第六話 天谷の闇 其の八
中山照之は各事業所から出された売上日報を見ていた。中山の表向きの顔は飲食店の経営者だった。その売上と頭に入っているこれまでの売上を踏まえて分析していた。
白い上下スーツのその姿は、まさに辣腕の経営者かのようだ。分析の中で一つ、気になる日報があり、それをまじまじと見ていた。
中山が近くにあった受話器を持ち上げ、内線をかける。呼び鈴は鳴るが、誰も出ない。中山は苛立ちを覚えたが、五回以上鳴らしても出ないことに異変を感じた。
その勘を信じ、執務室を出ると、ピリッとした空気を吸い込んだ。廊下は静寂だが、嫌な気配を肌に感じる。中山がこれまで裏の世界で鍛え上げた感は、懐に持っていた飛び出しナイフを取り出させた。
ナイフの刃を出し、中山は臨戦態勢になった。呪力を練り込みながら、周りの気配に注意を払う。静寂を保つ廊下をゆっくりと歩き、一つ目の角を出口へと曲がった。未だに人の気配が感じられないのはもう異常でしかないと乾いた唾を飲む。
足音がし始めた。革靴のカツンという音を聞いた中山は呪力を小さくし始めた。
二つ目の角の先から聞こえるその音に合わせるように距離を縮め、身を潜めた。音が角に近づき、曲がる瞬間に中山はナイフを相手の喉元に突きつけた。
角から現れたのは部下だった。突然の事に顔を強ばって、言葉を発せないでいた。数秒間の後、中山は舌打ちをし、ナイフをゆっくりと引いた。
漸く部下も言葉を発した。
「脅かさないでくださいよ」
「他の奴らはどうした?」
「えっ、どういうことですか?」
中山は舌打ちをした。
「すいません。さっきまで事務所で売上の再チェックしてたんです。数字が合わないんで、倉庫を確認したりしてて……」
「そうか」
「数字が合わない理由は現在調査中ですが、今日中に報告しますんでー。ヒィィィ」
中山は部下に向かって、ナイフをなぎ払った。部下は咄嗟のことだったため、その場にしゃがみ込み、回避した。
空を切ったかのように思われたナイフの軌跡は、ある物体を切っていた。燕の形をした式だった。淡い水色に光るそれは霧散していった。
中山は角を曲がると、写真で見た通りに嫌悪感を抱く薄笑いをした伏見が立っていた。
「動くな」
伏見の言葉で中山は手足が重くなるのを感じた。初めて体感する言霊は体中に纏わり付かれ、気分が良いものではなかった。
「しゃらくせえ!」
中山は呪力を放出し、言霊の縛りをかき消した。
「強引なことするな。でも、これは当たりやな」
「てめえから来てくれるとは嬉しいね。切り刻んでやる」
「これ以上は切り刻んだら、男前がもっとかっこようなるから遠慮しとくわ」
伏見は燕の式を三体放つ。燕は翼をはためかせ、狭い空間を針を縫うかのように光の残滓を描く。速度を増すと矢の形状となり、中山に襲いかかる。
中山は常人では目で追えない速度の矢を、重力を無視したかのように、壁を駆け回り、一匹ずつ切り払った。切り払った後で伏見に襲いかかろとしたが、後ろからの呪力に気づき、振り向きかえって第四の矢を切り伏せた。
「やるやない。せやけど、ここら辺で大人しく捕まってくれへんか?」
伏見の薄笑いと言葉にに中山は苛立っていた。絶対強者かのような振る舞いが、彼の自尊心を傷つけたからではない。ねっとりとして絡みつく薄笑いに嫌悪していたからだ。
「てめえが死んだら大人しくなってやるよ」
伏見は不適な笑みを浮かべた。
空間には目に見えない呪力によるせめぎ合いが存在した。中山が攻撃的な呪力を発しているのに対して、伏見はその呪力を受け流したり、逆にその呪力を返したりと牽制を行っていた。
先に動いたのは伏見だった。突然、辺りに鳥の羽が舞い降りてきた。鳥の羽は地面に落ちると消え、また天井から舞い降りる。中山はその羽を目で追ってしまっていた。
パチンと音が鳴り、中山は我に返る。伏見のフィンガースナップと同時に羽は中山に敵意を持ったかのように追跡を始め、攻撃を開始する。
中山は羽を切り払いながら、壁を使い立体的に回避して、伏見との距離を縮めた。
中山はナイフの必殺の距離になった瞬間、防御をやめ、脚力の向上させて一気に間合いを詰めて、伏見を切り払った。
伏見の腹部からは多量の血液が出始めた。
「見誤ったか……」
さらに中山は伏見を押し倒した。中山は高揚感と満足感に満たされた顔をしていた。
「残念だったな。クソ先公!」
仰向けに倒れている伏見の心臓を目がけ、ナイフを突き立て刺す。それを何度も笑いながら繰り返した。
狭い空間には笑い声と人体にナイフを突き刺す音だけが木霊した。
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伏見は呆然と立つ中山を見て、言った。
「やっと、嵌まってくれたか。ほんまに難儀やな。生け捕りちゅーのわ。特別手当でも貰わないと割
に合わんわ」
伏見は深い溜め息をつき、念話始めた。
「組織のボスらしい人間を見つけたで」
伏見の頭の中でエリザの声が響いた。
「速かったわね。私はあと一つ拠点を潰して終わりよ」
「そうですか。僕はこいつを隠れ家に連れて行きます。神無、残りの俺の分は頼めるか?」
「ああ」
「じゃあ、あとは隠れ家で」
念話を終えると、伏見は中山を見る。依然と呆然と立っていた。
「悪いな。君の頭の中では僕は死んでるはずや。大人しく、僕に捕まって貰うで」
呪力で練り上げた作った紐を中山に纏わせようとした瞬間、苦無が伏見の後ろから飛んできて、紐を切った。
「凄いな。まったく気配を感じへんかったわ」
後ろを向くと、目元には青い仮面で素顔を隠し、首には青いスカーフに、黒スーツを着た忍者がそこには居た。
「なんで、僕を狙わんかったんや?」
忍者は黙ったまま、背負っていた忍者刀を抜き、構えた。忍者は自身を数体に分け、伏見に斬りかかる。
伏見は動じる事無く、本体へと風の刃を飛ばす。忍者はそれを切り払いながら、伏見の後方へ移動する。
「死ぬ前に名前くらい教えてくれへんか?」
忍者は火花が走る球を投げた。火花が球の中へと消えると破裂し、辺り一面が灰色の煙に包まれ、煙幕を作り始めた。
煙幕を晴らすため、伏見は風の呪術で気流を作り、煙幕を別の方向へ散らした。中山の姿はなく、二人の気配は感じなかった。
「やられてもうた。こら、エリザ様からどやされるな…」
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とあるビルの屋上、そこには妖艶な女が、風で長い黒髪を靡かせて、佇んでいた。その口元、目は世の男どもを魅了し、欲望に駆り立てる。
そこへ目元を青色の仮面で覆い、青いスカーフを纏い、スーツ姿の男が中山を抱えて現れた。
「ありがとう、青影」
青影は中山を地面に降ろし、苦無を取り出した。そして、苦無を中山の手の甲に突き刺した。
中山は痛みで虚ろとなっていた目に精気が満ち、意識が回復し、声を上げた。
「お目覚め?」
現実に引き戻された中山は、妖艶な女を見て、異変を感じ、周りを見回した。
「ここはどこだ? あのクソ先公はどこへいった?」
「ここはあなたが居た場所から離れた所。あなたはあの先生に幻術か何かを掛けられていたみたいよ」
「なんだと……」
妖艶な女は中山の耳元に近づき、あなた負けたのよと告げた。中山の顔を見て、美しい笑みを浮かべた。
中山は空へ咆哮する。叫びは夜空へと虚しく散っていった。
「いいわ、その顔を。好き」
妖艶な女は中山の顔に手を添え、接吻しようと近づく。中山のそれを乱暴に振り払った。妖艶な女は口惜しそうにしていた。
「女を乱暴に扱ってはいけないわ」
「何を言ってやがる、この阿婆擦れ!」
「でも良いわ。あなたのプライドが壊れていく様、見ていて楽しい」
「この変態が!」
「そうよ。私は人が苦しむ様も、喜ぶ様も好き。そこに人という存在がいるから。だから、私はあなたにあの御方からお言葉を授けるわ」
中山は妖艶な女をマジマジと見た。
「あなたは伏見という男に対して何度も失敗を重ねている。一つは海風高校での失敗で、伏見の目をこちらに向けしまったこと。私も調べたけど、あの男は以外に厄介な存在よ。二つ目、伏見よってあの御方が崇拝する存在をこの島へ呼び寄せてしまったこと。私にも分からないのだけど、これにはひどくお怒りだったわ。三つ目は、今日の襲撃による大損害。あの御方はあなたを消してしまおうとも考えていたみたいだけど、今までの功績を見逃したりはしなかった。あなたのおかげで多くの実験素体も手に入れることができた。だから、あなたはこの島からの追放とされたわ」
中山は慌てふたむき、縋るように女をスカートを掴む。
「まま待ってくれ! 俺はどうしたらいい? どうしたら、あの御方は許してくれる?」
妖艶な女は頬を綻ばせ、白い歯をみせ、奇妙な笑みを浮かべた。
「いいわ、いいわよ、その顔。もっと苦しんで」
「この島を出ても、俺は奴らに狙われるだけだ!」
中山は土下座をして、懇願した。だが、妖艶な女は首を振るだけだった。
「あの御方が決めたことよ」
顔をひれ伏した中山は体を震わせた。
「俺があの先公を殺してやる。そうすればあの御方も考え直してくれる」
中山は顔を上げた。その顔は歪んでおり、歪なものになっていた。
「俺の邪魔をする奴は皆殺しだ」
妖艶な女は微笑していた。
「お前であろうと八つ裂きだ」
「そうならそうして。私に痛みを頂戴」
妖艶な女は中山に絡みつこうとしたが、振り払われた。
「ああん、いけず。でも、そんなあなたにこれを渡しておくわ」
妖艶な女は小さなケースを中山に渡した。中山は箱を開けると、中には液体入り注射器が入っていた。中山は何かを察し、礼を言って、去って行った。
「いいのか? あれはー」
妖艶な女は青影の口に指を優しく当てる。
「滅多に喋らないあなたの声を聞けて、私、疼いちゃったみたい。治めてくれない?」
妖艶な女は青影に絡みつこうとしたが、青影は振り払った。
「あなたも私の相手をしてくれないの? さっきから男の欲望にあてられて、私、もう限界……」
息を切らせながら、自身に迫る妖艶な女は鬼気としたもの青影は感じた。
「悪いが、好みではない」
「女を辱める気?」
「それが辱めというのなら、この世の恥辱を疑う」
青影は暗闇に消えようと数歩前に出たが、突然動きを止めた。
「なに? やっぱりヤルの?」
「私は青影ではない。ブルー・ザ・シャドウだ」
青影は闇に消えた。
「そこは譲らないのね。……でも、楽しくなってきたわ」
女の笑い声が闇夜に木霊する。
子供の頃、かくれんぼ、鬼ごっこ、警泥(地方によっては読み方が違いますが)などの遊びをよくやっていたものです。この遊びのいいところは、その地区によって遊び方が違うというところですね。
私は地方出身ですが、特別区ではそんな遊びはできないほどに子供の遊び場というのがなくなっています。金のかからない子供の体が自然と育つ遊びがないのかと思うばかりです。
「ばらかもん」オリジナル・サウンドトラック
川井憲次
「島のこども,なる」を聞きながら