第九話 朝子の痛み
朝子は藤と一緒に医務室に居た。
朝子は治療のため女性の医務員に手当を受けている。藤はその様子をじっと見つめていた。
藤は女性の医務員が朝子に治癒魔術をかけ、患部がすぐに治っていくのを見て、不甲斐なく思った。
生徒の安全を考えればやはり止めるべきだった。彼女の外傷は治ったとしても、心の傷までは治せない。
「氷見さん、帰りましょう」
朝子は藤を見た。
藤の悲しそうな顔は朝子の口を尖らせた。
「私、初めからそう言ったよ」
「ごめんなさい。私もこうなるとは思ってなかった。本当にごめんなさい」
「ズルいよ、藤ちゃん。謝っても、私が欲しかった時間は戻らないんだよ」
「そうね……」
「先生というのは楽な仕事だな。私も次は教師というものをやってみよう」
女性の医務員は口を開く。
藤は黙って、拳を握りしめる。
「だが、私は興味のある生徒を解剖してしまうから無理だな」
朝子は医務員の笑み見て、背筋が凍り、手を引き剥がそうとした。
医務員は朝子を逃そうとはせず、腕を強く握った。
「痛ッ!」
朝子が声を上げると、藤は医務員を睨みつける。
「ちょっと!」
「すまない。治療が終わっていないのに逃げるから、つい、ね」
「気をつけてください」
「気をつけて、ね。私はなりに気をつけているつもりだ。面白い素材がいるのに、衝動を抑えているからな」
「どういう意味ですか?」
医務員は藤の言葉を無視し、問いかけた。
「なあ、先生。痛みが続いたとき、人はどうすると思う?」
「そんなの叫んだり、泣いたりするに決まってるじゃないですか」
「そうか、それが一般的な答えだな。だが、叫んだり、泣いたりしても続けばどうなる? それが当たり前になってしまえば……」
「そんなのオカシイです!」
医務員は笑う。
「それは答えになっていない。私は君の批判を聞いているのではない。どうなるかを聞いてるんだ」
「そんなの……」
医務員は眼の前にいる朝子を見ていた。
「お前はどう思う?」
朝子は下唇を噛み、体が震えていた。
朝子の異変に気づいた藤は声をかけようとした瞬間に医務員は言葉を発した。
「先生、答えは感じなくなるだ」
「はい? それよりも――」
「そろそろ診療室から出ていってもらえるかな」
「急に、何を――」
「患者の問診に部外者は必要ない」
藤からも見える医務員の顔は恐ろしく冷徹であり、寒気がした。その恐怖に藤は自然と診療室から出て行かせた。
藤が診療室から出るのを見て、医務員は朝子から離れて、窓近づく。
医務員が窓を開けると、夏の湿った空気が部屋に入る。
それでも朝子は震えていた。
医務員はポケットからタバコを取り出し、火をつけ、紫煙を飲み、窓の外へと吐き出す。
「さて、何から話そうか……」
医務員は呟く。
「お願い……言わないで……」
悲鳴にも似た声が朝子から発せられる。
医務員はまた、タバコを飲む。それから煙を吐き出す時間が朝子には長く感じた。
「言わなくとも姐さんなら知ってるはずだ。呪縛誓約者の殆どはワケアリだからな。諜報部に調べさせて、情報は持っているだろうな」
「私はどうなってもいいから!」
朝子は医務員に懇願した。
「勘違いするな。私が知っているのはお前の体の状態だ。いや、正確に言えば過去だ。その過去を覗けば、貴様に何があったか分かる」
朝子は黙って、俯いた。
「傷は癒えても、その組織は元通りとはいかない。細胞は痛みに耐えるために変質する。そうやって、人間は自己防衛をするものだ。それは体だけではない。心も同じだ。心に傷を負ったものはそれ以上の痛みに耐えるために自身に呪いをかける。それも自己防衛のひとつだ」
「まじない?」
朝子は顔を上げ、医務員を見た。
「ああ。心を捨て、人形になる。それは何も子供だけじゃない。大人もそうだ。自分を捨て、言われるがままに生きていく。そう生きていくしかないと、ね」
「人形……」
朝子は自分の手のひらを見る。
「お前は心を取り戻したんだろ? だが、それと同時に呪いを得た。貴様の呪いは自己犠牲を引き換えにした願いだ。その願いを叶え続けたいのなら、大人しく姐さんに従え。その呪力の使い方を教えてくれる」
「あの女、嫌い」
医務員は大声で笑う。
「そうか。なら、早く部屋を出て行け。問診は終わりだ」
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