた。神無にはその一層を壊してもろうて、中に入ったが、廃棄した研究施設を巧妙に隠してあったわ。それらは僕が戦った人工群生妖魔の研究していた場所と思われる」
「人工?」
「元は普通の人間やったわ。それが薬剤を投与した途端、呪力を吸いおる化物になりおったわ」
「それで久遠か……」
「それだけでもかなりの脅威や。奴らの隠し玉だったかもしれへんが、神無たちの話ではもう一体はいる」
「脅威は分かった。でも、奴らの目的はなんだ?」
「僕には分からへん」
「分からないって……少しでもないのか?」
伏見が八雲の叱責を受け流しているときに、櫻井が口を開いた。
「器よ。それも完璧な」
「器? 器ってなんですか?」
「ごめんなさい。私にはその意味は分からないわ。でも、彼は完璧な器を作ろうとしていたわ」
少しの静寂がながれ、八雲はため息をつく。
「辰巳、情報が曖昧すぎて、これじゃあ軍を動かせない」
「軍全体が動く必要はない。君の役目は、軍に対して、この島に何かがあると思せることや。英雄とよばれた君がそう発言すれば、軍はその可能性を捨てきれず、監視はする。それで時間稼ぎになる」
「時間稼ぎ? お前の目的はなんだ?」
「今年になっておもろい子達が入ってきたんや。その生徒が気になってな」
「おい、冗談は止せよ」
「何、見てくれたら君も興味がわくわ。君が鞘夏くんに興味を持ってくれたようにな」
八雲は、また、ため息をついた。
「ちょうど、貴方の妹さんと一緒にいるから会ってください」
「分かりました。それと、自分自身で調査はします。それで判断をさせて頂きます」
「ええ、構わないわ」
八雲は立ち上がり、伏見の方を見る。伏見はクタクタと笑みを浮かべ、ゆっくりと扉を開ける。その動作に八雲は苛つきを覚えた。