第十話 男子三日も合わざれば刮目して見よ
忠陽は夕暮れの帰り道、足を止め、曇り空の隙間から地平線に沈む太陽を見た。雲は赤く輝き、炎で焚かれているようだった。
鞘夏は忠陽が足止めたことに気づき、自分も足を止め、振り返る。
「どうしたの、陽くん?」
「もうひとりの僕なら……勝てたのかな?」
鞘夏は視線を下げ、同じ景色を見た。
「分からない……」
「今日は負けて、本当に悔しかった。今の僕じゃあ力が足りない。それが本当に悔しい」
鞘夏は忠陽を見る。その顔はオレンジ色に染まり、凛々しい顔つきだった。
「私も悔しかった。陽くんや、ゆみさん、氷見さんも頑張ったのに勝てない。もし、宮袋さんがいたら、こうはならなかったんじゃないかって」
忠陽は鞘夏を見る。夕日に染まった横顔は幻想的で、とても愛おしく見える。
「それは違うよ。鞘夏が僕の側に居てくれたから……僕はあそこまで戦えたんだ」
忠陽は鞘夏に笑ってみせた。鞘夏は微笑んだ。
「ありがとう。陽くん」
「明日は鞘夏の分も僕が頑張る」
「でも、無茶はしないでね。陽くん、血が登ると無茶するから」
忠陽は虚を突かれた感じになり、苦笑いをしてしまった。
忠陽たちは家に戻ると、家ではいい香りが漂っていた。
「ただいま……」
忠陽はその匂いに気づき、顔を綻ばせる。鞘夏はその顔を見て笑っていた。
「ビーフシチューだ……」
忠陽は鞘夏にそう言うと、すぐに靴を脱いで、玄関へと向かう。鞘夏は散らかった忠陽の靴を並べ、あとに続く。
「鏡華、ただいま」
忠陽はご機嫌で居間に入った。
「あ、陽兄おかえり」
「おかりなさい。忠陽さん」
「おかえりなさいませ、坊っちゃん」
鏡華はいつもの特等席のソファーで寝そべっていた。その隣には忠陽の母親である賀茂麻美が座っていた。台所を見ると、そこには賀茂家に長年仕えている使用人のフミがせっせと料理をしていた。
「うん、ただいま。母さん、鏡華、フミさん……。母さん? フミさん?」
忠陽は驚き、バックを地面に落とし、二人を見返す。
「ど、ど、ど、どうして、二人がいるの?」
「帰ってきてそうそうどうしたのですか? 忠陽さん」
麻美は立ち上がり、忠陽に近づく。
鞘夏も二人に気づき、慌てて、フミに近づく。
「フミさん、変わります」
「いいのよ。あなたは座ってなさい。今日は大変だったでしょう?」
いつも冷静な鞘夏もこの事態にアワアワとしていた。
「母さん、どうして、ここに?」
「それは忠陽さんが呪術大会で決勝戦に出ると聞いたものですから、応援に。忠臣さんにも、鏡華にも伝えています」
「い、いつ?」
「一昨日くらいに鏡華には連絡しましたよ」
忠陽は鏡華をすかさず見るも鏡華は下手な口笛を吹きながら、誤魔化していた。
「鏡華!」
「だって、陽兄を驚かせたくて! 驚いたでしょう?」
「あらあら」
麻美は楽しそうに立ち上がり、忠陽に近づく。
「二人共、呪術大会で決勝戦に行くなんて私も鼻が高いわ。今日は惜しかったけど、明日も頑張りなさい」
麻美は忠陽の手を取って、優しく握る。
「母さん……」
麻美は何も言わず、忠陽に笑顔を見せていた。鏡華はそれを見て、ニヤケ顔になっていた。
「なんだよ、鏡華……」
「陽兄、もっと喜べ」
「うるさい!」
忠陽は顔が赤面していた。それにフミも鞘夏も笑っていた。
「まあまあ、そう怒らないで」
麻美は忠陽をあやしつける。
「坊っちゃん、今日は坊っちゃんが好きなビーフシチューですよ」
忠陽は歯切れが悪そうにして、バックを取り、自室へと戻っていた。
「忠陽さん、遅い反抗期かしら」
麻美は笑顔で笑っていた。
「鞘夏、あなたもはやく部屋に戻って、着替えてらっしゃい」
「いえ、フミさん。お手伝いを致します」
「いいのよ。今日は私がするから。いちご、買ってきておいたわよ」
フミは鞘夏に優しく言うと、鞘夏は一礼して、自室に戻った。
夕ご飯はいつもよりも盛大だった。麻美とフミが居るおかげで鏡華はいつもよりも明るく、そして鞘夏からも笑みが溢れていた。鏡華は予選から決勝リーグまでの忠陽と鞘夏の活躍を、ご飯を食べ忘れるくらい話し、麻美に将来の相手を心配されていた。
ご飯が食べ終わり、一息ついたところで麻美とフミは立ち上がり、帰る準備をした。
「今日はここに泊まっていかないの?」
鏡華は麻美にねだるように言った。
「そうしたいけど、忠臣さんのところに泊まるわ」
忠陽はそのことには何も返さずいた。
「忠陽さん、鞘夏。明日も頑張ってね」
「はい。奥様」
忠陽は頷いた。
「陽……。駅まで案内してくれない?」
「分かった」
「それじゃあ、行くわよ。フミ」
「はい、奥様」
忠陽は外に出るとまだ蒸し暑く、残暑が残っていることが分かる。マンションを出て、忠陽と麻美を先頭にし、フミは数メートル後に続いて駅へと向かった。
「男子三日会わざればというけど、凛々しくなったわね」
「そう? 僕には実感がないけど……」
「戦っているときの陽の横顔が、忠臣さんの若いときに似ていたわ」
「父さん?」
「無表情を装っているけど、怒っているときの顔がね」
忠陽は苦笑いする。
「陽はいい人たちに出会ったみたいね」
麻美は嬉しそうにしていた。
「母さん、静流さんに会ったよ。覚えてる? 中学時代、同じ学校だったて言ってた」
麻美は足を止める。それを見て、忠陽もフミも足を止めた。
「静流……。六道の……」
「うん。中学時代の母さんは芯が強くて、我慢強くて、頑固だったって」
麻美は笑う。
「そうね、あの頃はそうだったかもしれない」
「母さんを怒らせたら、手がつけられなくて、機嫌を取るのも中々苦労したって言ってたよ」
忠陽はにっこりと笑ったが、麻美は不満そうな顔して、すぐに苦笑いした。
「その言い方、静流らしいわ。元気にしているの?」
「うん。これ、母さんに」
忠陽は麻美に静流の店の名刺を差し出す。
「これは?」
「静流さんの店の電話番号。静流さん、電話を待ってるよ」
麻美はその電話番号を懐かしむように見ながら、手は迷っているようだった。忠陽はその母の手を広げて、名刺を置く。
「静流さんに言われたよ。母さんを許してほしいって」
忠陽には麻美の手が強ばるのが分かった。
「ほんとうに、お節介な人よね……。普段は何を考えているか分からないのにこういうときだけ……」
「母さん、僕はまだ気持ちの整理がついていない。でも、母さん。自分を呪うことはしないで」
麻美はその言葉を聞き、目から雫が流れる。
「あらあら。本当に忠陽さんかしら」
その涙で濡れた顔は一番綺麗な顔だと忠陽は思った。その母に手を差し出し、抱きしめる。
「また身長も伸びたんじゃない? 忠臣さんに似て、そのうちスラッとした体格になるわ」
「そうかな?」
「そうに決まっているわ。……あなたを励まそうと思っていたのに、私が励まされるなんて、本当に男子三日も会わざれば刮目して見よね」
「それは言い過ぎだって……」
「陽。私も忠臣さんも嬉しいわ。貴方には何もしてあげられなかった。でも、あなたは……あなたは……強く生きてくれている。親としてこんなに嬉しいことはない。……これで好きな人の一人でも私に紹介してくれれば申し分ないけど」
「母さん、それは望みすぎ……」
忠陽は苦笑いしていた。
「そうね、陽。あなたにはまだ速いわね」
麻美は忠陽から放れ、笑顔を向けた。
駅に向かうと、フミがタクシーをつかまえた。どうやら本当に自分を励ますために来てくれたのだと忠陽は知った。
麻美は窓をタクシー越しに忠陽に言う。
「忠陽さん。明日も頑張ってね。どんな結果であろうと、私達はあなたたちを誇りに思う。私は呪術のことはわからないけど、子どもが大会の決勝に進んでくれていることはそれだけでも十分よ。他の家は他の家。あなたはあなたなりにできることをやりなさい。例え、何があっても私や忠臣さん、フミも鏡華も、あなたと鞘夏を誇りに思っている」
麻美の顔は真剣な顔をしていた。
「ありがとう、母さん。僕は今のチームが好きなんだ。だから、明日は必ず勝ちたい」
「頑張りなさい。あなたたちならできるわ」
忠陽は頷く。
「それでは、忠陽さん。おやすみなさい」
「うん、おやすみ。母さん」
忠陽は手を振りながら母親とフミが乗る車を見送った。
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