第十話 強さは力じゃない。それは……
九
忠陽たちが演習場から帰ろうとしたとき、見知った顔が出口に居た。
濃い灰色の市街地迷彩戦闘服を着た優男の顔に通る人々は見惚れていた。今は物腰が柔らかい態度を取っているが、彼が本当は熱血漢であることを世の女性は知る由もない。
忠陽はこの場所に佐伯総将がいることを疑問に思う。
「よう!」
「佐伯三佐! お久しぶりですー!」
藤は総将に近づき、挨拶をする。
「藤先生、頑張っているみたいですね」
「いえ、皆さんのおかげです」
「八雲妹、今日の戦いはいい判断だな」
「別に。やるべきことをやっただけよ」
「こら! もっと謙遜をしなさい」
由美子は藤に怒られ、顔を歪める。
「いいですよ。挑発したのはこっちですから」
総将は頭を掻きながら笑う。
「すいません。いつも、生徒たちが……」
「このくらいでいいんですよ」
「でも、佐伯三佐はどうしてこちらへ? 彼杵の皆さんがいることは存じ上げていますが……」
「まあ、助っ人として呼び出されたんだ」
「また、何かあるの?」
由美子が真剣な顔で総将に問いただすも、総将は笑顔で誤魔化し、由美子の頭に手を置こうとした。
「お前が気にすることじゃない」
由美子は総将の手を払い除けた。総将はまた頭を掻く。
「本当に何かあるんですか?」
藤は心配そうな顔をした。
「いえ、重要人警護に人手を増やすようになったのと、後、決勝リーグで俺と八雲が解説者に選ばれたからだ」
「解説者?」
忠陽たちは声を揃えて言った。
「そ、それじゃあ、決勝リーグは観戦されるんですか?」
藤は総将に問うた。
「ええ。だから、簡単にヤラれるなよ。どうやら、参謀本部の瀬島はお前たちが俺たちのお手付きだと気づいたみたいだからな。簡単にやられれば笑われる」
「仲が、悪いんですか?」
「瀬島は良いやつですよ。参謀本部でも話が分かるやつだ。だけど、軍部でも派閥はある」
「そっちの都合を勝手に持ち込まないでくれない?」
由美子はいっきに不機嫌になった。
「そうだな。悪かった」
総将は自嘲するように笑った。
「あなた、そのためにここに来たの? 暇なのね」
「こら、神宮さん!」
「暇じゃないさ。だが、観戦していたが、気になったことがあってな……」
「宮袋くんの、ことですか……?」
藤の問に忠陽たちは気まずそうにしていた。
「いいや。アイツじゃあない。それに八雲妹の判断は間違っていないと俺は思っている。あとは、アイツ自身の問題だ。俺が言うことじゃない」
「じゃあ、何ですか?」
藤は不安になった。
「氷見を借りていきますが、いいですか?」
忠陽と葉は朝子を見た。
「なんで、私よ?」
「気づいていないのか? なら、その答えを教えてやる。黙ってついて来い」
藤は考えていたが、それよりも速く由美子が答えていた。
「氷見さん、行きなさい」
「はあ? 何言ってんの、お姫様」
由美子は朝子へと向く。
「今日のあなたの動きは悪くなかったけど、合宿よりは良くない。明日負けたとしても、決勝リーグにはいけると思う。でも、今のその状態で決勝リーグに勝つことはできないと、私は思う」
「神宮さん、ちょっと!」
藤は由美子に不満を示していた。
朝子は由美子の目を見た。その目は真剣な眼差しであり、由美子が言ったことが本音であることが分かる。
「勝つためなのよね?」
「そうよ。勝つためよ」
朝子は不満な顔をしながらも、総将を見る。総将は教えてやるという上からの態度であり、それが朝子にとって悔しかった。
「いいわ。勝つためならあんたに付いていく」
「そんな御託はいい。黙ってついて来い」
朝子は総将の元へと歩き出す。総将はそれを見て、駐車場へ歩き出した。
「ちょっと、氷見さん!」
藤は総将と二人でいくことが心配になってきた。そのとき、藤の肩を葉が叩く。
「藤ちゃん、あたしが行くよ。大丈夫、任せて!」
葉は笑顔で藤を安心させようとしていた。
「森田さん……」
「いいでしょう、由美子?」
「お願いしてもいいかしら?」
「あいよー」
葉は二人の後を追おうとしたとき、藤に呼び止められる。
「森田さん、佐伯二佐がどんな酷いことをしても耐えるのよ!」
葉は藤の言葉が理解できなかった。
総将は朝子と葉を連れて、天谷の北西地区にある陸軍基地に向かった。基地の中に入り、連れて行かれたのは屋内演習場だった。そこは彼杵にあった大きな演習場ではなかったが、コンクリート壁で殺風景な場所だった。
「さぁ、やるぞ。抜け」
朝子はそういうと荷物を壁際に置き、鉄鞭を抜いた。
「ちょっ、いきなりですか?」
「葉、危ないから下がってて……」
葉は不安で仕方なかった。
「まずは鞭からだ」
朝子は黙って、鉄鞭を鞭に替えた。
「いいぞ。いつでも来い」
総将は手を前に出して、構える。その気迫に葉は自分の胸の鼓動が早くなるのを感じる。
朝子は鞭をゆらゆらと回しながら、相手の出方を見ていた。総将は構えたまま微動だにしない。総将の目線は自身に向けられており、合宿よりは殺気を感じない。そのことが朝子を不安にさせる。その不安を振り払うように、鞭の穂先を放り投げた。
鞭は空気を破り、音を出す。総将はその音すら気にせず、鞭の穂先を捕まえた。
朝子は思わず、鞭を引っ張るも、岩にくくりつけたように動かない。
「お前の武器は無くなった。どうするんだ?」
朝子は総将の問に、あっさりと鞭を離した。
「そうだ。得物に頼るな。次はどうする」
朝子は不満な顔を浮かべつつ、構えた。
「お前にはそれしかない。それが今のお前の武器だ!」
総将は地面を蹴っており、一瞬にして朝子の腹部を拳で突く。朝子は防御も受け身も取れずに数メートル飛ばされた。
「朝子!」
葉は朝子に近づこうとしとき、総将が大声を上げる。
「近づくなぁぁ!」
葉はその気迫に一歩も動けなかった。むしろ、体中が痺れ、全身が脱力するのを感じた。
「立て」
朝子は腹部を押さえながらもゆっくりと立ち上がる。総将はそんな朝子を容赦なく蹴り飛ばす。
朝子は地面を転げる。顔を歪ませ、もう一度立とうとする。
「遅い!」
その声に気づき、朝子は防御態勢を取るも、それも崩され、総将の拳を受けてしまった。
「敵は待っちゃくれない。敵の攻撃は痛みを生む」
総将は続けて、朝子を投げ飛ばす。朝子は辛うじて、受け身を取り、総将から離れる。
「痛みは相手への恐れを生む」
総将はその間合いを詰め、蹴りで朝子のガードを弾き飛ばした。朝子はその時もう何もできないと負けを認め、何もしないこと選んだ。総将はそれを知りつつも、拳を顔に向けた放った。拳は顔の眼の前で寸止めされた。
「恐れは負けを認める」
朝子は総将から顔をそむけた。
「負けを認めたものは未来を奪われる」
総将は拳を引き、朝子に回し蹴りを与えた。朝子は地面に叩きつけられ、気を失ってしまった。
朝子が意識を取り戻したのは冷たい水を掛けられたときだった。朝子は意識が朦朧としながらも、掛けられた水を払い落とす。
「起きろ、まだ終わっていないぞ」
葉はその様子を見て、藤が忠告した意味を理解した。これを耐えろというのは拷問だと思った。
「なぜ、負けを認めた」
「……強いあんたにどうやって戦えっていうの?」
「強いのは当たり前だ! 戦場で生き残るためには必要なのは強さだ! だが、強さは力じゃない! 生きようとする意志だ!」
朝子は黙って総将を睨んでいた。
「お前はあのとき、生きることを捨てた。だから、お前は弱いんだ!」
「じゃあ、私は何をすれば良かったのよ!」
「戦え! 無様になっても生きようとする意志は捨てるな!」
総将は朝子の手を掴み、無理矢理立ち上がらせる。
「それが分かるまで、俺はお前を何度も痛めつけてやる!」
「ちょっと、それじゃあ、朝子が――」
「死ねば良い! その方が楽だろうからな」
総将は葉を黙らせた。
「生きたいのならば戦え! 自分より強い者に勝つためには生きようとする意志を持て!」
総将は地面を蹴る。朝子は総将の攻撃をずっと殻に籠もるように守っていた。
「お前が負ければ、相手は大切なものの命さえも奪う! お前には大切なものはないのかぁぁ!」
総将の右フックが朝子の腹部捉え、吹き飛ばす。
朝子は意識が消えかける中で、走馬灯のように思い出す。
あの夏の匂いに汗と生臭さが混じった臭い。体中は腫れ、夏の日差しよりも熱い。蝉の音は騒がしいはずなのに聞こえない。このまま言われる通りしていれば、黙っていれば、いつかは終わる。やがて、暗闇がやってくる。その時が私にとって最も安らぎのときだ……。
声が聞こえる。この声で心がいつも温かな気持ちになる。
ダメ!
騒がしい……。光が入ってくる。どうして? なんでここにいるの?
ダメ! キチャ、ダメ!
私が耐えていれば、大丈夫だよ。私が黙っていれば大丈夫なんだよ。だから、お願い……。
イヤ、ヤメテ! ナンデモスルカラ! オネガイ!
手に持っているものから鉄の臭いがした。床は夕日に染まり、ネットリとしたものが私の手についた。
モウヤメテ! ワタシガワルカッタノ! ダカラ……
最も夕日が輝いたとき、いつも父から臭う蛇の臭いがした。振り向くと、蛇は楽しげに笑い、私に近づいてきた。
「大丈夫、分かっているわ」
私は蛇に巻き付かれた。
「あなたがあの子を守ったのよ」
外に出ると赤いランプが回っている。大人が毛布の掛けてくれた。その毛布はやけに冷たかった。
蛇は最後に私にこう言った。
「あの子を守れるのは貴方だけ。他の人間に渡しちゃダメよ」
麟くんは渡さない、麟くんは渡さない、麟くんは渡さない。麟くんは絶対に渡さない。絶対に誰にも渡さない。私が死んでも麟くんを守る。でも、私が死んだらどうなるの? あの蛇は必ずやってくる。麟くんを攫っていく。
朝子は消えかかった意識から目覚め、立ち上がる。
「麟くんは…………渡さない!」
朝子からいつもとは違うねっとりとした黒い呪力を感じる。呪力は朝子に蛇のように絡みつく。
総将は不敵に笑う。
「それがお前の生きる意志か! 黒い蛇として具現するとは随分禍々しいな!」
朝子は地面を蹴った。
「煩い!」
朝子は無我夢中に総将を殴りつける。その拳には黒い呪力が乗っていた。
総将は呪力を高め、その拳を防御する。
「甘いな! そんな程度じゃ、守れるものも守れない!」
総将は朝子の拳を掴み、朝子を引き付ける同時に腹部を蹴り飛ばす。しかし、その蹴りは黒い呪力によって阻まれ、朝子を引き剥がすだけだった。朝子の防御力が数段も上がっていると総将は思った。
朝子は受け身とりながら、体制を低くして、獰猛な獣のように両手、両足を地面につけた。そして、手と足で地面を蹴る。
あの男に対して軟な攻撃は効かない。あの男を殺るのなら、今の力の最大をぶつけるしかない。朝子は利き手である右手に呪力を集中する。その呪力は可視化できるものであり、葉はそれを見て恐怖を感じた。
「今までの分、全部返してやる!」
「そのどす黒い思念ごと消し飛べ! 轟炎!」
総将が構えると、身体全体が一瞬にして燃え盛る。そのまま腰を落とし、右拳を引く。すると、炎が一瞬にして右手集中する。
朝子はそんなのはお構いなしに右手を振りかぶり、呪力ごと総将に押し付ける。
「消えろぉぉぉぉ!!!」
「烈波掌!!」
総将から拳を繰り出すと同時に手を広げた。その瞬間に粒となった炎が拡散し、朝子の呪力と当たった瞬間に轟音を上げ、爆発した。一瞬にして黒煙を上げたため、朝子の姿が見えなくなっていた。
その光景に葉は膝が崩れてしまい、涙が溢れる。
煙を撒いて黒煙の中から現れたのは朝子だった。朝子の服はズタボロになり、体の一部や顔が煤にまみれている。それでもなお、右手のかすかに残った呪力を総将の顔面目掛けて突き出していた。
「死ねぇぇぇぇぇっっ!!」
総将は技の反動で動きが取れず、朝子の渾身の一撃を食らった。朝子のなけなしの呪力はそれでだけも効果はあり、総将を吹き飛ばした。
朝子は総将を吹き飛ばすと、その場にヘタリと座り込み、背中で息をしていた。
「朝子!!」
葉は両手で口を覆いながら言った。葉の目はもう涙で溢れていた。
朝子は葉に手でグーポーズを出す。その瞬間、朝子は総将に蹴り飛ばされた。
「教えたはずだ! 相手を倒したかは確認しろと!」
「朝子ぉぉぉぉ!!」
葉の悲痛な叫びが演習場に木霊した。
それから二時間ほどして、朝子は軍庁舎の隣にある軍病院にての一室で目覚めた。そこには顔にはガーゼが貼られている総将と、心配そうにしていた葉、呆れ顔の奏がいた。
「朝子、私のこと分かる?」
「うん、分かるよ、葉」
「よかったぁ……」
朝子は自分の身体を見ると怪我はほとんど治っており、服も病院服に着替えさせられていた。
「あんた、またいい具合にヤラれたわね」
「はあ? そこの男に文句言ってよ!」
朝子は総将を指差す。
「なんで断らなかったのよ。こうなることぐらい合宿で痛いほど分かってるでしょう?」
「そんなの無理に決まってんじゃん!」
総将が大きな声で笑う。朝子と奏は「笑うな」と怒った。
「だが、そのおかげでお前は俺に一撃を与えることができた。合宿ではできなかったことだ。これなら、誰にでも臆せず戦えるよな?」
「あんたまさか、そのためにあそこまで痛めつけたの?」
奏は驚きながら総将に聞いた。総将からの返事がないとため息をつく。
「呆れた。本当にこの子を殺すつもりでやったのね」
葉はそれを聞いて総将に詰め寄る。
「だいたい、あそこまでやる必要ないでしょう! いい大人なんだから、もっといい方法を考えなさいよ!」
総将はその押しに戸惑う。
「殺すつもりだった? 巫山戯んじゃないわよ! 朝子が死んだら! 死んだら……」
葉は泣き始めた。
「私があんたを殺してやる!」
総将はたまらず、奏を見て、助けを求めていた。
「自業自得……。二佐にも報告しとくから覚悟しなさい」
「おい……」
「当たり前でしょう! 宮袋ならまだしも、こいつは女よ! 火傷までさせて、基地に私が居なかったら火傷の痕が残ってたかもしれないのよ! 分かってる?」
二人の激怒を見て、朝子は笑った。
「なんで、アンタが笑ってんのよ?」
「いや、そいつの弱点って、女の涙と押され弱さなのかなって思って……」
「そうよ、こいつはね、女らしいところを見せると弱いのよ」
「そんなことない」
「一条咲耶にも連絡しとくから……」
「それは止めろ!」
総将は困った顔をしていた。
「今日はここで安静にしときなさい。藤先生にも、親御さんにも私から連絡しとくから……」
「いいよ、家には帰る」
朝子は身体を起こそうとすると、全身に痛みが走る。
「身体は治っているように見えるけど、霊体自体は完全に治りきってないの。本当は明日も出てほしくないんだけど、そうも言ってられない状態なんでしょう?」
「まあ……」
「霊薬ってドーピングにはならないかしら?」
「霊薬? なにそれ?」
「ああいいわ。私が辰巳さんに聞いてみる。はあ、この忙しいときに面倒増やさないでよね、まったく……」
「何かあるの?」
「あんたたちが知る必要はない。余計なことに首を突っ込んで、巻き込まれないようにしなさい。前科持ちのあんたなんかは次で一発退場よ」
朝子は口を閉ざした。
奏はすぐに伏見に電話をしていた。
その日、朝子は軍病院で一泊することになった。
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