第十話 暴走天使の笑顔は雨でも太陽となる
忍は目を覚ますと、白い天井が見えた。すぐに忍を呼ぶ声が聞こえ、仲間たちの顔が見えてくる。
「みんな、なんで泣いてるのよ……。あたし達勝ったじゃない……」
「忍……」
福田は悔しそうな顔をしていた。
「忍ちゃん……落ち着いて聞いて……」
悠木もすすり泣きしながら、歯を食いしばっていた。
「俺達は……負けたんだ」
忍はそれを聞き、初めは何を言っているのか理解できなかったが、周りの表情を見ているうちにだんだんと理解できて、体を起こす。
「な、何泣いてんのよ! アンタたち!」
三人は鳴き声を大きくした。
「巫山戯んじゃないわよ! あ、あたしは、あたし達は!」
忍の頬にも涙が濡れる。
「あたしたちは負けてない……じゃない……」
「忍……俺達は、負けたんだ」
忍は寝台から飛び出し、外へと駆け出す。外は雨であり、忍は特攻服を雨で濡らし、裸足のまま、由美子を探した。次第に紅色の特攻服はくすんでいき、ズボンの裾は泥まみれになっていった。数十分して、駅前の信号機で由美子たちを見つけると、忍は大声を上げる。
「じんぐぅぅぅーーー、由美子ぉぉぉぉ!」
由美子はその叫びに振り返るが、一瞥するだけで、信号青になったのを確認して、渡った。
忍は走り出すとズボンの裾を踏んでしまい、その場で倒れた。
「忍ちゃん!」
大地が反応し、近寄ろとするが信号が赤になって立ち止まった。
「おい、姫さんよ、ちょっと待ってやろうぜ」
「なんでよ。いい迷惑だわ」
駅に入ろうとする由美子の手を鞘夏が掴む。
「鞘夏……」
鞘夏はじっと由美子を見つめていた。
「分かったわよ!」
忍は泥だけの顔を紅色の袖で拭い、信号が青になるとトボトボと由美子の元へと近づく。
「忍ちゃん、大丈夫か?」
「うるさい! 大丈夫に決まってるでしょう!」
大地は頭を掻く。
忍は由美子に近づき、笑顔を見せた。
「アイツのこと、よろしくな!」
その笑顔は雨に濡れており、小さな少女の最高の笑顔だった。
由美子はその顔を見て、冷笑する。
「鞘夏、傘いいかしら?」
鞘夏が頷くと、由美子は鞘夏の傘に入り、自分の傘を忍に差し出す。
「なんだよ、それ。私は施しなんて受けないぞ!」
「別に。風邪を引かれて、私のせいにされても嫌だから……」
「おい、姫さんよ……」
「大ちゃん!」
典子が大地を引っ張る。
「へっ、知らないのか? 水も滴るいい女っていうのはあたしのことだ!」
そう言い傘を受けとらず、忍は振り返り、元来た道を戻ろうとする。
「ねえ、あなた、そんなに好きな人を簡単に諦めるの?」
由美子の問いに、忍は足を止める。雨はその暴走天使の刺繍をくすませ、眼の前の可愛らしい背中から羽を抜き取っているようだった。
信号機は青が点滅し、赤へと変わっていった。
「負けたからな……。それに、いい女にはあっさりしてるんだよ!」
「そう。松島さんはそんな簡単に捨てられる人だったのね」
「おい! お前よ。そんな言い方ねえだろう!」
大地が由美子に詰め寄るも、忠陽や葉や朝子、典子まで大地を遠くに追いやった。
忍は小さな肩は震わせていた。
「……わけねえ」
小さな少女の声は雨にかき消させる。
「なんて言ってるのよ?」
由美子が聞き返す。
「そんなのできるけねえ! って言ってんだよ! バァァカァァ!」
忍が振り返ると小さな天使の顔は泥と鼻水、雨がまじりあってグシャグシャだった。
「そんなのできるわけねえ! アイツを一番好きなのはあたしなんだ! 誰にも渡したくないんだ! アイツの隣居るのあたしだし! アイツの子どもを産むのもあたしだ! お前は知ってんのか!? アイツのはにかむ笑顔がこどもっぽくて可愛い所とか、以外に私の気にしてくれてて、たまに顔を出してくれることとか、子分には厳しいそうだけど実は甘いやつだってこととか、顔に見せないけどこの島の学生のことを考えてるところか、お前は知ってんのか!?」
「知らないわよ」
「なんで、そんな奴に渡したいと思うんだよ! タァァァコ!」
「タコ!?」
「諦める? 諦めきれねえよ! でも、アイツは、アンタのことが好きなんだよ! あたしみたい弱い女じゃあ、アイツの隣に居られねえんだよ! だから、だから……お前に勝って、アイツにふさわしい女になってやるしかないと思ったんだよ……。でも……」
忍がもと来た道に振り返ると信号が赤から青になった。忍はトボトボと横断歩道を渡った。渡り終えた後に由美子が声を掛ける。
「そーなのー? だったらー、私の負けー。あなたの勝ちよー」
「はあ! 巫山戯んじゃねえ、てめえーー!」
「私はー、そこまでー、できないからー」
由美子は改札口へ続く階段を登り始めた。
「逃げんなぁぁぁぁ!」
信号機が青から赤に変わった。忍は信号に足止めされ、苛立ち、その場で地団駄を踏む。大地たちは藤に促されるように駅へと入っていった。
「巫山戯んな! 神宮由美子、こんな勝負、認めねえ!」
その声は雨にかき消されていく。ザーッという耳障りな音が永遠に続くかのように思われた。
忍の心は由美子に対しての怒りしかなく、すぐにでも捕まえて、殴りたい気持ちで一杯だった。あの言葉をどんな思いで言ったのか、それすら分からない女をどついてやる。拳に力を入れ、いつでも戦えるように臨戦態勢を取った。
信号が青に変わり、急いで駅に入り、改札口を抜けようととしたときに、聞き覚えの声に止められた。
「よう、大切な一張羅をずぶ濡れにしてどこ行くんだよ?」
忍は足を止め、男の顔を見る。男は青色の色付きメガネをクイッとあげた。
「あんた……」
「どうせ、お嬢に泣かせれて、やかましくビービー泣いてるだろうと思ってよ、来てやったんだよ」
「あんた、聞いてたのか!?」
「なにがだ?」
「なにって、あれよ!」
「あれって、なんだよ?」
「うるさい、うるさい、うるさーーーい!」
忍は頬を赤くしていた。松島はため息をつく。
「せっかく、来てやったのに元気よければ世話ねえな」
「なんだと? 喧嘩売ってんのか?」
「はあ? 買ってやってんだよ……」
ずぶ濡れの天使に可愛らしい笑顔が戻った。
「にししし。なら、受けて立つ」
「てめえとの喧嘩は煮ても焼いても食えね。止めだ止めだ」
「なんでだよ!? このあたしが! 喧嘩してやるって言ってんだぞ!」
「てめえは負けても勝ったって言い張るだろ。付き合いきれねえよ」
「へ、最後に勝つのはあたしだ! いつも言ってんだろう?」
「そうだったな……。だったら、負けでいいぜ」
「なんだよ、それじゃあつまんねーだろ?」
松島は忍を無視するように演習場へと向かう。
「ほら、戻んぞ。てめえ、抜け出してきただろう? 仲間が心配してんぞ」
「……それもそうだな。今日は引き分けにしといてやるよ」
「抜かせ」
松島が駅から外へ出るとき、傘をさした。
「ほら、入れよ」
「なんだよ、水も滴るいい女って知らないのか?」
「いいから、黙って入れ。クソアマ」
「なんだよ、キレんなよ……」
忍は不満そうに松島の傘に入ると、その傘を見て気づく。
「この傘……」
「ん? ああ、改札口でお嬢に貰った。良い傘だろ?」
「なんで、あんな奴に貰うんだよ!」
忍は顔を膨らました。その顔を見て、松島は笑う。
「あなたに必要だからってよ。お嬢はよ、この傘みたいに気丈で、優雅さがある。俺らには相応しくない……」
「はあ?」
「俺等に相応しいのは透明なビニール傘だ」
「……なんかムカつく。あの女はやっぱ嫌いだ!」
「そう言うな。お嬢は俺達と背負っているものが違う。その重みは俺達には背負いきれねえ。あんな上玉に相応しい男はこの世にまだ居ねえかもな」
「あの女は、そんな玉かよ?」
「お嬢の強さは儚さだ。いつ壊れてもおかしくない。それに気付かねえとはお前はまだまだ子どもだな」
「うるさい! 馬鹿にすんな!」
忍は松島を小突いたが、松島は笑っていた。
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忍、かわいいよ、しのぶ。
※死語になってほしくない。