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呪賦ナイル YA  作者: 城山古城
156/211

第十話 由美子先生の特別講習

 二


 ファミレスで大地たちと別れた後、夜のうちに典子から勉強会の許可を取ったと連絡が忠陽に来て、鞘夏がすぐ由美子に連絡した。


 電話に出たのは執事の漆戸であった。漆戸は鞘夏から要件を聞き、話を聞き及んでいるようで、十二時に直接お伺いすると返答をし、電話は終わった。


 当日、忠陽たちは金剛寺の駐車場で待っていると、集合時間の十分前に由美子はやって来た。黒塗り光る車から、艶のある長い髪、細身の体つき、制服姿でもその所作で気品が伺える。その姿を見るだけで忠陽との家格の違いがひと目でわかる。


 だが、忠陽たちを見て、その顔色が崩れた。


「どうして私服なの?」


「えっ?」


 忠陽は呆けた顔をした。


 由美子は額に手を起き、考え込む。


「神宮さん、夏休みは普通私服だよ。秋津島ではそうだったでしょう?」


「そうだけど……。勉強会だから制服だと思って……」


 忠陽は納得した表情をしていた。


「まあ、勉強会は私服が普通だよ」


 由美子は鞘夏を見るも、鞘夏は笑いながらも由美子を宥めた。


 境内に入ると、由美子と漆戸は足を止める。


「どうかしたの?」


「ううん、何でもない」


 由美子は平生を装っていたが、境内に入った瞬間、ここが住職の領域だということを理解した。


 境内に入る忠陽たちを見て、本堂の縁側で寝そべっていた体を起こし、忠陽たちに近寄る。


「ちゃんと来てやったぜ」


「来てやったじゃないわよ。あなたが来るのは当たり前でしょう?」


「俺にしては真面目に来たんだ。もっと褒めろよ」


「なら、真面目に宿題をしてくれないものかしら?」


「そう、怒んなよ。だいたい大会出場のために夏休みの宿題やらないといけないなんて思わねえだろ?」


「夏休みの宿題は終わらせるのが当たり前じゃないの?」


「まあまあ、二人とも……」


 忠陽は二人の間に入る。


「それよりも大地くん。どこで勉強会をするの?」


 大地はこっちだと言い、住職たちの住居である庫裏と呼ばれる場所へと案内した。そこに入る前から香の匂いが染み付いており、清浄な空気のようにも感じられる。


 大地は勝手に戸を開け、玄関に入るなり、呼びかける。


「おーい、おっちゃん! ボンたちが来たぜ」


 少し間があって、奥の座敷から袈裟を着た住職と、短パン、白シャツの典子が現れた。


 住職は現れるなり、大地の頭を殴りつける。


「いってぇ!」


「こら、大地! ワシをおっちゃんと呼ぶなと言っておろうが!」


「だからって、殴り作ることはないだろう!?」


 忠陽と典子は笑っていた。


 住職は身を整え、改めて挨拶をする。


「お初にお目に掛かります。この金剛寺の住職をしています高畑三十郎と申す。いや、もうそろそろ五十郎ですが。隣にいるのが一人娘の典子と申します」


 典子は会釈した。


「ご丁寧なご挨拶を頂き、痛み入ります。私、神宮由美子と申します。こちらに控えておりますのは、執事の九郎と申します」


「これはこれは。ご高名は聞き及んでおります。この度は我が娘ともども、不出来な我が生徒のために勉強会を開いて頂けると感謝の念に堪えません」


 忠陽は我が生徒と疑問に思う。


「いえ、宮袋くんと今度学戦トーナメントにおいてチームメイトとしてご一緒させて頂くことになりました。一時とはいえ、仲間となった以上に苦楽をともにする。そのためとはいえ、場所を提供頂くこと感謝致します。九郎」


「はっ」


 漆戸は前に出て、菓子折りを差し出す。


「粗末なものですが、秋津島での銘菓、柳家の最中です。お収めください」


「これは! ご丁寧にありがとうございます。まさか、この天谷で柳家の最中を頂くとは思っておりませんでした。当たり難く頂戴致します」


 漆戸は三十郎に渡すと由美子の後ろに控える。


 三十郎は鞘夏に視線を移す。忠陽はその視線に気づき、鞘夏を紹介をする。


「か、彼女は真堂鞘夏さんです」


 鞘夏は礼をし、端的に言う。


「お目にかかれ光栄です、高畑様。先程、我が主よりご紹介を頂きましたとおり、賀茂家の使用人をしております真堂鞘夏と申します。以後お見知りおきを……」


「使用人……」


 三十郎は首を傾げる。


「あ、いえ、その……」


 忠陽は口籠る。


「あ、すまんすまん。不安にさせてしまったかな? これは失敬」


 三十郎は自らの頭を叩く。


「ささ、お上がりください。狭き所で申し訳ないですが、これから案内する客間を使ってください。スリッパ等はないゆえ、ご容赦を」


「ありがとうございます。それではお邪魔致します」


 と由美子は言い、靴を脱ぎ、玄関を上がり、膝をついて靴を取り、その靴を右端に綺麗に揃える。


 忠陽はその上がり方に流石だと思い、真似をしながら玄関上がるもぎこちなかった。


「いいんだよ、ボン。そんな大した家じゃねえんだから…大地は乱雑に家に上がる」


 そんな大地の頭を三十郎は殴りつける。


「お前はもっと見習え」


「だから、殴ることねえじゃん」


「はあ、なんだかワシが恥ずかしくなってきた……」


 典子や由美子はそんな姿を見て笑っていた。


「おっちゃんのせいで笑われてんじゃんか」


「お前のせいだ」


 三十郎は大地の額にデコピンをする。


 大地は不満そうにその額を擦る。


「姫様、私はここで……」


「ええ、ご苦労さま。帰るときは連絡するわ」


「かしこまりました」


 漆戸がきび返すのを三十郎が止めた。


「あ、いやお待ちを。一杯茶でもいいかですか。柳家の最中もありますし、この寺も見て頂きたい」


「それではお言葉に甘えて」


 漆戸は頭を下げる。全員が玄関を上がったあとに、漆戸も玄関を上がった。


 案内されたのは十畳ぐらいの広い和室だった。部屋には幅の長い座卓が置いてあり、そこに合計八人は座れるぐらいである。床の間には動物を描いた掛け軸があり、床脇には違い棚があり、壺が飾られていた。


「みんな、座りなよ」


 先に中に入って、典子が声をかける。


「大ちゃんはこっち!」


 大地は床の脇を背にして座卓の真ん中に座り、由美子はその対面、忠陽は由美子の指示で一番奥、鞘夏は入口付近で典子と相対するように座った。


「九郎殿はこちらへ」


 漆戸は三十郎にもっと奥の間へと連れて行かれた。


 二人が居なくなった後、由美子は普段通りに戻り、机から乗り出し、大地を問い詰める。


「で、宿題はなにをするのよ?」


 さっきまでの丁寧な話しぶりや所作から急な変わりように典子は驚き、忠陽を見つめる。忠陽はいつもはこんな感じだよとから笑いだけで答えた。


「なあ、典子、なにするんだ?」


「えっ、わたし?」


 急なフリに典子は戸惑う。


「呆れた。宿題の内容すら分かってないの?」


「うんなもん、典子のノート写しゃいいだろう」


「そんなのなんの意味もないじゃない!」


「別にいいだろう? だいたい先公が宿題なんて真面目に見るわけないんだし」


「それとこれとは違うわよ。自分でやることに意味があるんでしょうが」


「うるせーなぁ。まぁ、姫さんが来るってなったときに分かってたことだけどよ……。典子の宿題範囲は?」


「え、うん。これ……」


 由美子は典子の見せた範囲が一日でできないことを理解し、頭を悩ませた。


「高畑さんは――」


「典子でいいよ」


「ありがとう。典子さんはどのぐらいで終わったの?」


「ほぼ終わってるよ。後は数学Ⅰの問題集を2ページだけかな。でも、大ちゃんのクラスは宗教学科だから、一般科目は国語と数学は私がやっている内容の半分だけで、残りは宗教概論っていう問題集をやるはず」


「私達で言う魔術概論か……。それなら何とかいけるかも……」


「あとで国語と数学は私が教えるから先に宗教概論をやったほうがいいかも」


 典子の笑顔を見て、由美子は頷いた。


「典子〜。宗教概論ってのはどこにあるんだ?」


「はい、これ」


 由美子はそのやり取りを見て、再び額に手を置く。


「典子さん、そいつを甘やかさないほうがいいじゃない?」


「大地が自分ですると思う?」


 大地はにっしししと笑っていた。


 由美子はため息をつく。


 初めは穏やかにやっていた勉強会だが、問題を重ねごとに熱量が増していく。大地は世界四大宗教も知らなければ、寺や神社の違いさえも知らなかった。あまりにも無知な大地に頭を抱える由美子だった。


 そこから勉強会は大地にとって地獄に変わった。


 由美子は教科書に沿いながら、宗教の始まりをコンコンと話をする。大地が寝そうものなら、鬼の形相で叩き起こし、電撃を与える。大地は痛みで飛び起きていた。その電撃を何十回受けたか分からない頃になると、大地は寝なくなっていた。


 それから苦悶した表情で大地は由美子の口上を聞き、問題集を解いていく。


 宗教概論の問題は仏教を中心となっていた。海風高校を経営している宗教団体が仏教だからであろう。


 幸い寺にいるため、大地には直接ものを見せ、そこで由美子が説明する。大地は次第に興味を持ち、分からない事を由美子に質問するようになっていった。


「おっちゃんより姫の方がまだ分かりやすい。おっちゃんの話はよく分かんねんだよな……」


「お父さんが聞いたら泣いちゃうよ」


「おっちゃんが泣くわけないじゃん」


 由美子は口に手を添えて笑う。


「典子さんのお父様はかなりの修業をされた方だから、どうしても難しい言葉になってしまうのよ」


「いや、修業したなら姫さんよりも分かりやすく教えろっての」


「それは難しいわよ。仏の教えは苦しみから解放を説いているのよ。その境地に至るには典子さんのお父様みたいに心理を読み解き、自らを戒め、常に心が乱されないようにする。それに至るまでを言葉にするのは簡単じゃないでしょ」


「グラビア写真ぐらいで気を取られる人だぜ? スケベ坊主もいいとこだぜ」


 大地は大声を上げて笑っていた。


「でも、神宮さんはなんでお父さんがかなり修行した人って思ったの?」


「この寺院に入ったときに、この寺院全体に領域が張られてたから。そこまでできる人ってあまり居ないわ」


「領域?」


「この寺院ごと、高畑さんのお父様の意のままにできる場所にすることよ。僧侶としてかなり位の人じゃないとできないわ」


「たしか、先生はメキの高畑法師って言ってたよ」


「メキ……?」


 忠陽の言葉に由美子は考え込む。


「そのメキって有名なのか?」


 大地が由美子に尋ねると、由美子は口を開いた。


「メキって、五色不動に準えて与えられた二つ名かしら。でも、あの男が知ってるなら、相当な実力者になるわね……」


「うっそだぁー。あのスケベオヤジがか?」


「大ちゃん!」


 典子は大地に詰め寄る。


「あ、わりぃわりぃ」


「そんな話よりもあなたの宿題、どうにかしないといけないでしょ」


「おう! よろしく頼むぜ!」


 大地は笑顔で由美子に返事した。


 鞘夏以外、その笑顔にため息を吐いた。


 太陽が南中だったのが、いまやもう水平線に差し掛かっていた。時刻は十七時頃。茜色になりつつある空は水色の空と混じりだし、綺麗な頃だ。


「あ、そこ。また間違えてる」


「えっ、どこだよ?」


「問五、仏教宗派の総称は大乗仏教!」


 大地は消しゴムで消しながら、ぶつくさ文句を言っていた。


 由美子は腕時計を見ると、時刻は十七時を過ぎているのに気づく。


「鞘夏、忠陽くん、もう十七時だから、帰ったほうがいいわよ」


「おっ! やっと終わりか!?」


 大地は嬉しそうな顔をする。


「あなたは、この問題集が終わるまでよ。それまで私が付き合ってあげるから」


 由美子に笑顔で詰め寄られ、大地はすぐに苦い顔に変わる。


 その後、忠陽たちは帰り、時刻は十九時を回ろとしていた。


 大地は頭を掻きながら、問題集に取り組む。その隣に典子が座っており、静かに見守っている。


 大地は問題集を解きながら、口を開く。


「なあ、あんたらの宿題って俺よりあるのか?」


「まあ、三倍はあると思うわ」


「三倍? ……マジで?」


 大地は問題集を解く手が止まる。


「嘘よ」


 大地は不快そうな顔をしながら、問題集を再び解き始める。


「三点五倍かしら」


「どうせ嘘だろ?」


「嘘じゃないわよ」


「まあ、三倍でも、三点五倍でも変わらねえよ」


 由美子は不満げな顔をした。


「俺が思ったのはお前らスゲーなって」


「何よ、急に」


「大ちゃん、私は?」


「典子もスゲーよ」


 典子はニコニコと笑顔になった。


「勉強するのは将来のためか?」


「そうね……。将来というより、必要だからじゃないかしら」


「必要?」


「私はいずれ神宮を継ぐわ。そのためには、教養も、経営も、呪術のことも知っておかないといけない。神宮の人間なのに知らなかったじゃあ、私の家で一生懸命働いている人たちに示しがつかないもの」


 大地はペンを止め、天井を見上げ、声を上げる。


「ちょっと!」


「俺だったら、逃げ出すな……」


 由美子は黙ったままだった。


「八雲さんもそういう気持ちだったのかな……」


「兄さんは違うわ! 違うの……」


 大地は由美子に視線を戻す。


「兄さんは神宮の在り方が気に入らなかったのよ」


「そうか。でも、お前はそんな事も受け止めて、頑張ってるんだろ? やっぱスゲーよ」


「あなたは将来何したいとかないの?」


 大地は考えるが、途中で唸りだした。


「わ、私は保育士になるの!」


 急に典子が手を上げ、答えていた。その気迫に押され、由美子は相づちををする。


「おめえに聞いてねぇよ。俺だろ? 大体、そんなこと知ってるよ」


「神宮さんは知らないでしょ?」


 膨れた顔の典子を見て、由美子は苦笑いになっていた。


「典子さんは、なんで保育士になりたいの?」


「うーん。きっかけは大地かな……。ほら、大地って手がかるでしょ? 面倒を見てあげないとすぐ悪するし」


 由美子は同意する。


「お父さんはね、海風学園の理事をしてるの。だから、たまに保育園の手伝いをしてると子どもたちってかわいいんだ。中には大地みたいに憎たらしい奴もいるけど、皆と一緒にいて楽しいからでもあるよ。みんなの面倒を見てあげたいって」


「良いわね、保育士。あなたならできるわ」


 由美子の綺麗な笑顔を向けられ、典子は照れる。


「それで、あなたは?」


「ねぇな」


「そう。あなたらしいわね」


「嫌味か?」


「今の時代、明確に何をしたいと持ってる人の方が少ないと聞くわ。でも、本当に何かしたい思ったときに、慌てないようにするためには勉強をしておいた方がいいわよ」


「結局、それかよ」


 由美子は意地悪そうな笑顔になる。たが、大地はその笑顔が悪くないと思った。


 結局の所、由美子は二十一時まで金剛寺にいた。宿題は終わらなかったが、それでも後数ページまではいった。


 大地はあとは自分で何とかするといい、由美子はそれを信じ、帰っていった。大地はそれから毎日、金剛寺に通い、宿題をやっていた。典子は後で思い返すと、高校三年間で大地が勉強をまじめにしたのは後にも先にもこのときだけだ。結局宿題が終わったのは九月一日の二時頃だった。


 その前日に大地は忠陽に一本の電話を掛けていた。


「なぁ、ボン。九月一日、十五時に集まるだろ? その後で姫さんに時間もらえないかな?」


「えっ、聞いてみるけど、なにするの?」


「いや、携帯を見に行く約束してただろう? その、よう……」


「分かった。神宮さんには僕からも時間開けとくようにお願いするよ」


「ありがとうよ、相棒!」


「僕も見てもらってるから」


 忠陽は電話を切ると、鞘夏に話をし始めた。

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