第九話 変わる心、変わらない心
藤は診療室から出ると近くにあった長椅子に座り、息をつく。
長い息は今までの思いが履き出るような気がした。
「長いため息ね」
咲耶は手に持っていた缶コーヒーを藤に薦める。
藤は咲耶を見るも、憂鬱な笑みを浮かべ、すぐに足元を見た。
咲耶は無言で藤の隣に座る。そのまま缶コーヒーの口を開け、一口飲み、息を吐く。
無言のまま時間は流れ、人の声と足音の残響が聞こえてくる。
「ねえ、貴方、どうして伏見って男を好きになったの?」
藤はすぐに咲耶を見る。咲耶の眼を見ると、真剣というわけではなく、興味本位というものであった。それでも、自身の胸の鼓動が上がるのが聞こえた。
「わ、私は、伏見先生のことなんか……」
藤は言いかけ、口を閉じ、なにか懐かしむように鼻で笑っていた。
「最初会ったときはもっと冷たい人でした。先生たちが嫌がる問題を淡々とこなして、生徒から恨みを買っても気にしない。本当に嫌いな奴だった。私の不法行為を知られ、強請られて、なし崩し的にあの人の側で、あの人の駒として働くうちに悲し人なんだなって、同情してしまったんです。京介の過去は知らないですけど、やり方を見てれば非情で、冷酷、力こそがすべてだったんだろうって。でも、月日が経つうちに愛着が湧いてきたというか、なんというか……本当にヤバイときに助けてくれた彼が好きなったんですよ」
「へぇ~。王子様か」
「そんなじゃないんですけどね、あんな感じだから……。でも、私のことを見てくれてるんだって。呪術研究都市は呪術ができなければ落ちこぼれ。誰も見てくれない場所だったから余計にだったのかもしれない。そのうちにコイツにもいいトコあるじゃん、かっこいいじゃんって……」
「そっかそっか」
「そういうのありません?」
藤は咲耶に急に迫った。
「えっと、どうだろう……。私は、なし崩し的に、付き合い始めたというか……何というか……」
藤は元に戻り、ため息をつく。
「それにしてはベッタリじゃないですか」
藤は口を尖らせる。
「まあね、甘えたいものでしょう?」
「分かります!!」
「でも、なんていうか。私の場合、未だに愛されてるか分からないからやってるのかも」
「どういうことですか?」
「ほら、総将って普段優男みたいじゃない? 戦闘になれば野獣のような漢になるんだけど、私にはそうならないのよ」
「それは大切に思ってるからじゃないですか?」
「うーん。最初はそう思ったんだけどねー。アイツ、口下手だから。だから、ワザと甘えて確かめてるみたいな」
「それ、分かります!」
「やっぱり!? 貴方とは話が合いそうね」
「そうですね!」
二人は笑いあった。
「まあ、でも、貴方は考え直した方がいいんじゃない?」
「どうしてですか? そこは応援してくださいよ!」
藤は口を尖らせる。
「だって、あの男を調べたけど、結構ハードルが高いわよ」
「ハードル?」
「貴方は彼の過去を知らないって言ってたけど、どうする? 聞く?」
「京介の過去?」
藤は考える。考えて、唸りだし、悩んだ顔をした。
「やっぱ、止めときましょう」
咲耶が立ち上がると、藤はすかさず咲耶の服を掴んだ。
「待って……ください!」
咲耶が振り返ると、頬を上げで笑っていた。
藤はその顔を見て、悔しそうにしていた。
咲耶はバックから情報端末を取り出し、伏見に関しての情報を見ていた。
「えーと、彼、三十なのね、知ってた?」
「知ってますよ! 誕生日だって」
藤は意地らしい咲耶に頬を膨らませる。
「あなた、結構年上好き?」
「割と……」
「もしかして、お父さんと結婚するって言ってた人だったりする?」
「もー。そうですけど、なにか!」
咲耶は楽しそうに話し出す。
「あー、彼、子ね。貴方は?」
「午です」
咲耶は渋い顔をした。
「あなた干支では相性が悪いみたい」
「もー、そんなことが聞きたいんじゃないですよ!」
大声を上げる藤に対して、咲耶は謝っていた。
咲耶は深呼吸をする。
「彼の旧名は六道辰巳。今は戸籍上、伏見京介で登録されているわ。たぶん、名前を変更したんでしょうね。呪術師の家系では分家や勘当を受けたときにはそうなるから」
藤は不安そうな顔をする。
「高校は呪術師の名門の赤山高校。それから、近衛に入隊」
「近衛って、皇王直轄の近衛ですか?」
「そうみたいね。それから一年で皇国陸軍諜報部第一課に出向」
「そこって、何ですか?」
「国内外での諜報活動や作戦活動、陸軍における公安みたいな役割も持っているエリート集団の集まりよ」
「どうりで、軍に顔が利くんですね」
「それだけじゃないと思うわ。この第一課っていうのは結構黒い噂があるのよ」
「黒い噂?」
「例えば、出雲戦役はこの第一課がわざと起こしたとか、大和の経済を裏で操っているのはこの第一課だとか、元内務大臣の暗殺説とかにこの課の名前が必ず出てくるのよ」
「でも、それってただのゴシップ何でしょう?」
「大抵はそうなんだけどね……」
咲耶はそれを見上げて、ため息を吐く。すぐさま、藤に向き直し問いただした。
「で、どうなの?」
「どうって?」
咲耶は不満そうな顔をする。
「あなたの思いよ!」
「わ、私は……その……」
藤はごにょごにょと言いながら、顔を赤めさせ、俯いた。
「はっきり言いなさいよ!」
咲耶は藤の背中を叩く。
「は、はい!」
「男は逃げるのが得意なの! 好きだ好きだって言っても、口だけなんだから! 好きなら手綱を引いとかないと」
「そうなんですけど……」
咲耶はため息をつく。
「意気地なしね。なら、例えばアイツが人殺しみたいな奴だとしたら、貴方は付き合わないの?」
「え?」
「どうなのよ!?」
咲耶は藤を煽っていたが、それでも冷静に考えていた。
少し間を開けると、藤は口を開いた。
「たぶん、変わらないかな……」
藤は照れくさそうに頰をポリポリと掻いた。
「人殺しよ? アイツの手が真っ赤に染まってても、いいわけ?」
「私が知ってる京介は、今の京介だから……。今の京介がそうするのは、そうせざるを得ない状況だってことだと思います」
咲耶は深い息を吐く。
「だったら、告白しなさいよ。そんだけ覚悟してるなら、きっと上手く行くわ」
藤はまた悩みだし、唸り始めたときには、診療室の扉が開く。
藤は朝子を見ると立ち上がり、駆け寄った。
咲耶は舌打ちをする。
「大丈夫? 何かされてない?」
朝子はため息をつく。
「大丈夫! ただ、体の調子はどうだって聞かれただけ……」
「そう。どうする? 帰る?」
「いいよ。あと二日でしょう? それぐらい我慢できるよ」
「ありがとう、氷見さん」
朝子は後ろにいる咲耶に気づいた。
「藤ちゃん……」
朝子の視線の先が咲耶に向いてることに藤は気づいた。
「あー、一条咲耶さん。今回のスポンサーの一条財閥のご令嬢」
「どうもー」
昨夜は愛想笑いを浮かべ、手を振る。
「あの!」
「なに?」
「優勝したら、なんでも叶えてくれるって本当ですか?」
「何でもはむりだけど、金銭的に言えば三千万ぐらいなら叶えられると思うわ」
咲耶は作り笑いをしていた。
藤はなぜかため息をつく。
「例えば、大学の進学資金や四年間の生活費とかも?」
「生活費までは無理だけど、大学の入学金、四年間の授業料なら大丈夫よ」
朝子は笑みを浮かべる。
藤は朝子が子供らしい笑みを浮かべるのを初めて見た。いつも学校では難しい顔をしていた彼女がこんなにも喜ぶということは見たことがない。
「それよりも貴方は自分の呪力の使い方を覚えなさい。せっかく総将が手伝ってるんだから、技の一つくらい作りなさい」
朝子はしかめっ面をし、口を尖らせる。
「なによ、その顔?」
咲耶は目を細める。
「あいつ、キライ」
「氷見さん!」
「だって!」
咲耶は口元を隠しくすくすと笑っていた。
「ごめんなさい、一条さん。この子、まだ子供なんで……」
「藤ちゃん、子供扱いしないでよ!」
「人を好き嫌いだけで判断するのはまだ子供よ。それに氷見さん、佐伯三佐と一条さんはお付き合いされてるの。失礼でしょう?」
朝子は顔を歪めた。
「いいのよ。そう思われたって仕方ないことしてるし」
「そ、そうよ!」
「氷見さん!」
藤は朝子を叱りつける。朝子は猫か犬のように唸り声を上げた。
「昔は軟弱者はキライだって、硬派を気取ってたけど、今の総将はそうじゃないわ。貴方を痛めつけるのは好きでやってるわけじゃないってことは分かって」
朝子は咲耶から目を離す。
「氷見さん」
「分かってるよ、藤ちゃん」
咲耶は笑っていた。
「貴方達、なんだか姉妹に見えるわね」
「私、生徒たちと歳が近いからだと思います」
「そうかしら?」
チャイムが鳴る。それを聞いて、二人は慌て始めた。
「藤ちゃん、講義!」
「あ、そうだったわ!」
「えっ? 何があるの?」
咲耶も慌てた。
「葛城二佐の講義です」
藤は慌てて答えた。
「そう、なら早く行かないと締められるわよ」
「は、はい!」
二人ともその場から走り去っていった。その背中を咲耶は小さく手を振りながら見送った。
咲耶が廊下に出て、角を曲がり、庁舎から出口に向かった。角を曲がった瞬間、廊下にある自販機の前には八雲が立っていた。
その姿を見て、咲耶は不快に思った。
八雲はりんごジュースとミルクコーヒーを買い、ミルクコーヒーを咲耶に差し出す。
「いらないわよ、そんな甘いの! それ見て分からない? わ、た、し! コーヒー持ってんだけど!」
八雲は苦い顔をしながらミルクコーヒーをポケットに入れる。
「何の用よ!」
咲耶はぶっきらぼうに言う。
「別に……」
咲耶は自販機と反対の廊下の壁に背をつけた。腕組みをして、残りのコーヒーを飲み干す。
「あんま、ちょっかいかけんよ」
「なに、それ!? ちょっかい? いつまでも、一人の女に未練がましい男よりマシよ!」
八雲は不貞腐れた顔になった。
「うるせーな! どうでもいいだろ? 辰巳だってそう思ってるだろうよ」
「本人がそう言ったの?」
「そういうわけじゃないけど……」
「だったら、良いじゃない!」
「だけどよ、昔の自分を知ったら、多分、辰巳はあの先生と距離を置くと思うぜ?」
「これだから、バカは! 伏見が距離を置いても、藤さんから詰め寄るわよ。聞いてたんでしょう? 人殺しであったとしても構わないって! 覚悟ぐらい出来てんのよ! 女を舐めないでよ!」
「あー、分かったよ、俺が悪かったよ」
八雲は廊下を歩き出した。
その後に続くように咲耶も歩き出す。
「ささっと、諦めて、新しい人見つけなさいよ……バーカ」
咲耶は小さな声で呟く。
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